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 一平はその日の練習が終わりユニフォームが泥だらけの中寮へと帰って来た。日々キツい練習をこなしているつもりだが漫画のように練習したり鍛えたりするたびに強くなるのを望んでいるが、一平の場合は逆に疲れだけがどうしても取れない。寮の入り口近くまでたどり着くと管理人が気持ち良さそうに一服していた。


「よ〜、お疲れさん。今日も頑張ったみたいだなぁ」


 もう日が暮れて足場が見えない中歩きながら管理人の問いかけに答えようとした時、脚に力の入らない一平は砂利に引っかかり勢いよく転んでしまった。大してケガをしていないが転んでビックリしてツボにハマったかのように一平は爆笑しだした。管理人も小声で笑っている。


「いや〜、今のお前さん見事なコケっぷりだったぞ。良かったなここにいるのがオレだけで」

「そうですね。でもホント恥ずいっすよー!良かったぁ、他の人に見られなくて」

「それでどうだい、プロになれた気分は?」

「どうでしょうかね〜。ただ背番号が二桁に変わるくらいでしょうか」

「もう番号は決まったのかい?」

「いえ、まだです。それでおじさんに相談なんですけど縁起の良い番号とかってあったりします?」


 一平のレベルの低い質問に管理人は吸っていたタバコの煙が喉に引っかかりむせ出した。意外に咳が長いために一平は管理人の背中をさすっている。一平はただ普通に質問したつもりがこんな反応を見せられるとは思いもしなかった。


「あ〜、死ぬかと思った……。お前さんがバカな質問してくるからだぞ〜」

「い、いや僕はただ訊いただけですよ〜。おじさんだってなにもそこまでむせなくても〜」

「そりゃそんな質問されたら笑いたくもなるさね〜。縁起の良い番号なんて考えたことも無えからさ〜。今はどうであれ空いてる番号を選ぶしかないんだろ?それで自分に似合いそうだと感じたらそれを着たら良いじゃないか」

「今までおじさんにそんな相談とか無かったんですか?」

「あ〜、何人かはいたぞ〜。でもお前さんに答えたようなことしか言ってねえなぁ。まぁ今度背番号の件とか話し合う時間を設けてもらえてるんだろ?その時適当に決めりゃ良いじゃねえか。それか例のお嬢さんに決めてもらうかぁ?」


 急に紗世のことを言われた一平は顔を赤くして管理人に頭を下げて寮の中へと入って行った。先程の脚の疲れはどこへ行ったのやら軽快に寮の階段を上って行く。管理人の言うとおり紗世に決めてもらいたい気持ちもあった。背番号ばかりはどう判断すれば良いのか一平には全く分からない。高校の時は守備に合わせて背番号が決められていたがプロではそんな決め方ではない。しかし今紗世へ電話してしまうとプロ契約を結べたことを言いかねない一平はどうしようかと悩んでいた。それとは別に紗世の声を聞きたい気持ちもある。そう考えれば考えるほど一平は紗世の声を聞きたくなってたまらなくなってきた。そして二人部屋を借りている一平の同部屋の選手は風呂場に行っているのか誰もいない。一平は机の引き出しに付いてる鍵を開けてスマートフォンを取り出し紗世へ電話をかけた。


『もしもし?』

『あ、加美川?オレ岸田だけど……』

『いちいち言わなくても分かってるしー!それでどうかしたの?』

『あ、その〜……』

『また声を聞きたくなったってヤツ?』

『まさにそれ……』


 一平の返事に紗世は吹き出しそうになった。紗世は一平よりも一枚も二枚も上手だった。一平は返す言葉がない。しかし紗世の声を聞けただけで十分嬉しい。もう少し口調が優しければ尚更だった。


『わ、笑うなよ〜っ!』

『ごめん、ごめん。それで、今日も練習だったの?』

『ああ。今日もユニフォームを汚しまくった!でも八月くらいに比べると汗がすぐ引くようになったかなぁ』

『そっか。もうあと少しで十一月だもんね。早いよねー、時間経つのって』

『ホントだよなぁ。あ、そうだ。加美川さ、明後日の木曜日って空いてる?』

『木曜日?夕方からでなきゃ空かないかなぁ。どうかしたの?』

『いや、今回はオレが会いに行こうかなぁって……』


 紗世は会って何をすれば良いのか思いつかない。出来るものならイタリアン料理店へ連れて行きたいという思いもある。その店のオーナーが大の野球好きだからだ。しかし一平は二人の時間を作りたいという考えであれば紗世は正直会いたくはない。


『また固まる〜。オレってそんなに難しいこと言ってっかなぁ……』

『じゃあ訊くけど会ってどうするの?』

『は?ご飯くらいは付き合えよ!それも厳しいか?行きつけの店くらいはあるだろう。それに九時にはここに帰って来なきゃいけないし……。なんだかオレってスゴいアウェーに行かされそうな気分』


 紗世はそれを聞かされてホッとした。そうであればイタリアン料理店へ連れて行っても良いという思いに変わってきた。ただし早くて夕方の五時に会ってもゆっくり味わって食べることが出来るのだろうかという疑問が出てきた。ただ一つだけ気楽に思えるのは郡山球場の最寄駅とは違い、イタリアン料理店の最寄駅ははるかに人数が多い。あそこで突発的に抱きしめられる心配は要らないだろう。


『分かった。なら行きつけのイタリアン料理店があるの。あそこなら静かでゆっくり会話しながら食事も出来るし、そこで一緒に食べましょ?』

『了解っす!チョー楽しみ!ドタキャンは無しだぞ!じゃあな』

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