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 火曜日になって今日からホームであるドーム球場での三連戦。ナイトゲームのため紗世は大学の講義が終わり次第すぐにドームへ着いて更衣室へ向かっていると、従業員通路で偶然見覚えのある青年と遭遇した。


「加美川……?」


 その青年は球団のユニフォームを着ているが背番号が一二七と書かれている。紗世は一瞬誰なのか思い出すまでしばらくその青年を見ていた。


「岸田……君?」


 目を大きくして彼を見ながら紗世は思い出した。その青年は岸田一平。彼は紗世と同じ高校に通っていた同級生。紗世がマネージャーしていた時の野球部にいて高校卒業してからドラフト指名はされず、プロ選手の夢を諦めきれない彼にとって育成という形で入団することが出来た。その時の一平が声を大にして喜んでいたことを紗世は鮮明に覚えている。


「加美川って、ここでバイトしてたの?」

「うん。ビール売りのバイトしてるんだ。岸田君は……今も?」


 苦笑いを見せて一平は紗世に付けている背番号を向けた。紗世も野球を知らないわけじゃない。一平の表情とその背番号を見て現状を察した。


「ああ……。なんとかいさせてもらえてる感じかな。競争が激しいんだ。上には上がいてさ」

「そうなんだ……。でも、岸田君ってここの球団のユニフォームを着るのが夢だったもんね」


 立場はどうであれ高校の時プロへなる為に熱く語っていた一平を思い出すと紗世はそのユニフォーム姿を見て嬉しかった。しかしこの先どうなるんだろうと同級生として心配も隠せない。


「じゃあ今からバイト?」

「うん。ホントはボールガールになりたかったんだけどさ、落ちちゃって。でも、

今のビール販売もキツイけどやり甲斐を感じる時もあるの」

「そっか……。オレもいつか加美川にそう言えるぐらいの選手になれるように頑張るよっ」


 紗世は笑顔を見せるしかなかった。マネージャー時代ベンチで色んな選手を見てきて一平に対してはどうしても気になる悪いクセを持っていた。それで本当に彼は通用出来るのかと紗世は心配している。


「じゃあ、私行くね」

「あ、加美川。良かったら電話番号交換してくれないかな……?今、スマホは持ち歩いちゃいけないから……」


 少し躊躇ったが「ちょっと待ってて」と言って紗世はカバンからメモ帳を取り出して電話番号を書いたその紙を一平へ手渡した。時々通路に鼻歌を流しながら用具係が素通りして行くが一平の存在をそこまで重要視されていないために二人は注目されるような事は無かった。


「じゃあ、これ。ただし私も暇じゃないから頻繁にかけてこないでね。メールなら構わないから」


 ただでさえ、紗世のアルバイトもキツイのに他人の愚痴まで聞いていられない。弱音を吐きやすい一平の高校時代の性格が変わっているはずもないと判断して紗世は釘をさしておいた。


「サンキュー。分かった。正直言って話せる人がいないからさ。野球部の時は加美川も含め聞いてくれるヤツがたくさんいたろ?なんだか加美川とこうやって再会出来たのって嬉しかったんだ。もちろん電話は控えるよ。じゃあ、バイト頑張ってな」


 そう言って一平は足早にグラウンドへ通じる方へと走っていった。後ろ姿を見ていると当時の面影と変わらない。その姿を見て紗世は一平が進歩したとは全く感じられない。そして時計を見るとアルバイトの開始時間が迫っていた。それを見て紗世は走って更衣室へと急いで着替えに行った。


「すみません、遅くなりましたっ」


 ドーム通路内にあるスタッフルームには殆どのビール売りのスタッフが集まっていた。みんなから「おはようっ」とか紗世へ笑顔を見せて小さく手を振ってくれている。しかし今日は人気者の香織の姿が見当たらない。


「ねえ、今日住田さんは来てないの?」

「うん。なんか体調崩しちゃったらしくて休ませたそうよ」


『あの住田さんが……』紗世は初めて休む香織が心配でならなかった。


『あんなに感情を顔に出すような人じゃないのに、そんな人が体調崩すなんて……』


 いつもスタンドへ行く時に声をかけてくれていた香織がいないと『なんだか調子が狂うなぁ』と思い紗世は今日もビールの入った重たいタンクを担いでスタンドへと行った。

 先程、高校卒業して初めて再会した一平が気になった紗世はスタンドの階段を下りる際にグラウンドを見渡した。すると一平は何人かで緑色のウイングフレームネットを運んで片付けたりして雑用をこなしている。練習風景を見ている観客は有名選手を叫ぶように呼んだり、カメラを向けているが一平の方へは誰も声をかけたりしない。その姿を見て何も考えず紗世は振り返って販売に専念した。


「ごめん、ビール」


「あっ。はい。お一つで?」


 座ってた若い男性の三人組はどうしようかなと考える仕草を見せたが残りの二人も紗世へ声をかけた人の方へ買うと頷いた。


「じゃあ三つで。お姉さん可愛いね〜。たくさん売れてるんじゃない?」

 こういう場合は笑顔を見せて無言で頷くだけにしている。別に相手もイケメンじゃないしと思い。

「頑張ってね」

「はいっ。ありがとうございますっ」


 そして今日も平日にも関わらず多くの観客がスタンドを埋めていた。

 その日のアルバイト帰り、紗世は香織が気になって仕方なかった。ドーム球場の外は試合が終わって二時間ほど経っていてもまだ多くの人が歩いている。道路にはタクシーが国道の一車線を占拠しているかのように並んでいる。紗世はその人だかりを上手く掻い潜り自転車を漕いで行った。紗世のアパートからドーム球場までは自転車で二十分も掛からないくらいの距離にある。

 アパートに着き暗い部屋の明かりをつけて冷蔵庫から二リットル入りのスポーツ飲料をガラスのコップに注いでゴクゴクと音を立てながら一気飲みして渇いた喉を潤していた。やっと紗世の気が落ち着いてベットを壁代わりに寄りかかり足を伸ばして顔の力をほぐすようにボーッと口を開けたまま天井を見上げている。そして紗世はカバンからスマートフォンを開き画面には健二からメールが来ていたが、それは無視して先に香織へメールを送ってみることにした。


『住田さん、お疲れ様です。突然メール送っちゃってすみません。今日体調崩してバイト休んでるって聞きました。お加減はいかがですか?』


 するとすぐに紗世のスマートフォンに着信音が流れる。香織からだ。


『あ、もしもし』

『もしもし、加美川さん?お疲れ様。メールありがとう。ごめんなさいね、心配してくれて』


 思ったほど弱ったような声ではなく、はっきりとした口調で話している香織に紗世はホッとした。


『とんでもないですっ。どうかされたんですか?住田さんが休むなんて初めてですよね?』

『うん。そう言われたら休んだの初めてだね。ここ最近、体が重たく感じてて……。ちょっと無理が祟っちゃったのかな……』

『大丈夫ですか?そんな状態にもかかわらず平然とあんな大変な仕事をこなしてたんだからムリもないですよ』

『え……?そう見えてた?』

『はい……。休憩中でもツラそうな表情なんて見た覚えがないですし』

『そっか……。加美川さんは私を思ってちゃんと見てくれたんだね。でも大丈夫。明日からまたバイト行くから』

『あまりムリをなさらないで下さい。あの、この間住田さんからご飯を食べに行こうと誘って頂いた件ですが近い日に是非ご一緒させて下さい』

『ありがとう。週末は試合も無いし、加美川さんさえ良ければどうかな?』

『週末ですか?ちょっと待って下さいね……』


 紗世はメモ帳を取り出して週末の日程を確認した。翔子と遊びに行こうかと考えていたが、香織と食事に行くことで健二から誘われても断る理由も出来た。


『はいっ。土曜も日曜も予定は無いです』

『そうなんだ。じゃあ土曜日にお昼食べに行く?ご馳走させてね』

『い、いえっ。そんなダメです』


 香織は優しく笑い声を出して落ち着いた口調で慌てている紗世に話しかける。


『ううん、大丈夫。私も加美川さんに感謝してる部分があるから……。ね?』


 紗世は理由を訊こうとしたが、おそらく週末に香織から話してくれるだろうと思い引き下がることにした。それに今の香織は体調も優れていない状態で追及するのも悪いからと。香織と電話を終えて少し疲れが取れたような気がして気持ちが安らいでいく。

 今回の食事の誘いに応じたのは香織が心配というのもあるが紗世自身、翔子に相談した事を出来たら香織にも相談をしてみたいと思っていた。紗世は心から尊敬する先輩の意見も聞いてみたかったからだ。

 香織とのやり取りが終わり少し間を置いて一応、健二のメールも開いてみると紗世はスマートフォンを投げ飛ばしたい気分にさせられた。


『あ〜、マジで寂しいよ〜。紗世の声が聞きた〜い』


「コイツってホントにバカじゃないのっ!マジでキモい……」


 紗世はメールを開いた自分を憎んだ。しかし近い将来彼に対する紗世の想いを言わなければならない。そのきっかけさえあれば……。唯一健二と付き合って紗世自身を褒めることがあるとすれば同じベッドで一夜を過ごすようなバカなマネをしなくて良かったと。唯一そこだけは紗世が自分を褒めてあげたいと思っている。別に暴力を受けたとかそんな事は無い。仮にあっても紗世は間違いなく反撃しているだろう。ただ彼女がいるからオレってカッコいいんだって勝手に思い込んでいるあの腐った性格が紗世にとって日増しに苛立ち始めていたからだ。最近では私って男運が無いのかなぁと悲観してしまう日々を過ごし、講義を受けていても集中出来ない状態まで来てしまい紗世自身、真剣に健二へ別れを告げようとタイミングを模索していた。

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