第49話 白いハンカチ


 一体姫川の身に何があったのか。

俺は台所の扉を勢いよく開け、風呂場に向かった。


 目の前に風呂場の扉が見えてきた。

扉を開けようと、ノブに手をかけた途端、勢いよく扉が開かれる。


――ペキッ


 指から変な音が聞こえた。

勢いよく開かれた扉はそのままの勢いを保ち、俺のおでこを直撃する。

そして、それと同時に目の前に半裸の少女の姿が一瞬見えた。


 肩を露わに出し、さっきまで着ていたと思われるワンピースを腕にかけ、胸から下を隠している。

そして、ちらっと見えたが上下とも白い下着だった。


 気が付いた時、俺の視界は天井を映していた。

体全体に乗ってくる温かさと柔らかさ。ほのかに漂ってくるいい香りが、俺の思考を停止させていった。


「て、天童君! 大丈夫!」


 そのセリフは俺だ。叫び声を聞いてやって来たのに、逆に心配されてしまった。

あ、頭が。いや、頭と言うより指とデコが……。


 俺の胸の中にいる姫川が、俺を覗いてくる。

心配ない、大丈夫だ。俺は何ともない。


「だ、大丈夫だ。そ、それより何があった?」


 半裸状態の姫川は脱衣所の方を指さし、何かを訴えている。


「な、何かいました。黒い何がか、カサカサって……。きっとあれです」


 うん。多分あれですね。ここでは濁した名称を使った方がいいだろう。

俺もどちらかと言うと奴は苦手だ。できればお会いしたくない。


「心配するな。奴は俺が始末する」


 俺に乗ったままの姫川の目線が熱い。

え? もしかして俺って結構いけてるのか? できる男になりつつあるのか?


 熱い。若干頭が熱くなっているのを感じ、ちょうどおでこの辺りから熱を感じる。

奴に対する闘争心か。いいだろう、今この場で始末してくれるわ!


「て、天童君。おでこから血が」


 はい、違いました。俺には闘争心が無いようです。

右手でおでこを触ってみると、確かに指が赤くなった。

久々に見た自分の血。ちょっとだけ痛いような気がしてきた。


 そして、血の付いた指を見ると、赤とは別に変な色になっている。

ブルーとレッド。綺麗なコラボレーション。


「ひ、冷やさないと! その前に血を拭かないと!」


 慌てて立ち上がる姫川。

振り返った姿は非常にまずい。見てはいけない姿だ。 

きっと今しか見れないが、姫川の事を考えると見てはいけない。

ここは男らしく、目を閉じておこう。


 十秒も待たぬまま、姫川が戻ってきた。

足音が耳の横で止まる。


「て、天童君! しっかりして!」


 あ、気絶とかしてないよ。ただ目を閉じているだけよ。

目を開けようとした時、姫川の手が俺の両肩を掴んできた。

そして、ものすごい勢いで頭をガクガクさせてくる。

ちょ、姫川、やめ……。


「わ、私のせいで……。きゅ、救急車!」


 呼ばなくていい! 救急車は本当に緊急時以外は使っちゃダメ!

昔見たテレビで、緊急じゃないコールが多く、業務に支障が出てるって見た事あるし!


 俺はゆっくりと目を開け、その手で姫川の腕をつかむ。


「だ、大丈夫だ。ちょっと目を閉じていただけ。心配するな」


 半泣きになっている姫川は着ていたワンピースを着ており、俺は目のやり場に困る事はなかった。

ゆっくりと起き上がるが若干頭がフラフラする。


「本当? 血も出てるし、指も変な色に……」


「大丈夫だって。男はそんなに軟じゃない」


 起き上がった俺のおでこを姫川がタオルで優しく拭いてくれた。

そして、指には冷えた小さな白いハンカチが巻かれる。


「これは?」


「私のハンカチです。急だったので適当な大きさのタオルが見つけられなくて」


 悪い事をしてしまった。

俺が確認もせず扉に近づいたから、姫川に迷惑をかけてしまった。

俺の不注意だな……。


「悪いな。助かるよ」


「ごめんなさい……。本当に……」


「気にするなって。デコとか頭とかは皮膚が薄いから直ぐに血が出るけど、見た目ほど大したことはない」


 でも、ジンジンするくらい痛いです。

久々に目の前がお星様でいっぱいになったよ。

それよりも、奴を探さなければ……。


「もし、痛かったら明日病院に。あ、今から緊急夜間病院へ……」


「行かなくていい。すぐに治る」


 俺は立ち上がり、少し背伸びをする。

若干クラクラするが、普段通りに動ける。

奴との戦闘前に、ダメージを負ってしまったが、まぁいいだろう。

ハンデ戦も悪くはない。ここ最近、俺は成長してきた。

力の差を見せてやろう。


「本当に大丈夫ですか?」


「問題ない。姫川、少しだけリビングで休んでおけ。俺はいまから脱衣場に入る」


「そ、そんな怪我で。無理しないでください。今日はお風呂あきらめます」


 それは良くない。

湯上りの姫川を見たいからではない。一日の疲れを取るために風呂に入る。

それに、今日は初バイトで疲れているだろう。


「大丈夫だ。すぐに終わる。心配はいらない、奴とは何度もやり合っているし、逃がしたことはない」


 笑顔で姫川を顔を見る。

セリフだけ見たら、すごい強敵にダメージを負った戦士が立ち向かっていくようにも読み取れるが、実際はそうじゃない。

軽傷の俺が奴を仕留めるだけだ。


 ただ、奴の素早さは半端ない。俺の速さが勝つか、奴が逃げ切るか……。

ここは姫川にできる男だと見せておこう。古い建物だし、これからもきっと戦っていくことだしな。


「無理、しないでくださいね」


 瞼に涙を浮かべ、俺を見送る姫川。


「紅茶でも飲んで待っててくれ」


 俺は一人、新聞紙ソードとファイナルウェポンとなるスプレー缶を手に持ち、ダンジョンへ旅立った。

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