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「さあ紗世ちゃん乾杯しましょ」


 香織は右手でフルートグラスを持ち上げ紗世は前回グラスを当てるのはマナー違反になると言われたことを教訓にフルートグラスを持ち、そのままお互い笑顔を見せて言った。


「乾杯!」


 キッチンから料理を作りながらその光景を見ていたオーナーは微笑んでいる。そして紗世はそっとフルートグラスに口をつけてひと口飲んでみて、その姿を見た香織は微笑んで訊いてきた。


「どう?飲みやすいでしょ?」

「はいっ。そんなに嫌味も無くてとても飲みやすいです!オーナーさんありがとうございます!」

「もうすぐそのワインに合う前菜をお持ちするから待っててねー」


 キッチンで料理を作っているオーナーの呼びかけに二人は無意識にフルートグラスを持ち会釈をして応えた。もう紗世はこのお店の雰囲気やマナーが分かってきて香織が教えるまでもない。するとキッチンからオーナーが料理を盛ったお皿を両手に二人のいるテーブルへ持ってきた。


「はーい、お待たせー。本日の前菜はスモークサーモンのサラダ。スパークリングワインに合うようにオリーブオイルと自家製のイタリアンドレッシングをかけてみたんだ」

「早速出ましたねー。オーナーさん自慢のドレッシング!」


 ここのお店の出る料理にかけるドレッシングはオーナーの手作りで出来ている。それだけ自信もありこだわりも強く持っているようだった。そして今までそれを使った料理を口にするお客さん全員が満面の笑みを浮かべていて、香織も何度もそういったオーナーの作る美味しい料理を食べてきた。


「あー……。やっぱりいつ食べてもオーナーさんの作る料理って美味しいですねー」

「ホントですねー。こんなにワインと合うなんて、とても美味しいです!」


 紗世は前菜からこんな美味しい料理を出されてメインディッシュや奥さんの用意してくれているケーキがどういったものが出て来るのか予想もつかない。その都度違うワイン、または料理に合う他のお酒を持って来るのかもしれない。しかし今はスパークリングワインの味わいが紗世を満足させていた。香織も嬉しそうな表情を見せながら飲んでいる。二人ともまだ全く酔っていない。


「香織さん、前菜が美味しすぎてこの後どんな感じの料理が出て来るんでしょうかね……?」

「ん?オーナーさんのことだからちゃんと考えてくれてるよ〜。ですよねー」

「そうだよー。紗世ちゃんの気に入ってもらえる料理を今作ってるからー。楽しみはこれからさー」


 そうやって会話をしていくうちに二組のお客さんがお店へ入って来た。一組は五十代の女性同士、もう一組は三十代の夫婦だ。そんな中オーナーは料理を作っていて手が離せない。


「いらっしゃいませー。空いてるお席の方へどうぞー」


 夜の七時過ぎ。それからさらに数組の人たちがお店へ入り、15卓あるテーブルはあっという間に埋まっていた。お互いにスパークリングワインを飲み終えて、オーナーの奥さんもキッチンへやって来て紗世たちに気がつくと笑顔を見せて手を振っている。二人は奥さんへお酒が少し回ったのか頬が赤くなった表情を見せながら会釈をした。そして香織は紗世のグラスを見て奥さんに空いたグラスを掲げ違うワインを注文する。


「奥さん、こんばんは。すみません、ワインをお願いします」


 注文を受けた奥さんはオーナーに耳を傾けて何か会話をしている。スパークリングワインを飲む前に言っていたシャルドネを出すように言われているようだった。その会話の後奥さんはオーナーへ笑顔で頷いている。そして二人のテーブルにワイングラスとボトルを持って来た。奥さんはスラッとしてオーナーとはまた違うカジュアルなデザインの服を着ている。また長い髪に軽くパーマをかけているためにより奥さんの美貌を感じさせられていた。


「いら〜っしゃい。あら〜、紗世ちゃ〜ん。今日はお誕生日会だったね。おめでとう」


 また香織とは違う大人っぽさのある奥さんの美貌に紗世はうっとりとしている。香織が見本にしたくなるのも無理もない。


「ありがとうございます!お酒が飲める日を迎えれた場所がこのお店でとても嬉しいです」

「まあ!紗世ちゃんからこんな嬉しい褒め言葉を貰えるなんて。あなたたちと今日という日を過ごせる私たちも嬉しい思いでいっぱいよ」

「紗世ちゃんも大分このお店に慣れてきてるみたいですよ。私なんて奥さんにそんなしゃれた感じの言葉なんて思いつかないし」

「香織ちゃ〜ん。あなたもここに来た当初似たようなこと言ってたじゃな〜い?」

「えぇ!私そんなこと言いましたー?全く覚えてないなー……」


 照れ隠しを見せる香織を優しく包み込むような笑顔を見せてワイングラスにシャルドネを注ぎ始めた。オーナーの上品な注ぎ方とはまた違ったワインの注ぐ音が二人へ奥さんの優しさを感じさせている。


「二杯目はこの白ワインという話になってたんだよね?」

「そうなんです。シャルドネは人気なワインですし紗世ちゃんにもきっと満足してもらえるような味わいですよね?」

「ええ。酸味があってそれを堪能しながら召し上がると良いよ、この後お出しするメインディッシュとの相性も良いから」

「ありがとうございます!楽しみにしています」


 奥さんがキッチンへ戻ると隣に座っている二人組みの中年女性が紗世たちに声をかけてきた。このお店の常連で香織とも顔馴染みだ。


「あら、お嬢さん。今日はお誕生日のお祝い?いくつになられたの?」

「先週、二十歳になりました」

「そうなの。じゃああなたも大人の仲間入りねー。お誕生日おめでとう」

「あ、ありがとうございます!」

「紗世ちゃんここって良いでしょ?みんな親しくして下さるから」


 香織はそう言って二人組みの中年女性へ会釈して相手も笑顔を見せながら応えている。そんな香織とのやりとりを見ていてこの日ほど最高な誕生日を祝って貰ったことがない紗世は一瞬『ここって現実の世界……?』と疑いたくなるほどだった。そしてキッチンの方から奥さんが料理を持って来た。


「はい、お待たせ。今日のメインディッシュは薩摩牛のフィレステーキ」


 ワインとにんにくを使って作ったソースの匂いが紗世の食欲をそそらせる。紗世はおしゃれに盛り付けられたステーキを見て戸惑っている。


「うわぁ……。すごいおしゃれ……。私、味わかりますかね……?」


 紗世の言葉を聞いた香織と奥さん、そして隣に座っている二人の中年女性まで声を出して笑い出した。香織は間違いなくこんなことを言うだろうと予想はしていた。さらにほろ酔いの状態で言う紗世が香織から見て可愛くてならない。奥さんも二人組みの中年女性も同じ思いで紗世を見ている。


「紗世ちゃん、何言ってるのー。オーナーさんの作った料理だよー。きちんと考えてこの白ワインに合う料理を出してくれたんだからー」

「香織ちゃんの言うとおり、大丈夫よ。ここの出す料理は他のお店よりもさらに見映良くお出しするのを心がけてるの。今、紗世ちゃんの言ってくれたことって夫にとってこの上ない褒め言葉なんだから。ありがとう……」


 それを聞いた紗世はキッチンにいるオーナーの方へ見ると立ったまま優しく笑顔を見せている。オーナーにとっても料理の未知の世界へ踏み込んでくれている紗世の反応に満足していた。


『出来る限り初めてお酒を飲めるような日を迎えた一人の女性にワインの楽しむ世界の扉を開けてあげたい……』


 これは香織が初めて来た時もそうだった。


『これからはただ飲んで酔い潰れるようなことをするのではなくて、そのお酒の香りや味を楽しんでもらえるような日々を過ごしてほしい……』


 そんな思いのこもったオーナーのステーキを紗世はひと口食べてみる。噛んだ瞬間、これ以上にないくらい目を大きく見開いて一言。


「美味しい……」

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