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 残念ながら今日はホームチームの負け試合となってしまった。久々に帰る前のミーティングで売り上げを聞かされるとこの日の売り上げは三百杯ちょうどで香織の方は三百八十で四百までは届かなかった。そして更衣室へ向かう際に本来なら三百まで売れたことを喜んでいるはずだが、紗世は日を改めて二軍、三軍の試合が行われている県境の郡山(こおりやま)球場へ一度行ってみようかどうか迷っていた。あれから一平から連絡は無い。しかし高校時代のような野球に対する思いを奮い立たせてくれれば間違いなく開花するのではないかと思ってならない。紗世はマネージャーをしていた時、何人の部員に檄を飛ばしてその気にさせてきたことか。紗世にとってそれだけは唯一の自慢だった。万が一この特徴で一平を救えるのならと高校時代の血が騒ぎ始めていた。


「紗世ちゃん、お疲れ」

「あ、香織さん!お疲れさまです」

「どうしたのー?また悩みごとー?」


 香織の問いかけに笑顔を見せるまでで言おうとしない。紗世の中では他人にまで相談するほどのことではないと思っていた。これに関しては決して強がっているわけじゃない。そこまで一平に対しての想いは持っていないからだ。


「香織さん、今度郡山球場へ行って来ます!」

「あら、またどうしたの?あ、例の同級生に会いに?」

「そうなんです。ちょっとアイツが今どんな思いで野球をしてるのか訊きたくて」

「そっか。一人で?私も付いて行こうか?」

「ありがとうございます!でも今回は面等向かって話したいので……」

「なるほど、そういうのも大事よね。何か復調のきっかけが見つかると良いね」


 香織は微笑みながらそう言って紗世が悩み混んでいるような雰囲気が少し気がかりになっているが深く追及するようなことはしなかった。一方、アパートへ帰って来た紗世は一平へ電話をすべきかと落ち着いてはいられなかった。掛け時計を見るとまだ夕方の六時前、消灯時間にしては早すぎる。紗世は緊張しながらもスマートフォンを開いて一平へコールをしてみた。しかし一平は電話に出ない。とりあえず着信履歴には残り確認するだろう、それで一平の気分次第ではかけ直してくるかもしれない。紗世は電話がかかってくるのを待つことにした。そしてバルコニー越しから眺める景色はどんよりとして今にも雨が降り出しそうな雲行きになっている。この日は買い出しに行く必要もなくただボーッとしていた。そんな時スマートフォンから着信音が鳴る。紗世は慌てて画面を見ると一平からだった。


『もしもし!岸田君?』


 一平は紗世の問いかけになかなか返事をしようとしない。源田監督からも何か言われたのだろうか、それとも紗世から半ば呆れたような口調で言われることを予測して躊躇っているのだろうか。紗世は改めて声をかける。


『ねえ、何か言ってよ……』

『……ごめん。加美川に釈明する言葉が思いつかなくてさ……』


 明らかに一平は落ち込んでいる。高校時代の紗世であればここから一喝していただろう。しかし冷静に一平に問いかける。


『今日。源田監督が観に来てたの知ってた?』

『は!監督来てたの?そ、そうだったんだ……』

『うん……。家族で観に来てた。元気そうにしてたよ』

『ハハ……。じゃあ今日の練習態度を観て嫌な思いさせちゃったかな……。源田監督のことだから気付かないはずがないだろうし』


 紗世は敢えてそれに関しては何も言い返さなかった。紗世はなにより今の一平の心境を知りたかった。一平は重い空気をさらに醸し出している。それは電話越しでも伝わってきた。紗世は電話をしながらバルコニー越しから雨が降り出している外を眺めている。


『ところで、オレに言いたいことがあって電話してくれたんだろ?慰めは要らない。勿体ぶらないで言ってくれよ……』


 紗世は一瞬躊躇った。しかし今の一平の口調を聞いていて紗世が檄を飛ばしても吹っ切れる気がしない。紗世は意外な言葉から始めた。


『岸田君さ、高校の時よりきちんと体づくりしてたんだね……』

『あ、ああ。ここの寮って栄養士さんや色んな専門の人がいてさ、食生活からきちんと指導してくれてるんだ……』


 てっきり一平は紗世から激しく罵られるようなことを言われるんだと思っていて、少し拍子抜けされたような気分だった。


『私、驚いたなぁ。高校時代よりしっかりした体づくりをしてるんだもん。でもこの間の試合、結果出せなかったね……』


 一平は黙っている。半ば戦力外になるのも時間の問題だろうと自覚をしている中、一平には必死になって取り組む気力なんてもう失いかけていた。


『どうして試合中なのに笑ったりなんか出来るの……?』

『……加美川には分からないと思うんだけど、そうでもしなきゃやってられないんだ。どうせ球団から戦力外って言い渡されるのも近いだろうし……』

『そっか……。でも試合の数日前にさ、岸田君言ったよね?私が観に行くことによってガムシャラさを取り戻したいって。それって何だったの……?』

『それは……』


 一平は固まった。そう。それが目的で紗世へ観に来て欲しいとお願いしたはずなのに一平は第一打席の不甲斐ないところを見せた時点で頭が真っ白になっていた。


『ねえ、その戦力外通告ってさ。もう言われるような空気になってるの……?』

『何が言いたいんだよっ!不甲斐なかった、惨めだった、観てらんなかったって正直に言えよっ!』


 紗世の意外な態度にしびれを切らした一平は我慢出来なかった。しかし紗世は冷静に話を続ける。


『うん、最低だった……。でも今の岸田君って結果を出せない苛立ちを発散出来るような場所を見つけられずにいるんじゃない?ダメだよ。我慢なんてしてたら……』

『加美川……』

『まずはそこからじゃない……?岸田君ってさ、高校の時なんて守備練習の時に源田監督に認めて貰いたくて大声を出しながらノック受けてたじゃない。今はどう?』


 一平の荒かった鼻息も徐々に落ち着いてきた。紗世は決して一平のために性格を作って言っているわけじゃない。しかし紗世の言い分は間違っていない。一平があの時の試合中に見せていたのは笑顔ではなくて苦笑いだったんだ。


『……加美川。オレにはもうどうしたら良いのかが……』

『なにバカなこと言ってんのよっ!しっかりしなさいよっ!』


 遂に紗世は怒りを爆発させてしまった。電話越しとはいえ一平は紗世の怒鳴り声に言いかけていた弱音が出てこない。


『なんだかんだ言ってもまだ球団にいさせてもらえてるわけじゃない。だったら昔みたいに声を張り上げて怒りを発散させながらユニフォームをとことん汚すまで練習しなさいよ。しかも試合中に笑うなんて……。笑うのは一生懸命練習したその日の達成感を満喫した時だけにしなきゃ。辛いでしょ?いつまでも観客の前で不甲斐ないプレーをして苦笑いを見せるなんて……。それに何様なの?一流の選手じゃないんだよ?試合前に一軍の選手と練習までさせてもらえてるんでしょ?だったらそこも活かしなさいよ。何よ、あの力のこもってない表情。大の男がたかが高額年俸の相手に怯むんじゃないよ!』


 紗世の一言一言が一平の胸に突き刺さる。


『私、今度アンタの練習態度を観に郡山球場へ行くから!ふざけた態度で練習してみなさいよー、アンタを引きずってまで源田監督の鬼練習受けさせてやるんだから!じゃあね』

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