3

「紗世ちゃーん、久しぶりー!オーナーさんも!」


 笑顔で出迎えるオーナーをよそに紗世は子供のように香織の胸へ飛び込んだ。泣きじゃくる紗世を見た香織は一瞬驚いてオーナーと顔を見あったが大人な香織は優しく紗世の頭を撫でながら抱きしめてあげていた。その光景を見るオーナーも少し涙目になっている。

 気持ちが高ぶっていた紗世も落ち着いて「大丈夫?」と香織の問いかけに「はい……」と頷き二人はテーブルへと座った。紗世はハンカチで照れ笑いを見せながら涙を拭っているとオーナーが香織の分のお水の入ったグラスを持って来た。


「久しぶりのご対面に二人とも落ち着いたかな?」

「……はい。すみません。香織さんを見ちゃったらつい……」

 涙を流した紗世の頬はまだ赤い。そんな可愛らしい紗世を見て香織もオーナーも控えめに声を出して笑っている。


「そうだよなぁ。やっぱ今日が最後になりそう?ここへ来るのは」

「あ〜、そうなると思います……。明後日から卒業式前までまた東京へ行きますので……」

「そっか……。じゃあどうする?早速ワインをお持ちしても良いかな?」


 オーナーが二人にそう訊ねると香織は紗世の方を見て「どうする?もう飲んじゃおっか!」と言われ紗世もそれに賛成した。メインディッシュの時に出そうと思っていたオーナーはキッチンからワインボトルとグラスを持って来る。紗世は一見普通のワインボトルと同じに見えるがこれがオーナーの言う高級ワインだ。


「今日は香織ちゃんへ紗世ちゃんと僕たちからのプレゼント。香織ちゃんも一度は飲んでみたいって言ってたバローロ。今日はこれを味わって行ってね」

「すごーい!え?私のためにですかー?」

「そうだよー。紗世ちゃんとは話をしてたんだ。ね?」


 紗世はオーナーのアドリブを難なく合わせ香織が『あっ!』と紗世の方を向きウコンをきちんと飲んできたか確認して来た。『もちろん!』と言うような表情を紗世は見せて香織はこの日までも紗世の面倒を見る姿勢だけは変わらなかった。その引っ張ってくれる香織が紗世にはとても嬉しい。そして『この時間がいつまでも続きますように……』と願うばかりだった。オーナーがワイングラスへ注ぎ終えて紗世はグラスを手に持ちやはり普通の赤ワインにしか見えない。そんな紗世から一言「私……、これ味わかりますかね……?」その一言に香織もオーナーも目を見開いたが香織が吹き出して笑い出すとオーナーも声を出して笑い出す。二人とも紗世からまたこの言葉を聞かされるとは思いもしなかった。おかげで香織は紗世とこのお店へ来始めた頃を思い出し懐かしい気分にさせられた。


「紗世ちゃん大丈夫だよ。このワインはまた違う美味しさがあるからさ」

「本当紗世ちゃんってその素直さが変わらないのね。じゃあ乾杯しましょ?」


 二人は乾杯をして紗世はグラスへ口をつけて飲もうとすると味わったことのないワインの香りがとても印象的だった。香織も好奇心を顔に出しながらひと口飲み始めていた。すると目を見開く香織は「ん〜!」とグラスを見ながら感嘆な声を上げている。その時キッチンの方から奥さんの姿が見えた。すると奥さんは二人に気づき「あらー、香織ちゃんに紗世ちゃんじゃなーい!」と言われた二人はグラスを持って奥さんへ挨拶をした。ちびちびとバローロを味わっているとそれに合う料理にそれを食べ終えると奥さんの作るデザートがやって来る。


「香織ちゃん、さっき夫から聞いたんだけど今日が最後になるかもしれないって?」

「そうなんです……。でも時々ここへ帰って来たら顔出しに来させて下さい!」

「もちろん、大歓迎だよ……。でもそれまでちょっと寂しいね……」

 奥さんの切ない言い方に香織も鼻でため息を吐いて話し出した。表情は笑ってはいるが不安は隠せない。

「本当は私怖いんです……。果たしてそこに順応出来るかどうか、職場いじめに遭わないだろうか……」

「そうだよね〜。そのせいで憧れた仕事を嫌いになりたくないものね……」

「でも香織さんなら大丈夫ですよ!私はそう信じています!もし嫌な目に遭っても香織さんには人徳があるじゃないですか」

「そうだよねー!香織ちゃんならやりこなせるよー!紗世ちゃん良いこと言うわねー!」

「そうですかね……」やはり紗世にとって大人に見える香織も初めて新天地へ行く不安だけがどうしても拭えない。


『もし辞めてしまったら?オーナーさんも奥さんもそして紗世ちゃんも私を白い目で見るのかな……』


 香織の手が震えていてそれに気づいた奥さんは優しく香織の手を握りしめる。そして紗世が話し出した。


「香織さん、開き直って今はとことん悩みましょ?入社日まで不安があると思います。私も香織さんから教わったことを言わせて頂きます。本当に我慢だけはしないで下さい。怖くて泣きたくなったら泣いたら良いし、気の済むまで弱い自分をさらけ出したら良いと思います。その姿を見て笑う人なんて誰もいませんから……。そしたらいつに間にか自分の中にあった不安もどこかへ行ってるはずですよ」

「香織ちゃん、紗世ちゃんの言うとおりよ。今は気の済むまで弱音を吐きなさい……」


 香織の視線の先にいる紗世の目から涙が流れている。そんな紗世がよがんで見える香織も無意識に涙が流れていることに気づいていなかった。出来るものなら東京へ行きたくない。しかし学生時代からアナウンサーになることを夢見ていた香織は内定をもらえるように語学から色々と勉強をして来た。それを無駄にしたくもない。紗世の言うとおり香織の良いところに目を向ける同期、または先輩社員は必ずいるはずだ。これから夢の世界へ旅たつのに何を不安がっているのか、そう考えていく香織は心が軽くなっていく。香織はしばらく会えない寂しさに涙を流してまで必死に自分のことのように語ってくれた紗世の言葉が何より嬉しかった。


『ありがとう……。私、行くね。そして、そして有名人になれたとしても必ず紗世ちゃんを一番に会いに行くから……』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます