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 お盆も過ぎた八月の中旬。実家へ帰ることなく紗世は暇つぶしに大学の図書館へと来ていた。館内は係員以外全く学生がいない。紗世が受けている講義の中で夏休みの宿題と言ってはなんだが、レポートを提出しなきゃいけない科目がある。暇で暇で仕方ない紗世は窓ぎわに座り『こんな時に翔子がいてくれたなぁ〜』と思いながら数冊書籍を机に置いたまま肘をついてペンを鼻と口の間に挟みボーっと外を眺めていた。この日は雲が広がっているがどんよりしたような空ではない。そんな時、紗世のスマートフォンにバイブ音が鳴る。画面を見ると一平からだった。


『いきなりメールしてごめん。大した用事は無いんだけど、元気?』


 一平は紗世を駅で見送ってから全く音沙汰が無い。内心『抱きしめた行為を不快に感じてるんじゃないか?』と少し気に病んでいた。紗世も連絡をしようとは思っていたが、『またドームで一軍の選手と練習する日があるだろうし、その時に話せれば良い』という軽い感じでいた。しかし最近一平はドーム球場に姿を見せていない。


『元気だよ!この間テレビに出てたんだって?』

『あー、それな。あの時は誰も映りたがらなくて監督命令で仕方なく出されたんだ。マジでチョー恥ずかった!』

『でも良かったじゃん!少しは有名になれたんじゃない?それはそうと最近ドームで練習させてもらえてる?全く見かけないけど』

『それがさー、一軍の選手と仲の良いヤツが未成年にも関わらず酒飲みに行っちゃってそれがバレてさー、連帯責任で三軍の選手全員ドームで練習するのを禁止されてるんだ。ホント参ったよー』

『あーらら』


 ドーム球場で見かけない理由がはっきりして紗世はホッとしていた。てっきり練習中に怪我でもしたのかと。それだったら勿体ないと思いながら二人のやり取りは続く。


『加美川さ、今度いつ会える?』


 唐突にこんなメールが来て紗世は一瞬驚いた。一平は紗世に好意を寄せているが紗世の気持ちはそこまで行っていない。しかし嫌な気分にはならなかった。紗世はどう返そうかと悩んでいる。


『あ、ごめん!言い方が悪かった。今度いつ球場へ来れるかなー?』

『どうしたの?一体。しっかり頑張ってるんでしょ?』


 紗世は一平の言いたいことはなんとなく分かっていて、少し一平を揶揄ってみることにした。最近の紗世は意地が悪い。しかし一平から素直な返事が来る。


『だからその姿を観に来て欲しい。って理由じゃダメかな?』


 紗世は素直な一平を揶揄うのが面白くなってきた。最近恋をしていない紗世だが至って冷静だった。しかし駅で抱きしめられた時はさすがの紗世も一平の体に腕を回しかけていた。観に行った時は紗世も一平に対する下心なんて持ってはおらず、次第に一平がユニフォームを汚しながら練習している姿にうっとりとしていったのも事実だった。


『分かった。いつ行けば良いの?今週はアルバイトがあるから来週でなきゃダメよ』

『来てくれるんだ!じゃあ来週の今日はどう?火曜日』

『火曜日ね。じゃあその日に行くから。たるんだ姿を見せたらすぐに帰るからね!』


 紗世は内心嬉しかった。それは一平に会えることも少しはある。それ以上に勇ましい選手たちの練習を観に行けることが。汗を掻きながら大きな声でノックを受ける姿、何かを目指して必死に頑張る目つき、その光景を観るのは高校時代から好きだった。そして紗世自身もただ観てるだけじゃなく彼らを見習って先へ進む精神力を養って行く。それが源田監督から教わった哲学だった。決してそれは厳しい教育ではない。それを実行して来たことによって紗世も気が強くなれた要因の一つでもある。

 メールを終えて紗世はとりあえずせっかく持ってきた書籍を使わずに帰るのは勿体ないと思い、ペンを持ってレポートを書き始めた。夕方の四時になろうかという頃、館内にいる学生は紗世だけのままだった。

 そして翌週、お昼過ぎに紗世は郡山球場へと来ていた。この日も前回と同様にセミの鳴き声が大きく響き渡っている。そして日差しも強い。そんな中紗世は前に来たスタンドの近くに座りグラウンドを眺めていた。この日はスタンドには満席とまでは言わないが多くの観客が来ている。それはベテラン投手がケガから復帰した初日でもあったからだった。アメリカのメジャーリーグで成績を残したその選手は二年前に古巣であるこの球団に帰って来たが、肩を痛めてから今シーズンは出遅れていた。復帰するというニュースはどのメディアからも取り上げられており、ひと目その選手を観ようと来たのだろう。球場の外では多くの観客が来る事を見越してか露店が並んでいた。それだけその投手の存在価値が大きいことを窺わせる。紗世も興奮気味にスマートフォンのカメラ機能を使って撮ったりしていた。

 この日のベテラン投手はバッターを立たせて投球練習をしていて紗世はよく観るとその相手に見覚えがあった。その相手はなんと一平だった。一平は臆することなく堂々とそのベテラン投手が投げるボールを打っている。その姿を観て紗世は胸が高鳴っていく。そしてこの時点で一平のユニフォームは土の付いた跡が残っていた。

 暑い中、紗世は黙々と水分補給をしながらグラウンドで練習している選手たちを観ていた。紗世から観ても分かるぐらい一平を含め多くの選手がバテている。しかし一平だけは理由のない怒りをぶつけるかのように大声を出してノックを受けていた。そんな一平の姿を観ていると突然白髪頭の男性が紗世の所へとやって来た。その男性は管理人だった。紗世は初対面になるかもしれない。しかし管理人はこの間一平とキャッチボールをしている姿を観ていて紗世の姿をしっかりと覚えている。

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