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 二人は緊張した面持ちで一平や高校球児たちの練習風景を眺めている。軽いランニングの後、ここからが地獄の始まりだ。グラウンド内のブルペン横にあるところにみんなは集まり縦長の二十メートルはある砂が敷かれている。午前中は下半身強化のためまずは二人一組になり一人はうつ伏せになり立っている球児の腰付近に脚を巻くようにして上半身を上げてそこから水平を保つ。持ち上げる側も手は一切使えない。バランスを保ちながら砂場の上を歩くというメニューだ。やはり一年生は足場の悪い砂の上を歩くことは容易ではなかった。泣きそうな表情になって練習している球児もいる。『大丈夫!今が乗り越える時期だから!なんとか頑張って!』とその選手の頑張りを紗世は自然と両手を握って見守っている。冬だというのに選手たちからは大量の汗と熱気が凄く出ている。一平の体つきは高校球児たちとははるかに違っていた。もし相手の球児が一平の脚を巻かれてもこれはちょっと練習にならないだろうと判断した源田監督は一平を持ち上げる側にした。次のメニューはまた一人はうつ伏せになり今度は相手がその球児の足を腰付近まで持ち上げる。そしてうつ伏せにされた球児は前へ進むのではなく横に進むというメニュー。うつ伏せにされている球児への容赦はない。持ち上げられた膝を曲げるものなら源田監督から厳しい罵声を聞かされるハメになる。メニューをこなす球児たちはお互いを鼓舞しながら声を出して練習に励んでいる。中には腕に力が入らず先へ進めない。しかし源田監督は労わる言葉をかけることなく発したセリフがこうだった。


「もう終わりか!お前が終わらないと次のヤツが出来ねえだろうが!こんなんでへたばってるようじゃベンチにも入れないぞ!」


 そう言われている球児はうずくまってどうしても腕が言うことを聞いてくれない。大量の汗に息の上がり方が尋常ではない。そして源田監督がその球児に突きつけた言葉がこれだ。


「よし。もうユニフォーム脱いで良いぞ」

「……い、いえ。まだやれます……」

「ん?何か言ったかー?」

「まだやれます!お願いします!」

「だったら初めっからそう言え!グラついてた腕はどうなったんだ?ピンとしてるじゃねえか!しっかりやれ!」


 そして三つ目のメニューは球児を肩に担いで砂場の上を走るというもの。見た目は簡単そうに見えるが球児たちはたまらない。担ぐ方へ回っている一平だけは少し表情に余裕が見られる。それを逃さなかった紗世が一平へ一喝する。


「一平っ!練習するからにはもっと真剣にやんなさいよ!なに余裕ぶっこいてんのっ?」


 それを聞いた源田監督は苦笑いを浮かべている。少し懐かしい気分にさせられた監督は出来るものなら顔の力を抜いて見ていたかった。そして言われた一平は『よーし!』と言いながらスピードを上げていった。やっぱり一回り違う体つきの一平は担がれてる球児がとても軽い。そして四つ目のメニューは砂場の上でうさぎ跳びだ。その後も午前中は走り込みを中心に練習を行なっていった。


「よし、集合!」


 球児たちは体に残っている痛みを堪えながらも駆け足で源田監督のもとへ集まる。外見では分からないが腕が痙攣している選手が多い。決して空気が冷たいからではない。紗世の目から見てもそれは気づいていた。


「一旦、午前中の練習はここまでにする!午後は守備練習、バッティング練習、最後は岸田も初めは泣いた階段ダッシュだ!それで今日は終わりにする!」


 球児たちは一斉に返事をして解散すると一平は紗世の方へとやって来た。しかし紗世は一平よりも先ほどの練習で腕に力が入らずに源田監督から怒られていた球児のところへ行った。その球児は顔には出さないが明らかに腕が痙攣している。紗世はスプレー式のサロンパスを持ちその球児へ優しく声をかけた。


「おつかれ」

「あっ!お疲れ様です!」

「腕、大丈夫かな?ちょっと見せてくれる?」


 黒く肌焼けした球児の腕には筋肉が凝り固まり筋が張っていた。紗世は慌ててその部位にアイシングをしてその腕をほぐしてあげている。紗世に付いてきた一平はただ黙って二人のやり取りを見ている。そして三人はそのまま地べたへと座った。


「凄く張ってるじゃない!日頃ストレッチとかしてる?」

「あ、全体練習の前に……」

「ダメよー。練習前と終わった後のお風呂でしっかり体をほぐさなきゃ」

「は、はぁ……」

「ま、お姉さんに騙されたと思ってやってみなさい!」

「ありがとうございます!」


 球児は紗世と一平に頭を深く下げて寮の方へと走って行った。黙って見ていた一平は紗世の方を見るが紗世も紗世で目のやり場に困っている。先ほどまで熱気が出てたグラウンド内も昼休み中は静まりかえって冷たい空気が二人の顔を当ててくる。


「紗世〜。どうしてお前がここにいるんだよ〜」

「いや別に、ただ監督が今の球児たちの練習を観に来てやってくれって言うもんだから」

「ふ〜ん……」

「な、何よ〜。私だってここの卒業生なんだから観に来たって良いじゃない?あ、それはそうとさっき練習態度、あれはないんじゃな〜い?」


 一平は確かに力を抜いていた。そこを見破られて言い返す言葉が見つからない。


「はい……。反省してます」

「源田監督に言っちゃおうかなぁ。一平だけ階段ダッシュ十本追加してもらうように」

「お、おい!いくらなんでもそれは〜」

「じゃあ一平は帰んなよ。球児たちと同じメニューこなすだけじゃ進歩が無いじゃん。結局は上辺だけの時間潰しが目的だったの〜?」

「ち、違うよ!……分かったよ。紗世の言うとおりするから。その代わり最後まで俺の練習してるところ見ててくれよ!」


 午後の練習も始まり先ほど紗世から注意を受けた球児はストレッチを怠ることなくしている。そして源田監督自らジャンバーを脱いでバットを持ちノックを始めた。昼食後すぐで休憩も取れた高校球児たちは元気を取り戻し監督以上に大声を出して練習に励んでいた。数人が出番が来るまで一平へ歩み寄り守備の構え方などを教わっている。紗世はまさにこの球児たちの姿勢を一平に見習ってほしい思いでいた。もう一つ紗世が気になっていたのは米田のマネージャーとしての振る舞い方だった。確かに事細かくノートに何やらメモを取っているが紗世にはその姿勢に物足りなさを感じていた。紗世は高校時代は檄を飛ばしていたが米田にはそこまで求めるつもりはない。ただ、先ほど腕を痙攣していた球児に何も声をかけてあげなかったことが如何なものなのかと思っている。


「ねえ、米田さん。ちょっと訊いても良いかな?」

「あ、はいっ!」


 メモを取っていたノートを閉じて紗世の方へと振り向いた。源田監督もノックをする際に紗世が米田へ話しているのを時々目に入っていた。もちろん会話の内容までは聞こえない。紗世は行き過ぎた質問だと感じたら答えなくて良いと前置きした上で優しく話しかけた。


「米田さんって今何年生なの?」

「私……ですか?二年ですけど……」


 米田は紗世からの一言一言に対して緊張しながら答えている。それを察した紗世は笑顔を見せて先ずは短な間柄になれるように気を遣いながら話を続けた。紗世は最低限の礼儀さえ心がけてくれればそれ以上米田へ求めるつもりもない。緊張したままでは米田の本心も聞けないだろうと思ったからだ。


「米田さんもしかして私と話すことに緊張してる?」

「えっ、あ、はい……。やはり先輩ですし」

「ハハッ!そっか。言葉使いは大事かもしれないけど、とりあえず肩の力を抜きなよ」


 そう言われた米田は目を閉じて軽く深呼吸をして紗世へ笑顔を見せる。二十歳になった紗世からはとても米田の笑顔があどけなく見えて可愛らしいと思った。


「すみません。お気遣いありがとうございますっ!」

「ううん……。いきなり知らない人から声をかけられると緊張しちゃうもんね。じゃあ質問しても良いかな?」

「あ、はい。何でしょう?」

「米田さんはノートに何か書いてるみたいだけど、監督の指示でかな?」

「はい。投手に関しては投球練習の際どこを投げているか。野手に関しては事細かく守備につく際の練習態度から色々……」

「そうなんだ。それ以上は何もするな的なことを言われた?」

「いいえ。特には……」


 米田は紗世が何を訊きたいのか理解出来ずにいる。紗世もあまり米田へストレスを与えないためにそろそろ本題に入った。


「ねえ、午前中の練習後にさ腕を痛めている子がいたんだけど気付いてた?」

「あ、数人はそんな仕草を見せてたのは知ってました」

「米田さん、その時何もしてあげなかったよね?プロでいうチームドクター的なこと。どうしてかなぁって」

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