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 あれは去年、季節もちょうどこの時期だった。香織はいつもどおりに重いビールサーバーを背負ってスタンドを歩いていた。その時に泥酔状態の中年男性が香織にビールを買おうと呼び止め、ビールを注いでいる最中に香織の体を触りまくっていた。その上代金を貰う際、観客は投げ捨てるように千円札を香織へ渡して大笑いをしている。そんな中年男性の態度に香織にとってはとてもツライ思いだった。必死に泣くのを堪えていたその時。


「あのーっ、今されてる行為ってどんな事か理解されてるんですかねっ?」


 泣きそうになっていた香織はそう言ってくれる女の子の方へ向くとビールサーバーを背負いながら仁王立ちになってその中年男性を鋭く睨みつけていた。


「あぁっ?何だ〜、お前。オレは客だぞっ。上のヤツを呼べ!」


『もう良いの、私が我慢してればいいだけ……。だからやめて』


「何で呼ばなきゃいけないんですかっ。警察なら喜んで呼びますけどっ」

「あぁ?何で警察が出て来るんだよ〜?オレは何も悪いことしてねぇぞっ」


 すると男性スタッフと数人の警備員が揉めている場所へ駆けつけて来た。近くに座っている観客もグラウンドではなく、揉めている方へ視線を向けている。もう彼女は怒りのスイッチが入ってしまいビールサーバーを下ろして凄い剣幕で中年男性へ詰め寄ろうとしていた。


「どうして何も悪い事してないなんて言えるのよ!女性の体触りまくってたクセにっ。私見てたんだからねっ。酔ってるからって調子こいてんじゃねぇよ!このエロ親父がっ」


 スタッフと警備員は二人を必死に離そうとするが彼女は怒りが収まらない。そして中年男性も何かスタッフへ言っているが呂律が回っていなくて何を言ってるのかも分からない。


「もういいよっ。私なんか所詮バイトなんだしっ、個人的にあんたを今から警察に通報するから待ってて!」


 彼女の止まらない行動に堪らず香織が間に入った。


「ちょ、ちょっと待ってっ。もういい。もういいからここは警備の人に任せて私たちはスタッフルームへ行きましょ」


 もう二人はクビを言われる覚悟をしていた。ここまで問題を大きくしてしまったんだから。しかし隣に座っていた中年男性の奥さんが非を認めてその夫婦はドーム球場から強制的に出て行かされた。それ以来、二人ともその中年男性を見ていない。しかし案の定、彼女は凄く叱られていた。黙って聞いていた香織はお偉いさんが彼女をクビにすると言った時だった。


「ちょっと待って下さいっ。発端は私が体を触られ彼女が私に代わってその中年男性へ注意したのがきっかけなんですっ。だから彼女は何も悪くないんですっ。彼女をクビにはしないで下さい」


 それを聞いたお偉いさんは言葉が止まり、二人の処分は後日改めて連絡するという形でその日は終わった。結局二人は今回のみ大目に見てもらいクビにならずに済んだ。そして後日香織はスタンドを歩いていると、前に助けてもらった女の子と遭遇した。


「この間はありがとう。あなた今年から?」

「はいっ。あの時は私の方こそ出しゃばっちゃってすみませんでした」

「ううん。とても嬉しかったし、あなたのおかげで私も気を強く持たなきゃって勉強させられたの。あの、良かったら名前訊いても良いかな……?」

「加美川です。加美川紗世と言いますっ。これからもよろしくお願いしますっ」


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