プロ初打席

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 この日の試合は一平の出番は無かった。観客もいなかった紗世はゆっくり一平を観れるチャンスでもありそれを観られなかった紗世はバイト初日の疲れと同時に落胆の色を隠せなかった。女子更衣室でロッカーを開けてカバンの中でスマートフォンが点滅している。一平からのメールだった。


『バイト終わった?良かったらグラウンドに来ないか?行き方分かるだろ?待ってるから』


 紗世は着替え終わって更衣室近くにある自動販売機でスポーツ飲料を買い半分ほど一気飲みしてから足早に従業員通路を歩いていくとグラウンドの入り口が見えて来た。そこに六六と書かれた背番号のユニフォームを着た選手がグラウンドの方を眺めている。『まさか……』


「……一平?」


 紗世は恐る恐る声をかける。もう外見は昨シーズン見た弱々しい一平ではない。さらに凛々しくなった顔つきをした一平は紗世に気づいて静かに微笑む。グラウンドの入り口には誰もいない。グラウンドには数人のスタッフが整備を行っているが二人を見ることなく黙々と作業をしていた。


「ごめんな、呼び出したりしちゃって。でも紗世と話せる場所ってここしか無いんだ」

「ううん。ありがとう。背番号決まったんだね……。似合うじゃん。六六……、三度の三冠王を獲った選手が監督になった背番号」

「さ〜すが紗世!本当は五一が良かったんだけどさ空いてなかったんだ。でも活躍するたびに背番号を三一にして最後は一だ」

「あー!赤ヘル打線でアキレス腱を断裂しながらも復帰して活躍したあの選手ね……。一平ってあの選手の大ファンだったもんね。楽しみだなぁ」


 二人は会話が続き一平はベンチ裏から色紙を持って来た。そこにはサインが書いてある。『本当にプロ野球選手になったんだなぁ……』と紗世は色紙を観ながらシミジミと感じている。これをイタリアン料理店へ渡すように頼まれて紗世は快く引き受けた。受け取った色紙を持ちながら紗世は広いグラウンドを眺める。スタンドから観る光景とは大違いだ。二軍、三軍の試合を行う郡山球場の広さとも比べ物にならない。


「ホントここのグラウンドって広いんだね〜……。どう?ホームランとか打てそう?」

「紗世〜。オレも結構鍛えたんだぞ〜?そりゃ年間三十本は厳しいと思うけど十本くらいは打てるよ〜!」

「おー?言ったなー?約束だよ!」

「ああ、約束する!今年の目標は規定打率!でさ、いつの日か首位打者を獲れたらその時は真剣にオレと付き合ってほしい……」


 紗世は格好良くなった一平の言葉が胸に響く。とても嬉しかった。今にも涙が出そうな紗世は素直になれず、一平を揶揄う。


「またまた〜。そんなこと言っちゃってさ〜。高額な年俸貰ったら美人アナとかに手出すんじゃないの〜?」

「そ、そんなことしないよー!もうお前にここまで伝えたんだ、その想いはずっと変わらない……。だから信じてくれないか」

「ありがとう……。でも今はレギュラーを勝ち取ることに専念しなきゃ。私は逃げないから……。さ〜てと、じゃあまた何かあったら連絡してね!」


 一平はその翌日から試合に出るようになり初めは代走要員であったがオープン戦の中盤戦から後半戦はセカンドでスタメンに入りオープン戦の成績は二割八分で終わった。一軍にいることは確定しているがスタメンで使うかどうするか、あとは監督が決めることだ。いよいよ三月二十九日、プロ野球の開幕戦だ。今年も一流選手の多いホームチームは二年ぶりの優勝を信じるファンがドーム球場のスタンドを埋め尽くしておりグラウンド内ではセレモニーが行われている。紗世は重たいビールサーバーを背負って次から次へと売れていく。試合の方は残念ながら一平はスタメンには入らなかった。その場内アナウンスを聞いて天井を見上げ大きく深呼吸をした。一方、紗世と関わって来た人たちはというと……。

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