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 人それぞれ嫌なことはたくさんあるだろう。紗世の場合は気が強く『やられたらやり返す』というスタンスに変わりはない。しかし今回は罪悪感を抱くことが紗世にとって今まで味わったことのないくらいの重荷だった。その悩みが解消出来ない辛さを我慢していたという認識を持っていなかった紗世は無意識のうちに深い暗闇へと入ってしまったのだろう。そして吹っ切れる糸口を見つけることが出来た。健二には気の毒だが紗世はそのおかげで今まで気付かなかった悪い部分を見つけることも出来た。これからの紗世にとって大きな収穫となったことだろう。

 スタンドへ入り、まだ試合開始前だというのに紗世の販売するビールを買い求める声が次々と聞こえてくる。こんな事なんて初めてで嬉しい気持ちとそれとは別に戸惑いも感じている。スタンド内の通路を歩いていると何人かの男性がアルコール臭を漂わせながら紗世とすれ違う。暑いために多くの観客が買っているのだろう。

 そんな中、紗世はスタンドの階段を下りる際にグラウンドを見ると一平が球拾いを手伝っている。この日はユニフォームではなくて球団のジャージを着ているだけだった。そんな一平の姿に紗世の目にはただグラウンドで雑用をしているようにしか見えない。せっかく一軍の選手と同じグラウンドに立っている健二は歩み寄るような素振りすら見せなかった。もちろん高額年俸の選手に緊張して声をかけられないのかもしれない。ただ、今だからこそ日増しにより一歩を踏み出す一平を見たかった。


「おーい、加美川」


 紗世は呼ばれた方へ振り返ると目を見開いて驚いていた。紗世に声をかける六十代半ばの男性は小学生になる男の子の孫二人と奥さんを連れて来て会うのは高校を卒業して以来になる。


「源田監督ー!ご無沙汰してますーっ」

「いやー、二年ぶりだよなー?エラいべっぴんさんになってー、驚いたぞー!」

「そんなー。とんでもないですーっ。わざわざ試合を観に来られてたんですか?」

「そうなんだー。流石に土日って車が混んでるなー、駐車出来る場所を探すのに苦労したぞー」

「ハハ……。ここは平日でも混み合いますからねーっ。でも、お元気そうでなによりですー!」


 そう話している間に違う座席にいる観客からも声をかけられてくる。こちらの方はただビールを求めて呼びかけただけだ。一旦、離れて呼ばれた方へ接客をしてまた源田監督の方へと戻った。


「お孫さんも大きくなりましたねー!」

「身なりだけはなー。加美川も元気そうで安心したぞー!それでな、岸田が時々ドームで練習してるって聞いて気になってなー、ちょっと観に来てみたんだー。知ってたかー?ここの三軍にいるの」

「はいっ。この間従業員専用の通路でバッタリ会いましたーっ。監督は岸田君と連絡を取ってたんですかー?」

「いやこの間、当時の部員に一人ずつ電話したんだー。元気にしてるかなーと思ってさ。そして岸田にも電話したらここでまだ在籍してるって言うじゃないかー!」


 さらに深く訊きたいが紗世はアルバイト中でそういうわけにもいかない。それで源田監督へ端的に訊いてみた。


「岸田君、今グラウンドにいますけど、監督の目にはどう映ってますー?」


 源田監督は少し眉間にしわを寄せてグラウンドを見ながら話し出した。


「ダメだなー。全くアイツは危機感を持ってない。このままじゃ年内には戦力外っていう形になるだろうなー」

「ですよねー……。分かりました!今日はお会いできて本当に嬉しかったです!是非またご家族で観戦しに来られて下さい!」

「おー、ありがとうなー。加美川も偶には高校に戻って来いよー!あの時みたいにお前からも今の部員に一喝してやってくれ!」


 お互いに再会する約束をし、源田監督の奥さんにも頭を下げて紗世は仕事に戻った。やっぱり源田監督も一平の姿勢を見て同じ気持ちを抱いている。それよりも美人に成長した紗世の姿の方に源田監督は感心していた。そして源田監督の奥さんが話し出す。


「あの子、見ないうちに綺麗な顔になったわねー」

「そうだなぁ!俺も岸田より加美川の変貌ぶりに驚いちゃったなー、昔の母さんと出会った頃を思い出すよ」


 ハンバーガーを齧り付く孫の頭を撫でながら源田監督はそう言うと、奥さんは照れを隠せず力任せに源田監督の背中を叩いた。

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