五話 打算と不穏と舞踏会


「分かってはいた、分かってはいたけどね?」

 舞踏会、それは貴族たちの社交場であり戦場でもある。贅を尽くした絢爛豪華な広間には色とりどりのドレスを身にまとった女たち、そして見るからに偉そうなこれまたピカピカの服を着た男たちが表向きは楽しそうに歓談しながら中央ではダンスを楽しんでいる。

 皆が優雅に立ち振る舞う中、明らかにカチコチに固まっている場違いな貴族が二人。

 エルピースとシーザーである。

「下手くそにも程があるわ……あんたらもうあっちのテラスで休んでなさい、挨拶終わったら迎えに来るから」

 アリスは会場隅のテラスへ二人を追いやると、そこの扉をバタンと閉めた。

 二人はその音に少し驚きながらも、その慣れない居心地の悪い空気から解放され、思わず慣れ親しんだ夜の空気を大きく吸い込んだ。

「演技もクソも……なんか皆笑ってるのに空気はピリピリして……気持ち悪い空間だったなぁ」

「そうだねぇ……」

 貴族達は皆丁寧な言葉遣いでお互いを褒め合いながら牽制し合っているようだった。笑顔で手を握りあいながら肚の中を探り合う。華やかな空間は虚飾と打算に溢れかえって気持ちが悪い。

 勿論、見た目には目が眩むほど艶やかで、華々しい憧れの空間ではあるのだが。

「エルピース? どうした?」

 ガラス越しに会場内を見つめるエルピースに、シーザーは首を傾げながらニヤリと笑う。

「やっぱりドレスとか、憧れちゃう訳?」

 その言葉にエルピースの肩がビクリと揺れて、物凄い勢いで振り返った顔は真っ赤に染まっていた。

「違うよ!! ただ……あんなに綺麗に着飾ってさ、みんな御伽話に出てくるお姫様みたいなのに……なのに、誰も幸せそうに笑わないんだなって」

 ポツリ、落とすように呟いて。

「あ、そうだ」

 と、エルピースは急に言いながら手を叩くと懐に忍ばせていたホークを取り出した。

「戻っていいよ、ホーク」

 その言葉でホークは光り鳥形態へと姿を戻した。

『シエルを探せばいいかしら?』

「さすがホーク! ついでに屋敷の様子とかも探って来て欲しいんだ」

『分かったわ』

 言うとホークは夜の闇へと片翼を器用に羽ばたかせて飛んで行った。その様子をシーザーが呆けた顔で見ている。

「何度見ても不思議だ、魔法みたいだ」

「そうだね、私もそう思う」

 二人がそんな事を言いながら微笑み合っていると、テラスの扉が突然、乱暴に開かれた。

「あんた達!」

 扉を開けたのはやはりアリスだったが、その形相に二人は反射的に扉へと走る。そしてアリスの視線に施されるように部屋の中を覗き込んだ。

「さあ皆様! 今夜の主役、シエルの登場でございます!」

 高らかなその声と共に会場がどっと歓声に沸き、一際大きな扉がゆっくりと開く。

 エルピースとシーザーは息を呑んだ。アリスは小さく口笛を鳴らす。

 子爵に連れられて現れたシエルは、自分たちと逃げ回りボロボロになっていたあの姿からは想像も付かないほどに、余りにも美しかった。

 綺麗に整えられた髪は柔らかく揺れ、シャンデリアの光で黄金に輝いている。肌は透き通るほどに白く、それに良く映えるガラス玉のような空色の瞳、その瞳にかかる長い金糸の睫毛。

 きっとこの場にいる誰よりも高級であろう真っ赤なシルクの生地に金の刺繍を施した艶やかなドレス。

 シエルは目を伏せていたが、会場に入ると絵に描いたように上品な笑顔を浮かべ子爵に手を引かれ中央へ。

 そしてオーケストラが奏でる音楽にのせ、それは見事に踊ってみせた。

 気が付けば、エルピースの横からシーザーがいなくなっている。

 エルピースが先程のテラスを覗き見てみると、やはりそこには外をぼんやりと眺めるシーザーの姿があった。

「シーザー、行こう」

 エルピースはシーザーに歩み寄るとその手を引いた。けれど、乱暴に振り払われシーザーは頑なにこちらを見ようとはしない。表情は見えないが、テラスから見える夜の海をじっと眺めているその姿は、震えているように見えた。

 エルピースは自身の両手を握りしめるとシーザーを置いてまだ音楽の続く会場へと戻る。

 そしてズカズカと人波を押し退け進み出たるは踊るシエルの傍らである。会場中がその不躾な輩の存在にざわめき出し、ひそひそと誹謗中傷が聴こえてくるが、エルピースはそんなのお構い無しにニッコリと笑ってそれはそれは丁寧にお辞儀をしてみせた。

「どうぞ、お手を」

 シエルはすぐに男装したエルピースに気付いたようで目を見開いた。そして差し出された手にそっと自分の手を添える。

 しかし直後思い切りその手を弾くと、シエルはエルピースを睨みつけた。

「無礼者! ピエール様、この者は私を攫ったあの狼藉者の仲間でございます! 早く叩き出して下さいませ!」

「なに!? おい、衛兵! 衛兵!」

 困惑する会場に子爵の声に呼ばれた衛兵が瞬く間にエルピースを包囲した。

「全く………世話の焼けること」

 その様子を他人のふりを決め込んで見ていたアリスだったが、溜め息交じりに呟くと懐に手を入れる。

 そしてカチリと、音がした直後。

「な、なんだ!?」

 エルピースの首輪から、鼓膜が破れるのではないかというほどの大音量が鳴り響いた。

 それは音自体が最早凶器と謂えるほどのかしましさで、会場中の人間の動きを止める。

 その一瞬の隙を付き、エルピースはほぼ条件反射で会場の外へと飛び出した。

 それを見て正気に戻った衛兵も急ぎ後を追う。

「……本当馬鹿ね……」

 無事その背を見送って、ざわざわと未だ動揺の広がる会場の人混みをすり抜けシーザーの居るテラスへと抜け出した。

 騒ぎに背を向け、シーザーはまだ海を見ていた。

「あの子、馬鹿でしょう? 後先考えてないのよね、本当命がいくつあっても足りないと思うわ」

 潮風が髪を揺らす。アリスは静かにシーザーの隣に立った。

「私はアンタの方が正しいと思うわよ。普通に考えたらあんなに綺麗に着飾って、華やかで、それだけで幸せそうに思えるものね。でもさぁ……」

 アリスは振り返る。

 華やかな、皆の注目を一身に集める絶世の麗しき姫君。

 微笑むバラ色の唇に白く細い腕。

 震える、手。

「女って、嘘吐きなのよねぇ」

 直後、テラスに響く鳥の鳴き声。見上げればホークがエルピースの姿が無いことに気付いたようでテラスを通り過ぎ飛び去って行った。エルピースの事となると状況判断が異様に早い鳥である。

「さて、それじゃあ私たちも仕事を始めましょうか」

 と、急にアリスはそう言うと鮮やかにテラスを飛び降りすぐ下の路面に着地した。

 それからシーザーを見上げると笑顔で手招きをする。

 シーザーは動けなかった、身長の倍は高さがあるのだ。アリスのように平然と飛び降りられる方がおかしい。

「早くしないとあんたも見つかっちゃうわよ」

 言われ、シーザーは背後を振り返る。

 まだエルピースが起こした騒ぎに群衆は注目しているが、テラスに気付かれるのも時間の問題だ。

 アリス無くしてどうやってこの後を切り抜ければ良いものか。

 シーザーは一度ごくり生唾を吞み込んで下を見る。その高さに恐怖で足が竦む。けれども悩んでいる時間は無い。行くしか無い。

 シーザーは思考を停止して、勢いで手すりを乗り越えると目を強く瞑って飛び降りた。

「はい、上出来」

 どさりと、抱き留められた感覚で恐る恐る目を開ける。目の前にはアリスの笑顔が異常に近い距離にあり、自分が横抱きされているのに気付いたシーザーは、情けなさに渋い顔をする。

 それからすぐ腕から飛び降りると、シーザーはアリスを見上げた。

「で、どうするんだよ……」

「お利口さんねぇ、それじゃあ一緒にあの豚野郎の秘密基地を探りに行きましょうか?」

 ニッコリと笑ったアリスは、物怖じもせず闇夜の中を歩き出した。



「わーん! しつこーい!」

「待て! 止まるんだ!!」

 大勢の衛兵に追われながら、エルピースはまるで迷路のような屋敷を全速力で走り回っていた。もう何度か体力の限界を超えているが衛兵はしつこく追いかけてくる。何度目かの扉を開き目の前に現れた階段を駆け下りる。

 が、いい加減追い付かれそうである。

「よし!! 捕まえたぞ!!」

 そして、遂に間近に迫った衛兵に首根っこを掴まれそうになったその時である。

『エルピースーー!!』

 エルピースの背後、窓ガラスをぶち割って衛兵とエルピースを引き裂くようにホークが飛び込んで来る。

 幸いエルピースにガラスはかからなかったが、背後の衛兵達はもろにガラス片を浴び階段はガラスの破片だらけである。衛兵達の足が止まり後ろから来た衛兵がそれにぶつかり人の雪崩が巻き起こる。

「ナイスホーク!!」

 これぞ好機とエルピースはそのまま猛ダッシュで走り抜け、玄関を出ようとしたが外に警備の兵が居るのを見つけ、咄嗟に人気のない方へと走る。回廊を抜け別の館に転がり込むと、先ほどの本館と違い、装飾も少なくこぢんまりとした質素な造りの館だった。廊下にいくつも同じ扉が並んでいる。

 そのうちの適当な扉を開ければ、運よく誰もいなかったので咄嗟に逃げ込んだ。

 そこはとても簡素な部屋だった。机とベッドだけが置かれ、不穏にも窓には鉄格子が嵌められているのがそこからの月明りに照らされている。

 その異様な雰囲気にエルピースは顔をしかめたが、外から衛兵達の追ってくる音が聞こえると慌てて部屋に備え付けられたクローゼットの中に逃げ込んだ。もちろんホークも一緒である。

 やがてこの部屋に踏み込まれることもなく衛兵達の足音は通り過ぎて行き、ほっとしたところでそのクローゼットの中身を見た。

 そこにはその部屋には似合わないコルセットやドレスが掛けられていた。

 ごそごそと、何か無いかとなんとなくクローゼットの中を更に漁ってみると、畳んだ下着の下の方に、隠すように、けれど綺麗に畳まれた服を見つけてしまった。

 ボロボロの、普通の服。

「これって……」

「まったく飛んだ恥をかかされた! お前はこの部屋で待っていろ、後でまた呼びに来る」

「はい……」

 バタンと、扉が閉まる音にエルピースは真っ青になる。しまった、部屋の主が帰って来てしまった。

 恐る恐る隙間から外を覗いてみるが、上手いことその部屋の主の顔が見えない。

 どうしたものかと一度ため息をついた瞬間であった。

「……エルピース……!」

 ランタンの揺らめく明かりが暗闇に差し込んで、クローゼットを開けられたことを悟る。けれど見上げればそこに居たのは。

「シエル……!」

 まさか、こんな部屋が。

 きっとお姫様のような部屋に居るのだろうと勝手に思っていたので、シエルが現れるなんて予想外だった。

 けれどそうか、シエルはこの部屋に……。

「シエル、私は必ず貴方を攫ってみせる」

 驚きすぎて声も出せないシエルに、エルピースは先手を打ってやろうとその両手を握りしめて言った。

 それからじっと、揺れる瞳を覗き込む。

「だからもう、嘘吐かないで……!!」

 シエルは眉を寄せエルピースを見つめ返した。その瞳から少しずつ、少しずつ涙が溢れ出し、ポロリと落ちる。

「エルピース……っごめんね……」

 そして絞り出したようなか細いその声に、エルピースは優しく微笑んでクローゼットから飛び出すと、シエルを強く抱きしめた。

「だけどもう逃げられないよ、二人だけでも巻き込まないようにって……そう思ったのに、何で来ちゃうの? 本当に馬鹿なの? お兄ちゃんより馬鹿じゃない」

 多少の口の悪さは聞き流しつつ、エルピースは堰を切ったように泣き出すシエルをベッドに座らせてやり、背中をさすってやった。

 それからしばらくそのままで居たが、シエルが落ち着いて来たところでエルピースはまだクローゼットの中に居たホークを手招いた。

「その子……」

「ホークって言う、私の相棒だよ」

「レイブンと一緒に居た子と同じような姿……」

「ワルキューレっていう古代遺物なんだって。でも私にとっては一緒に育った姉妹みたいなものかな?」

『エルピース、ありがとう』

 ホークが喋ったことにシエルは少しだけ驚いたが、すぐに穏やかに微笑んで「宜しくね、ホーク」とお辞儀をする。その礼儀正しい態度が気に入ったのか、珍しくホークは『宜しくシエル』と片翼を差し出した。

 二人が翼と手で握手しているのを横目に見ながら、エルピースはスタスタと扉へ歩み寄るとガチャガチャとノブを回した。

「開かない」

「ピエール様がいないと私は外に出られないの」

 窓の鉄格子からしてそんなことだろうとは思ったが、エルピースは眉間に皺を寄せ唇を潰す。

「舞踏会はもうそろそろ終わる。そうしたらピエール様はまた私を呼びに来るわ」

「どうして? 舞踏会が終わったならもう……」

 首を傾げたエルピースは、けれどシエルが苦しげに俯き手の震えを堪えるように握り締めたのを見て、急いで彼女に駆け寄った。

「私……私は……」

 くちびるも震えている。エルピースは不意に、その首筋から覗くドレスの中、背中に紅く細い痕を見つけドキリとした。

「あ、駄目……! エルピース」

 エルピースは無言でシエルのドレスを掴むと、拒まれるのも聞かずにその背を思い切り暴いてみせた。

 そこには無数の傷痕、これは恐らく……鞭の痕。

 頭に血が昇る。

 無言で背中を見つめたままのエルピースに戸惑いながらシエルが恐る恐る振り返る。

 そこには、眉間に皺を寄せ背中を見つめるエルピースが居た。

「エルピース……?」

 不安そうに自分を見上げるシエルを、エルピースは強く強く抱きしめる。

 目に力を入れ、眉を寄せ、壁を見つめた。自分は泣いてはいけない。辛いのはシエルなのだから。唇を噛み締めて涙を堪え、口の中にじんわりと血の味が広がる。

 シエルは戸惑ったように自分もエルピースの背に手を添えて、けれど涙は流さずにとても嬉しそうに微笑んだ。

「エルピースは、優しいね」

 エルピースは目を見開き、シエルを更に強く、きつく抱きしめる。

 許さない。シエルをこんな目に遭わせたあの男を、絶対に。

「ホーク」

 分かっていたように頭上でホークの体は光に包まれる。武器形態に姿を変えた瞬間に、エルピースは光を掴むようにその中のホークを力強く掴み取る。

「シエル、今度こそ一緒に逃げよう」

 抱きしめる力を弱くして、肩に手を添え少し離れるとシエルを見つめた。明るく微笑んで見せるエルピースに、シエルは一度目を閉じる。

 再びその瞳を開いた時、その美しい空色の瞳は真っ直ぐにエルピースを見つめていた。

「分かったわ」

 そして何かを覚悟したような、強い瞳で頷いた。

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