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「紗世ちゃん……。一体どうしたの?」


 スタッフルームにいる何人かも紗世が泣いていることに気付いている。そんな中、紗世へ声をかけて来たのは香織だった。紗世自身もなぜ自分がここまで泣いているのか分からず上手く説明が出来ない。しかし一つだけ思い当たるのは元カレである健二の一件もあった。紗世はこれからどうやって人と向き合えば良いのか?と、ここ最近ずっと考えさせられていた。そして一平も週末の試合の感想を訊いて来るだろう。しかし紗世は試合前に見た一平の顔を見ただけでもう答えは出ていた。

 そんな中、香織がそっと紗世の肩に手を置いて来た。香織は優しい表情を浮かべながらも自分の事のように紗世の目を見ている。それでも紗世はまだ言いたくはなかった。全ては一平のプレースタイルを観てから、そして健二との一件も聞いてもらうことにしようと。


「大丈夫です。ちょっと疲れが溜まっちゃって体が音をあげちゃったんですかね……」


 見た目が可愛い紗世にこう言う弱った時だからこそ自分に好意を持ってもらおうと欲を持った数人の男性スタッフが軽い口調で声をかけてくる。その優しい言葉を使う口調は誰が聞いても作りきったものに過ぎない。


「ねー、大丈夫ー?あれだったら仕事が終わって話聞くけど?」

「オレはさ、結構たくさん悩みを聞いて来たから一緒に解決の道を見つけられると思うよ。良かったらバイト終わってオレたちとゆっくり話そう?」


 上辺だけで都合のいい言葉を並べたようなものだった。それを横で聞いていた香織は呆れて物が言えない。


『あ〜あ。あんたたち、今から紗世ちゃんに怒鳴りつけられるわよ〜……。私知〜らないっ』


 香織の予想はまさに的中。次第に紗世は肩が震えだし、ゆっくりと言われた方へ振り返る。その表情は泣きじゃくって腫れた目が更に怒りを見せる紗世の表情に貫禄をつけ、そして……。


「うるせぇんだよっ!バカじゃないのっ!下心丸出しで声かけてんじゃねーよっ!オメーらみたいなヤツは尻軽女にでもナンパしてろっ!この変態どもがっ!」


 香織は額に手を当てて苦笑いするしかない。そして言われた方の男性スタッフは紗世の迫力に固まり口をポカーンと開けて突っ立ってるままだ。それでも紗世はまだ睨みつけている。紗世にとってはある意味好都合で怒りをぶつけられる場所が出来たようなものだった。香織はそっと紗世の背中を押して一緒にその場を後にした。


「ハハっ。今日も紗世ちゃん節が炸裂しちゃったね」


 香織の優しい語りかけに紗世は徐々に冷静さを取り戻しいていく。紗世は今になってスタッフルームで自分のした事を恥ずかしく思えてきた。突発的に怒鳴るのを改善したいが、やはり持って生まれた性格を変えるなんてなかなか出来ない。


「す、すみません。お見苦しいところを……」

「ううん。だってあの二人さ、明らかに違う意図を持ってるような雰囲気だったもん。私もきっと同じこと言ってたな〜」

「香織さん……」


 紗世にとって同情してくれる人がいてくれるとその嬉しさは言葉で表現出来ない。それが香織だと余計に嬉しかった。おそらく紗世にとって他人の意見を素直に聞き入れることが出来るのは翔子と香織の二人だけだろう。この二人の助言なら間違いないと。


「さて、じゃあ私はスタンドに戻るね。今日の売り上げの目標は三百は行きたいから」


 そう言って香織はスタンドへと入って行く。てっきり別の場所で紗世が抱えている悩みを訊いてくれるのかと思っていた。


『え?香織さん、私の悩みを聞くより売り上げの方……?』


 紗世はたしかにまだ打ち明けたくはなかったが少し香織の態度に戸惑いを隠せなかった。しかしそれは香織にも考えがあってのことだ。今、二人の抱いている思いや悩みはきっと週末に香織行きつけのイタリアン料理店で行われる紗世の誕生日会かそのあたりで明らかになるだろう。だから急いで聞くことはないと思っていて場合によっては香織にとって信頼できるオーナーの奥さんの助言も聞かせてあげたかった。香織はそれで精神的に何度も救われたからだ。

 あれから紗世は自分のペースを取り戻し暑い中ビール売りをしていた。もう試合も始まっていてグラウンドには一平の姿も見当たらない。この日はそれ以降アルバイトに専念することが出来た。アルバイトが終わり従業員更衣室のロッカーで鏡を見ながらこんな顔になるなんて紗世はいつ以来だろうか、目の腫れがどうしても治らない。しかも人前で泣くなんて初めてのことだ。すると女性スタッフが話しかけてきた。


「今日の加美川さん、凄かったねー。あれ?目が腫れてんじゃんっ」

「う〜ん、何でかな〜?ちょっと涙腺が緩んじゃった」

「そうなんだ。まあ、あの男どもはさこの間も違う販売の女性スタッフに軽い口調で声をかけてて私も見ててイライラしてたの。ホント、アイツらは女心を何だと思ってるのやら」


 紗世は笑顔を見せ着替えながら聞いていた。紗世はもう言いたいこと言ったわけで眼中にない連中のことなんてもうどうだっていい。溜まっていた鬱憤を発散することが出来てある意味感謝しているくらいだ。従業員通用口から出る時、腕時計を見ると今日も夜の十時。近くにレストランが無い紗世はこれが痛手だった。こんな時だからこそガッツリ美味しいものを食べて嫌なことを忘れたい気分なのに。

 結局、弁当屋さんで買うことにして今日は普段食べる唐揚げ弁当だけでなくカツ丼の大盛りも注文してアパートへと帰って行った。

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