四話 馬子と衣装とリストランテ
「それからメガラニカとムーは地続きだろ? 誰も通らないような獣道を通ってこの国に入って、必死で情報を集めてシエルを見つけたんだ。言われた通りムーの貴族……あのピエールとか言うおっさんがシエルを表向きは慈善活動の一環として養女に迎え入れてた……実際は奴隷として屋敷に閉じ込めてたんだけどな」
そこまで話し終わると、シーザーは黙り込んでいるエルピースの様子を伺った。その視線に気付いたエルピースは「大丈夫だよ」と少しだけ笑み、すぐに真剣な表情で「話してくれてありがとう」と頭を下げた。
「やっ、やめろよ改まって……そんなに大した話でもないしよぉ……」
「大した話だったよ、だからありがとう」
シーザーはその雰囲気が居心地悪かったのか、その言葉は聞かなかったことにして話しを続けた。
「とにかく、レイブンは何の気まぐれか俺が妹を助ける手伝いをしてくれた。実際レイブンのお陰で簡単に屋敷に閉じ込められていたシエルを助け出せたんだ。それでレイブンは約束を果たしたから行っちまうとこだったんだけど、シエルが身につけてた宝石のネックレスを渡して俺たちをこのまま逃がして欲しいと依頼した。あの地下水脈で隠れながら、こっそり船を調達して国外逃亡って算段だったんだけどな……こういう結果だよ」
そこまで話すとシーザーは「あーあ」とごろり、寝転がった。
「キルナの娘……」
エルピースはどこか聞いたことがあるその言葉の響きを必死で思い出そうとしていた。本だったか祖父の話だったか、とにかく聞いたことがある響きだったのだ。
「どうした? エルピース」
何かブツブツと唱えているエルピースを不思議に思いシーザーが上半身を再び起き上がらせた。
『エルピース! エルピース!』
ちょうど同じタイミングで、牢獄の扉からそんな喧しい声とガタガタと何かが揺れる音が響いた。
「ホーク!?」
「全く何なのかしらね……ワルキューレってのは忠誠心の塊な訳?」
エルピースが立ち上がり柵に顔を押し付けて牢の外を見れば、そこにはホークの鳥籠を持ったアリスがどこかげんなりした顔で立っていた。
「アリス! 怪我は? 大丈夫だったの!?」
「ハイハイ、お陰様でまだ痛むわよ」
そう言うものの、真新しいズボンを履いてしまった足は歩き方も普段通りで怪我の痕跡は見事に消えてしまっていた。弱みは見せないのだろう、さすがである。
『早く出しなさい! 早く!』
「はいはい、牢番、その子達出しちゃっていいわよ」
アリスの言葉に牢番は少し戸惑ったようだがすぐに牢の扉を開けた。同時にアリスは鳥籠を開け、ホークもまた解放される。
「少年少女は無罪放免よ、どこ行ってもいいわ。エルピース、あんたは釈放の対価に労働を命じます」
シーザーとエルピースが牢から出るのを見ながらアリスはペラペラと話している。ホークはエルピースの頭の上に乗ると満足げにピィと鳴いた。
「あら? あのお嬢さんは?」
しかしそこでエルピース達を見やったアリスが間抜けな声を出した瞬間、シーザーが弾かれたようにアリスに殴り掛かったが、アリスはその拳を難なく受け止めて真剣な表情でエルピースを見やった。
「私の治療中に何かあったって訳ね」
「ピエール子爵って奴が来て、シエルだけ……連れて行かれた」
エルピースが少しだけ視線を外し言い淀んだのにアリスは目を細めたが、その表情はすぐに無表情となりシーザーを乱暴にエルピースの方へと突き返す。
シーザーはエルピースの前で尻餅をつきながらアリスを睨み上げたが、そのあまりに冷たい表情に気圧されたように息を呑んだ。
「なるほどね……まぁ私には関わりのないことだわ。もう一度言います。少年は無罪放免、エルピースは私の召使いとして同行、分かったら付いて来なさい」
アリスはそれだけ言うと踵を返した。エルピースとシーザーは顔を見合わせたが無言でアリスの後を追う。そのまま一言も交わさず駐在所を出たところで、アリスはくるり急にエルピースを振り返った。
「はい」
そして首にまるで飼い犬のような首輪を半強制的にガチャリ、装着された。
「ななななっっなぁ」
衝撃すぎてエルピースは言葉を失っている。シーザーはその滑稽さに思わず吹き出したのをエルピースに睨まれ慌ててそっぽを向く。
アリスは何故か満足げに「いいわぁ」などと微笑んでいる。
「いや良くないでしょ! 何これ外してよぉ!」
言いながら外そうとするが、鍵が付いているのか外れない上に何で出来ているのか頑丈だ。
「これはA級遺物の首輪よ、何か変な動きをしたら私の持つこのボタンひとつでボンっと爆発って訳」
その言葉にエルピースの顔面は蒼白する。
「やだやだ! 外してよ怖いよ人でなし! 変態! 最低!」
「はいはい、爆発は冗談。本当は物凄く大きな音が鳴って居場所を知らせてくれるのよ」
「な、なんだぁ………」
「なぁ、そのさぁ」
エルピースがほっと胸を撫で下ろしている横で、シーザーは不思議そうに首を傾げた。
「A級遺物ってのは何なんだ?」
その疑問にアリスは「そうね、田舎者は知らないわよね」とニッコリ笑うと、その言葉にムッとしたシーザーなどお構いなしに話し出した。
「ブリュンヒルデ様が来るまでは、遺跡も遺物も荒廃した我が帝国においてただのガラクタ同然だった。けれどもあの方はそれらを見事に蘇らせ、尚且つ正しい使い方を私たちに教授してみせたの。神の声を聞いた、と言ってね。それがこの国の今日までの目覚ましい発展の最大の功績であり、あの方が神の子と謂われる所以なのよ」
ブリュンヒルデ、その名にエルピースの目の色が変わる。
けれどもアリスはそれを見ないふりで話を続けた。
「今ではこの遺物もその価値によってS級からC級まで鑑定され、貴重な物であるほど売り捌けばかなりのお金になる。だから帝国の管理下にある遺跡へ立ち入るには許可が要るし、許可なき侵入は犯罪って訳」
エルピースの喉からうぐ、と詰まったような声が出る。
「と、言う訳であんたは私の監視下に置かれることを条件に、特別に仮釈放中なの。でなけりゃ今頃は不法侵入で最低でも二年の懲役よ」
懲役、の言葉にエルピースは心底嫌そうな表情を浮かべたが、アリスのこれ以上は有無も言わさぬぞという迫力のこもった笑顔を見せられ、静かに縮こまった。
受け入れるしか、ない。
エルピースは悟りの笑顔を浮かべた。
「そこのリストランテに入りましょう? 少年、アンタも一緒にどうぞ」
それからアリスは駐在所から少し離れたエルピースやシーザーがもちろん入ったこともない見るからに高級そうなレストランを指差した。
アリスの服を強く握りしめながら、二人はおどおどとその店に入店した。いかにも上品なベルボーイが親しげにアリスと会話して、大広間ではない奥の通路へ案内される。ホークはペット立ち入り禁止ということで武器モードになりエルピースの懐だ。
通されたのはまるでお城のような綺麗な装飾のある個室であった。テーブルも椅子も輝いている。
「さてと」
シーザーとエルピースが完全に借りて来た猫のように部屋の隅で怯えているのを楽しそうに見ながら、アリスは高らかに手をパンパンと鳴らす。するとどこから湧いて出たのか執事とメイドが二人の腕をぐいと引いた。
「な、何だよ!?」
「ちょちょ、何!?」
ぐいぐいと二人とも別方向に抵抗むなしく引き摺られていく。
「食事するのにその薄汚い服はちょっとねえ、てことでお色直ししてきてちょうだい」
テーブルでいつのまにか出された紅茶を飲みながら、アリスはいかにも優雅に二人に手を振り、二人は断末魔の声を上げながら連れて行かれた。
「馬子にも衣装ねぇ~」
お色直しを終えて現れた二人は、余りに慣れない服に両者とも真っ赤な顔で立ち尽くしていた。
二人ともまるで貴族のような服を着せられている。しかしエルピースはどこか納得いかない風にアリスを睨んだ。
「何で男用なの!」
「あら? ヒラヒラのドレスが良かった? 動きにくいわよ?」
確信犯の笑顔を浮かべるアリスに、しかし正論なので文句も言えずエルピースは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。
貴族風とは言え二人とも一番地味なぜいぜい地方の田舎貴族といった服装だ。それでも先ほどまで着ていた服に比べれば何倍も立派である。
シーザーも、風呂に入れられ髪型まで整えられて、まるで別人のようであった。
エルピースも悲しいかな、男らしく整えられた髪型のせいか少年にしか見えない。
「まあいいから、食べましょう」
人払いをしたところで、ホークも鳥の姿に戻る。相変わらずエルピースの頭に乗って、三人は円卓を囲んで座った。目の前にはこれまた見たことがない豪華な食事、鶏の丸焼きやパイやスープ。アリスの召し上がれの声で、二人はマナーなど御構い無し、夢中でそれらに食らいついた。
「すごい食べっぷりねぇ」
見事に汚い食べっぷりに少し引き笑いしながらアリスはその様子を眺める。
そしてようやく食べ終わって満足そうに腹を抱える二人をアリスはあらあらというような優しい笑みで見つめている。
「で、だ」
その笑顔のままで野太い声を発したアリスに、シーザーとエルピースは思わず背筋をピンと伸ばした。
「ピエールってのはピエール商会のピエール子爵で間違いない訳ね? あの豚野郎、この私に一言もなく随分と好き勝手やってくれてるわね」
笑顔だが、その声色には十分な怒気が含まれているのが分かった。エルピースは嬉しそうに「じゃあ……!」と立ち上がったが、間髪入れずアリスは「勘違いしないで」とキッパリと言った。
「彼女はあいつの養女なんでしょ? 気に入らないけど国としては正当な手続きを取っている以上どうすることも出来ないわ」
シーザーはそう言われることを分かっていたのか、何も言わずに俯いていた。
「でも、屋敷に閉じ込められてるんだよ? そんなのおかしいよ!」
「おかしくなんかないわ、世間知らずのバカ娘」
見向きもされずに言い放たれて、けれども言い返す言葉もなく、エルピースは結局口を閉じて座り直す。
「貴族のお嬢様なんてだいたいは深窓の令嬢、自由なんてないの。閉じ込められているのと一緒よ。何もかも親の言う通り、結婚も人生も全て言われる通り。その代わり何不自由もなく豪華な衣装に豪華な食事、お菓子とお茶会、優雅な暮らしが保証されてる」
アリスは紅茶を一口飲むと、今度は俯いているシーザーを見つめた。
「それでも連れ出したのは、何故かしら?」
目を見開いて、シーザーはアリスを見やった。アリスは真剣にシーザーを見ていた。
シーザーは少しだけ言い淀んだが、やがてポツリと語り出す。
「最初は一目見られればいいと思ってた。貴族の養女なら何不自由なく暮らせるし、きっと幸せなんだと思ってた」
言いながら、シーザーは自分の服を見る。
「こんな立派な服、まさか着られるなんて思ってなかった。シエルもきっとそう思ったに違いない、今更俺なんかが顔を出したら疎ましがられて相手にもされない。実際シエルは綺麗なドレスに身を包んであいつの屋敷の見たこともない天国みたいな庭で、たくさんの貴族に囲まれて優雅に微笑んでた。余りに別世界に居る妹に、俺は劣等感すら覚えて……なんであいつばっかり、そう思った。あんなに会いたくて来たくせに、俺はやっぱりクズなんだ。でも妹は違う、だから妹は神様に祝福されたんだ、そう思った」
アリスは自分の長い髪を弄りながらその話を聞いている。エルピースはそんなアリスを見つめていたが、目が合うとアリスは微かに微笑んだ。その微笑にエルピースは不満そうに唇を尖らせる。
「だけど、違ったんだ。レイブンに連れられて忍び込んだ屋敷で、罵倒される妹を見た。奴隷の癖に口答えするな、言われた通りにやれ、そう言ってあいつは妹を……!!」
シーザーがテーブルに拳を打ち付け、食器が揺れる音が響く。その表情は怒りに満ちて、それを堪えるように奥歯を噛み締めていた。
「俺たちは結局、どこまで行っても親に捨てられた惨めな奴隷なんだ……」
エルピースはシーザーを見て、その表情に自分まで苦しげに眉を寄せた。シーザーは今にも泣きそうな、悔しそうな表情で下を向く。
「もういいわよ、シーザー」
アリスは立ち上がると、シーザーの肩をポンと叩いた。シーザーは名を呼ばれたことに少し驚いたように顔を上げる。
「よく分かったわ、さて……そろそろ準備しないとねぇ」
次いでアリスはエルピースの頭の上に乗ったホークに何がしかを囁いて、ホークは珍しくその言葉を黙って聞いていた。内容は聞こえなかったが、見上げればアリスが何やら企んだような含み笑いを浮かべている。ほとんど笑顔のこの男、エルピースは少しずつその表情を読み取れるようになっていた。
「嫌な予感しかしない」
「そんな事ないわよ~」
言うとアリスは何も言わず部屋を出て行ってしまう。エルピースは座ったままのシーザーに歩み寄ると、その肩を後ろからガシリと掴んだ。
「行こう、シーザー!」
「行くって……どこへだよ?」
「分かんない、分かんないけど……アリスは私たちに着いて来いって言ってるんだよ。こんな風に着替えさせて、きっと何か考えがあるんだと思う」
シーザーは訝しげにエルピースを見詰めた。エルピースはアリスの事を随分信用しているようだが、所詮は貴族……ただ面白がっているだけかもしれない。貴族にとっては、こんなのただの気まぐれやお遊びに過ぎないのだ、そうに決まっている。
「俺は行かない」
シーザーは立ち上がろうとはせずに、腕を組んでエルピースから顔を背ける。
「もう、終わったんだ……」
そして、本当に弱々しく、そう呟いた。
しばらくの間沈黙が続き、シーザーの肩に添えられていたエルピースの手が不意に離れた。
「何で……?」
ポツリ、落ちて来た呟きにシーザーは僅かに眉を寄せる。見上げればエルピースはどこか遠くを見ていて、それから急にシーザーを見つめると再びその両肩を掴んだ。
「終わらないよ……終わらせない限り、終わりなんか無い!! 私は絶対諦めたりしない!!」
空気が震えた、ような気がした。それはシーザーのことだったのか、己自身へ言い聞かせた言葉だったのか、とにかく彼女の表情はとても真剣で、何かに怯えるようで、それでいてとても強い意志を宿した眼差しをしていた。
その眼差しに見つめられ、シーザーは瞼裏に妹の姿を想う。
「そうか……」
身勝手でも良い、思い上がりでもいい、こんな人生に生きる希望をくれた妹を、救ってやりたい。外国へ逃げたいと言った妹の願いを、叶えるのは神様なんかじゃない。
「分かったよ、エルピース」
シーザーは立ち上がる。
「行こう」
エルピースは弾かれたように微笑んで、それから二人はアリスの後を追った。ホークはエルピースの胸元に武器の姿で潜ませる。
街へ出れば、アリスが欠伸をしながら出口に突っ立っていた。
「遅いわよ、パーティに遅れるわ」
「え?」
「え、じゃないわよ。竣工式も終わってこのめでたい日に、貴族がやらない訳ないでしょう? 今日はねぇ、この国一番の貿易商、ピエール子爵の館で舞踏会なのよ」
エルピースとシーザーは顔を見合わせ、ほぼ同時にアリスの顔を見る。アリスはその自分に向けられる純粋な期待の眼差しに心底嫌そうな渋い顔をしてみせてから「あんた達は私の従兄弟ってことで挨拶なさい」とだけぶっきらぼうに言うと店の前に停まっていた馬車に乗り込んだ。
二人はまたしても、困惑する。
「ばばばば馬車……!」
「こんな豪華な……!」
「いいから乗りなさい、あんた達今は立派な貴族の格好してるんだから少しは演技なさい!」
呆れたアリスに叱責されながらも、何とか馬車に乗り込んだ三人は、ピエール子爵の屋敷へと向かった。
しばらく海沿いを走り、街外れの丘を登る。丘と言っても石畳で舗装された立派な道だ。その道の先にあるのが、屋敷というよりは最早砦に近い、石造りの城壁に囲まれたピエール邸である。
海を見下ろす切り立った崖を利用して建てられ、さながら自然を利用した城塞である。敷地内には邸宅の他に商館と衛兵の駐留所も建っており広さもある。
やがて城壁まで辿り着く。その手前には馬車を停留させる石畳のちょっとした広場があり、そこを降りて分厚い門を潜ればいよいよもって、敵地となる。
馬車を降り、エルピースは間近に迫ったその屋敷を見上げる。
夕焼けも過ぎ闇夜が迫る空を背に、その屋敷は不気味に聳えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます