第197話 絶体絶命のピンチ


――チチッ


 かすかな鳥の声が耳に入ってきた。

カーテンの隙間からは陽の光が差し込んでいる。


 朝か、頭がだるい。

昨日はなんだかんだで遅くなってしまった。

高山の話も長く、俺が寝に入るまで何か話していたような気がする。

まったく、遠藤も高山もしっかりしてもらわないと困る。


 ベッドから起き上がり、隣の高山を見てみると大きな口を開いて寝ている。

布団は乱れ、浴衣も乱れ、腹が出ている。


 しょうがないな。

優しい俺は、布団を高山の腹にかけ、タオルを一本持ち部屋を出る。

朝食にはまだ早く、廊下を見ても誰もいない。


 朝温泉。朝一番の温泉を一人いただこうじゃないですか。

今日も忙しくなる予感がする。

一人で廊下をのほほんと歩き、温泉の入り口前までやってくる。

ん? なんか昨日と違って違和感が……。


 あー、男湯と女湯が入れ替わっているのか。

しかし、男湯と女湯の入り口が分かりにくいな。


 俺は昨日とは違う入り口から脱衣所に入る。

昨日の場所とは真逆になっているだけでそこまで変わっていない。

スッポンポンになり、タオルを手に持ち、お湯を体にかける。


 あぁー、いい感じ。温泉最高だな。

頭にタオルを乗せ、貸切風呂を一人楽しむ。

まだ朝早い時間、皆まだ寝ているんだろうなと思いつつ、一人でゆったりと湯につかる。


――ガラララララ


 ん? こんな時間に誰か来た。

なんだ、折角の貸切だったのに。

でも、それはしょうがない。ここはみんなで入る温泉なのだから。


 湯煙の向こうから一人こっちに向かって歩いてくる。

しかし、こんな時間に一人で入って来るなんて珍しいな。

というか、俺もその一人か。


 湯煙の向こうでは桶を手に取り、肩からお湯をかけているのが薄らと見える。

湯煙の隙間から少し見えたが、でタオルで胸から下を隠している。

変な奴だな。タオルは肩にかけるのが男らしいのに、女々しい奴め。


 人の事はどうでもいいか。

俺はゆっくりと温泉につかり、昨日の疲れを癒す。

そして、今日の仕事もしっかりとして、また海で遊ばないと。

今日は何して遊ぼうかな……。


 お湯に入ってくるお客様。

誰かみたいに泳いだりしないでほしいもんだ。

温泉は静かに、ゆったりと過ごす場所。


 ましてや大声を出すなんてもってのほか。

マナーを守らなければ。ここでは静かに過ごさないとね。


 次第に湯煙で見えなかった相手の顔が見えてくる。

何か見た事のある顔だな。


「あぁぁぁぁ! 杏里!」


「え? な、なんで!」


 目の前に杏里がいる。

互いに見つめ合い、動きが止まる。

どうしてこうなった! だ、誰か説明を!


 お互いに状況が理解できないまましばらく見つめ合う。

杏里は髪をアップにし、胸から下をタオルで隠している。

太ももがはっきりと見え、生々しい。


 が、昨日は水着姿見てるよね?

今目の前にいる杏里の方が露出は少ない。

なんだ、焦る事は無いか。


 って、ちがーう!

タオル一枚はまずいってば!


「ど、どうして司君が女湯に入ってるの?」


「え? 逆だろ? 杏里が男湯に入ってきたんだろ?」


 どっちが正解だ?

どちらにしても微妙な空気が流れている。


「嘘……。だって昨日と同じ……」


「時間によって男湯と女湯が入れ替わるって言ってただろ?」


「ちょっと見てくる」


 杏里はそのままの格好で、脱衣所を経由して、入り口の方まで見に行ってしまった。

誰もいないからいいようなものの、他の人に見られたらまずいってば。


 走って戻ってきた杏里は少し息が荒くなっている。


「司君、女湯って書いてあったよ」


「え?」


 おかしい、俺が見た時は男湯だったはず。

なんでこんな事になった?


「そ、そうか……。わざわざありがとう」


 俺は急いで腰にタオルを巻いて湯船から出る。


「司君、急いでね。さっき彩音と井上さんも来るって言っていたから」


 早く言ってください!


「分かった。杏里はお湯に入ってゆっくりしていてくれ」


 内心、超焦っている俺は急いで脱衣所を目指し走った。

が、床が濡れていたのでこけた。


「い、痛い……」


「司君、大丈夫? 結構派手に転んだみたいだけど」


 半泣き状態の俺は頑張って杏里に返事をする。


「問題ない。少し擦りむいただけだ」


 危うく腰に巻いたタオルが落ちる所でした。

危ない危ない。あと少しで十八禁になるところでしたよ。


「つ、司君……」


 杏里が指を指している方を見てみる。


『井上さんも朝早いねー』


『毎日朝練あるからね』


『でも、その寝癖とるの大変そう』


『杉本さんだって、前髪はねてるよ?』


『本当? お風呂入れば直るよー』


 まずーい! まずいまずい!

先に二人が来てしまった。ど、どうしよう。

このままでは脱衣所で鉢合わせになってしまう!


「あ、杏里……」


「ど、どうしよう……」


 絶体絶命のピンチ。

窓は開かない。外にも出られない。

脱衣所への出入り口は一か所。


 絶体絶命です。

俺は天井に張り付くことはできるのか?


 無情にもタイムアップとなり、二人が入ってくる。


「杏里―、来たよー」


「朝から温泉はいいね」


「そ、そうだね。温泉はいいね……」


 今、女子グループ三人がそろった。

まだ二人は湯煙の向こう。俺の事は確認されていない。


 このピンチを俺はどうやって切り抜ける?


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