3

 胃のムカムカが少し軽くなりながらも頭痛だけが取れずに練習の始まる時間を迎えた。朝日が出ているが冬の季節ならではの薄い雲が覆っていてそこから冷たい風が容赦なく吹いている。紗世は重い足取りでグラウンドに行くと一平を含む多くの高校球児たちは朝礼前に軽い運動を各自行っていた。昨日の焼肉屋での丸い表情が嘘のように引き締まった厳しい表情に戻っている源田監督へ紗世は笑顔を作って挨拶をした。


「おはようございま〜す……」

「おお。おはようさん!どうだ、酔いは冷めてきたか?……まだしんどそうだな」

「たかがジョッキ二杯なんですけどね……。バイト先の先輩からお酒を飲む前には絶対にウコンを飲むように促されてたんですけど、忘れてました……」

「大丈夫かぁ?お前は見学側だしベンチで座って観てて良いから。それと大声で言えないが米田から後で話があるって言ってきたぞ」

「あ……、そうなんですか?もし後で『一緒に来てほしい』って言われたら同伴しますので、その時はよろしくお願いします」

「俺もその方が助かるわ……。とにかくお前はちょっとベンチで座ってろ」


 紗世は監督の言われるままにベンチへ座って球児たちの練習を観ることにした。監督は球児たちを集めて朝礼を行い練習が始まった。一平はベンチにいる紗世に気づき呆れたように見ている。そのうなだれてる紗世に嫌みは感じられず愛らしく思えた。そして野球帽を被ったマネージャーの米田が紗世のもとへ寄ってきた。


「先輩おはようございます!……ってどうしたんですか?顔色悪いですよ!」

「ハハッ、おはよう。昨日ちょっと調子に乗って飲み過ぎちゃった……。ごめんね、こんな姿を見せちゃって」

「とんでもないです!どうか安静にされてて下さい。それと、ちょっと監督へ話せる時間を作って頂きました」

「そっか……。一人で大丈夫?」

「大丈夫です!もう辞めるつもりでいますし……」

「えぇ!」


『いたたた……』立ち上がった瞬間に紗世に頭痛が走った。米田は冴えないような表情を見せている。しかし米田も今まで悩みを抱えて考え込んだ上での決断なのだろう。そんな米田へ紗世はかけてあげる言葉が見つからない。引き止めるべきかどうすべきかと悩んでいる。まだ知り合って二日。米田の考えまでは把握出来ていない。しかし話だけは聞いてみたいという思いもあった。紗世はその思いを優先することにして米田を隣に座らせた。本来ならマネージャーとしての役割を果たさなきゃいけないのは分かっているが源田監督も米田を心配しているため練習中でも会話することを許されていた。そして紗世は二日酔いを我慢しながら優しく米田へ声をかけた。


「今日も空気が冷たいね〜。米田さんは冬は強い方?私はダメ」

「そうですね〜。どちらかというと冬の方が好きです。私どうしても先輩のような美貌になりたいので紫外線対策は万全にしています」

「も〜、考えすぎだってば。米田さんとても可愛いじゃない。でもそうやって美を追求するのって大事だよね。私も、夏が好きでよく遊びに行くんだけど密かに紫外線対策はしてるの。……ここだけの話にしといてね」


 紗世はウインクをして米田へ緊張をほぐしてあげることにした。米田も初めは膝の上に手を乗せて目に力を入れたような表情で紗世の話を聞いていたが固まっていた表情から八重歯を見せて可愛らしい笑顔になってきた。紗世はグラウンドよりも空を見て地元の空気を堪能しながらそろそろ本題へと入る。


「そっか。辞めるかもしれないか……。前からもう考えてたの?」

「はい……。やっぱり今練習してるみんなをケアしてあげたい思いにはなれないんです。結局善意を見せて嫌な思いをさせられる。これも強引に考えると良い勉強になったし……」

「そうやってプラスに考えられる米田さんって凄いね。私があなたの歳頃なんて全く考えなかったなぁ。この間変な噂が流れたって言ったよね?それって嫌は嫌なんだけど、その時朝礼ででもみんなに主張してみた?」

「してないです……。どうせ笑われるだけで、監督から見たら些細なことと思って真剣に考えてくれるとも思えないし……。何もそんな小さな連中といてストレスためるくらいなら何か違うことに専念しようかなぁって」

「まぁたしかにアホを見れば見るほどイライラが募るばかりだよね。特に生理的に受けつけないヤツから近寄られて来るとさ、自分の価値ってこの程度?ってマイナス思考になっちゃう」


 他人のことに気をとられて肝心な自己分析を上手く出来てもいない米田は紗世の何気なく話す言葉が胸に響いていた。彼女自身紗世とは違い友だちは多い。ただこれを相談まですべきか?聞いてもらう価値がないと当初はそう思っていた。しかし自分の中に閉じ込めているうちにそれが日増しに彼女への負担へと変わっていってしまっていた。


「先輩でもそう思う時ってあるんですか?普通にスルーしてると思ってました」

「表向きはね。でも自分に負担をかけてまで他人に我慢するのって嫌なんだ……。だから嫌なものは嫌。米田さんはどう?そこまで辛いのなら辞めるのは構わないと私は思う。ただグラウンドにいる子どもたちにちょっとお説教しても良いんじゃない?」

「伝わりますかね……。ちょっと自信が……」

「あの源田監督に一人で相談しに行く勇気のある人があんなガキっちょなんか気にならないでしょ?例え上手く言えなくても気持ちで伝えれば相手もあなたが何を言いたいのか察しがつくはず。もし笑われたら私が黙っちゃいないから、その時は参戦させてもらうね?」

「ありがとうございます!」


 米田は紗世へ頭を下げてグラウンドの方へと戻って行く。頭を下げた後に見せた米田の目は少し潤んでいた。しかし彼女にも一歩踏み出す決意が出来たようだ。その先はどうなるのかは分からない。それ以上強制すべきではないと紗世は思っている。紗世の願いは色んな意味で悪戦苦闘している彼女が早く元気になってほしい。それだけだった。そう考えているうちに胃がムカムカして頭痛が走っていたがそんなのはもうどこかへ行ってしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます