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 その後、紗世は健二と一緒に受ける講義が無いためにそのまま四限目が終わりアルバイト先へと向かいながら心に決めていた。万が一ドーム周辺で見かけたら一言だけでも謝っておこうと。紗世も、健二と知り合った当初からもう少し話を聞いてそれで言いたいことを言えばお互いがこんな目に遭わなくて済んだ話だった。紗世はその後悔がどうしても拭えず足取りが重い中ドームへ着くとあいも変わらず多くの人が来ている。紗世はグッズ販売店の前を行かないように反対側に回って従業員通用口の方へ向かい更衣室の方へ入って行った。女性専用更衣室にはすでに何人か入っていてその中に香織もロッカーのドアに付いている鏡を見ながら制服に着替えている。


「あら、紗世ちゃん。おはよう」

「おはようございますっ。香織さん、今日も素敵ですよ!」

「ちょっとどうしたのっ?いきなり〜」

「いえ、思ったことを言っただけです」


 紗世は考えみると他人の良いところに目を向けようとはしてこなかった。それは付き合っていた健二に言っていた口癖だったはずなのに。何故か今になって自分の性格を見改めようとしている。


『そう。私も健二に言える筋合いは無い……。知り合った当初から健二の良い部分を見つけて言ってあげれば良かったんだ。そうすれば私のせいで悪いキャラを演じさせるような思いをさせずに済んだのに……』


「あ、そうそう。紗世ちゃんの誕生日って来月のいつ?」

「香織さんっ。やっぱり申し訳ないです〜」

「また今さら〜。大丈夫よ、オーナーの奥さんから電話があって訊いといてって言われてるの。紗世ちゃん気に入られちゃったみたいね」


 自分のことのように微笑んでくれる香織の表情を見た紗世はヘコんでいた気分が少しほぐれたような気がして自然と笑顔を見せるようになっていく。


「そうなんですかっ。ありがとうございます。私の誕生日は来月の六日です」

「了解っ。奥さんに伝えとくねっ。今日も頑張りましょうね」


 その日の夜、香織と一緒に従業員通用口から外へ行き楽しく二人は会話をしていた。この日の吹いている風は生温かくて歩くたびに紗世の額には汗が流れている。それはドームの周りを歩いている人たちも同じだった。行き交う人々はチームのオリジナルデザインタオルで搔いた汗を拭っている。みんな凄いテンションで話している。なぜなら地元の球団の四番打者が劇的なサヨナラ満塁ホームランを放ち、それを観て興奮がすぐに冷めるはずもない。


「いやー、今日は凄かったねーっ!まだこんなにお客さんいるよ」

「ハハっ。香織さん、階段で足を止めて観てましたもんね。まあ、私も通路から観てましたけど」


 仕事をそっちのけで満塁になった場面から観ていた紗世は舌を出して香織に話している。そんなお茶目な紗世の態度を可愛らしく思って見ていた。二人は一向に生温かい風のせいで汗が止まらない。


「ふふっ。紗世ちゃんって本当可愛いね。モテるでしょ?」

「はいっ?全くですよーっ。それを言うなら香織さんの美貌には敵いません」

「そうかなぁ?紗世ちゃんは今恋はしてないの?」

「してないですね〜。好みがうるさいからでしょうか……」

「そうなんだ。でも、中途半端に付き合うよりは本当に好きな人と一緒にいたいよね」

「理想はそうですね〜。香織さんは?」

「私?二年前に別れてからはいないよ」

「また何で?……ってちょっと踏み込み過ぎですよね」


 苦笑いを浮かべながら紗世は気を遣う。しかし香織は全く気にしていなかった。寧ろ話したい思いでいる。


「そんな。気を遣ってくれてありがとう。ただ、ここで付き合ってた二つ上の先輩が就職して県外に行くことになってね。遠距離はちょっと辛かったの。だから心の傷が深くなる前に私から別れ話を持ちかけて一人になったって感じかな」


 何も無かったかのようにあっさりと話す香織に対して紗世は意外と思いながら聞いていて、もう少し重たい空気を醸し出すように話すだろうと思っていた。

 そして向かいから見覚えのある男性が二人とすれ違おうしている。近くに来るまで紗世は全く気付かない。しかし気付いた紗世を話しかけることもなく彼はカバンを担ぎながら過ぎ去ろうとしている。


「あっ!健二っ。待って」


 しかし健二は少しだけ振り向いただけで歩みを止めずそのまま紗世から離れて行く。健二は紗世に対する想いはもう無い。香織は呼びかけた紗世の顔に少し寂しさが滲み出ているように見え、『この二人に何かあったんだ』とすぐに察した。そして紗世が歩き始めるまで香織は気長に待ちスポーツ飲料の入った五百ミリペットボトルの蓋を開けて渇いた喉を潤している。そして紗世はゆっくりと歩き始めた。


「紗世ちゃん、大丈夫?」

「あ、はい……。すみません、こんな自分をお見せしちゃって」

「ううん。でも初めて。そんな表情してる紗世ちゃんを見るの」

「え?私そんなに顔に出てました?」

「普段の気の強い紗世ちゃんが嘘みたいって感じ」


 まだ紗世は香織に打ち明けたくはなかった。もし話して香織から見る紗世への人間性を悪い方に持っていかれるかもしれないと思ったからだ。香織も敢えて訊こうともしない。紗世は紗世の持っている恋愛観もあるだろうし、もう少し様子を見て頃合いを見計らってその時に訊こうと思っていた。

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