第334話 ちょっとしたすれ違い


遅い。杏里が帰ってこない。

すでに日が暮れてからずいぶん時間が経過している。


 せっかく作ったシチューも冷えてしまった。

連絡の一本くらいくれてもいいのに。


 むなしくテレビの音が流れるリビングで杏里の帰りを待つ。

駅まで迎えに行こうかな……。


――ガララララ


 玄関の戸が開く音が聞こえる。

やっと帰ってきた。

俺は杏里を迎えるため、玄関に出向く。


「お帰り。遅かったね」

「えぇ、そうですね」


 一言発し、杏里はすぐに階段に向かって俺の前を通り過ぎようとしている。


「ご飯は?」

「彩音と食べてきました。今日は疲れたので、お風呂に入ったらすぐに寝ます。それと、しばらくは自室で寝るので、よろしくお願いします」

「あ、そうなんだ……」


 なんだかそっけない。

少し話がしたかったけど、杏里はなんだかカリカリしてる。

明日の朝にでも話そうかな……。


 お風呂の準備をして、一人でシチューを食べる。

うん、なかなかおいしくできた。杏里にも食べてほしかったんだけどな。

一人で食べる食事はそっけない。


 いつも正面に座って、微笑んでくれた杏里はいない。

なんだよ、俺が何か悪いことでもしたのか?

少し心がチクっとする。


「杏里! お風呂わいたよ!」


 階段の下から杏里に声をかける。

返事がない。なんだよ、無視かよ。

スマホのメッセで先に風呂に入るように伝える。


 しばらくすると既読のマークがついた。

なんだよ、返事くらいくれればいいのに。


『わかりました』


 お、返事はきた。

でもそっけない。


 なんだかもやもやするけど、俺もやらなければならないことがある。

一人部屋にこもり毛糸をバッグから取り出す。

編み棒を手に持ち、無心に編む。


 たまに動画投稿サイトを参考にしながら、ひたすら編む。

うーん、なんとなく形にはなってきたかな?


 気が付くともう深夜だ。

俺も風呂に入って、寝なくちゃ。

スマホに目を向けると、杏里からメッセが来ていた。


『お風呂あがって声をかけたのに、返事がありません。連絡だけ入れておきますね』


 しまった。あまりに集中していて、杏里の声に気が付かなかった。

しかもメッセが来てから結構時間が経っている。

今更だけど、返事はしておくか……。


『ごめん。課題に集中していて、気が付かなかった』


 すぐに返事が来る。


『課題? 今日課題なんて出ていましたっけ?』


 おっふ。今日は課題出ていなかった。

ど、どうしよう……。


『課題ではなくて、自主学習だよ。ほら、試験もそろそろ近いしさ』

『そうですか。ずいぶん熱心ですね。おやすみなさい』


 最後までそっけなかった。

明日の朝、ちゃんと話をしよう。

ちゃんと話せば、きっと誤解も解けるし、いつもの杏里に戻ってくれるはず。


 風呂に入り、自室で編み物の続きをする。

風呂上がりに、そーっと二階に上がったけど、杏里の部屋の明かりはまだついていた。

こんな遅い時間まで何をしているんだろう?


 それに珍しく杉本と外食なんて。

俺は全くそんなこと聞いていないし。


 ま、まさか本当は杉本じゃなくて誰かほかの男と……。

いや、杏里に限ってそんなことは絶対にない。

あるはずがない。きっと、何か理由があるんだ。


 明日の朝、はっきりさせよう。

そんなことを考えながら俺は椅子に座ったまま寝てしまった。


――


 そして、迎えた朝。すでに杏里はいなく、下宿には俺一人だった。

なんでだよ、なんで俺を避けるんだ? 何かやましいことでもしているんじゃ……。

台所に行くと、メモ用紙に何か一筆書いてあるのが目に入った。


『用事があるので先に出ますね。シチューおいしかったよ』


 昨日作ったシチューが少し減っている。

食べて、くれたんだ。俺の作ったシチュー、おいしいって。


 俺は杏里を信じる。

今までずっとそうだったじゃないか。

杏里は俺の事を一番に想ってくれている。

俺だって、杏里の事を一番に想っている。


 ここで信じる事ができないなら、俺は杏里のそばにいる資格はない。

いつでも、どんな時でも杏里を信じよう。


 そう心に決め、俺も学校に向かう。

バッグには編みかけのマフラーと編み棒。

今日もこっそりと手芸部に行かなければ……。

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