赤錆と落ち椿

その家から出て来たのは人ではなかった。

 赤錆のような毛並みと六本の脚。

 八つの光る目。

 凶悪な牙を擁する咢から垂れ下がっているのは、赤く染まった着物と。

 首が無い。

 昨日の魔物を優に超える体躯と威圧感。

 それが人の住まいから悠々と姿を現したことに、鴉太郎の思考は一瞬麻痺した。

あぁそうか、人の家の中に隠れてたから見つからなかったんだ。魔物は家に入れないって思ってたから。

「逃げろッ!」

 先程のとぼけた様子からは想像もつかない程鋭い声が飛び、鴉太郎は我に返る。同時に栄吉は懐から短銃を取り出し発砲。

 乾いた音、赤錆の魔物の前足に鮮血が散った。

「ギャッ!」

「早くッ!」

 魔物が前足を庇い蹲った瞬間に、栄吉は鴉太郎と綾を追い立てるように走り出した。

「栄吉さんもっと早く走れないのッ⁉」

「おそいッ!」

 背後で魔物が立ち上がる気配に焦りを覚えた。

「ごっめん、さっきので肩外れちゃった! めっちゃ痛い! 痛くて足回んない! 若しもの時はおれを見捨てて逃げてぇ!」

 栄吉が涙声で叫ぶ。

「はぁ⁉ 腕なんか捥げても足あれば走れるでしょうが! 莫迦なこと言ってる暇あったら走って!」

「はしって!」

 素が出た。

「はいぃ・・・・・・!」

 魔物が足を負傷しているためか、なんとか三人は逃げおおせているがその傷もすぐに塞がる。このままではいずれ追いつかれる。

「さっきのもう一回撃てないの⁉」

「あれ単発式だから無理だよぉ! ごっめんねぇ! 役立たずで!」

 鴉太郎達で魔物から逃げ切るのは不可能だ。先の破裂音で鳶丸はこちらの危機に気付いているかも知れないが、その場所から随分と離れてしまった。

どうにかして鳶丸にこちらの位置を伝えないと。

 背後からの足音が大きくなった。

「伏せてッ!」

「えっ?」

 鴉太郎は綾を抱え地面に倒れ込みながら怒鳴った。栄吉は反応が遅れたが、幸運にも振り向いた拍子に足を縺れさせその場で転んだ。

風圧で浮いた数本の髪を魔物がかすめた。勢い余ってそのまま魔物は前方の蔵へと突っ込む。

「っぶな!」

「早く立って!」

 地面に手をついて起き上がろうとした鴉太郎の鼻に、ふと酒の匂いが届いた。

 酒蔵だ。

「火ッ! 栄吉さんッ! 火はどこにある⁉」

「火? それなら向こうに篝火が・・・・・・」

 栄吉は肩の痛みに顔を顰めながら答える。

「そこまで連れてって!」

「わ、分かった!」

 立ち上がるのももどかしく、三人は再び駆けだした。

 壊れた蔵の中から魔物が姿を現す。

 案の定、派手に酒蔵に突っ込んだ所為で毛皮が酒で濡れていた。

「あった! あれだ!」

 栄吉の指さす先、前方に小さく明かりが見えた。

 その光に駆け寄った鴉太郎は、篝火の根元を蹴って、火のついた割り木を地面にぶちまける。と同時に魔物がこちらに迫った。

割り木を掴み、精一杯の力で魔物に投げつける。

弧を描いて飛んだ割り木は魔物の眉間に当たり、酒の染み込んだ毛皮に引火した。

「ギャアッ!」

 魔物が悲鳴を上げて燃え上がる。

「駄目だ! 魔物はあれじゃ死なない!」

「いい!」

 それでいいと鴉太郎は叫んだ。

 火を着けたのは倒すためじゃない。

 きっと気づいてくれる。

 きっと見つけてくれる。

 鴉太郎は月を見上げた。

 地面を転がり火を消し終えた魔物が、牙をむき出しにして立ち上がる。火傷の痛みで気が立っている。

 でももう怖くはなかった。

 ほら、やっぱり来てくれた。

 鳥のように。

 今にも食い掛からんとする赤錆の魔物。

 その首の上に降り立った。

「鳶丸さん!」

 その呼び声に鳶丸は一度頷いた。

脇構え。

居合抜き応用、正面回し斬り――――落ち椿。

大きな円を描くように振るわれた刀は抵抗を感じさせることなく、魔物の太い首を断ち切った。

首が胴からずれ、牙を剥きだした形相のまま地に落ちる。

それに続いて魔物の体が前のめりに倒れた。

首元に乗ったままの鳶丸が目の前にいた。

「うわぁああああ!」

 鳶丸が何の感慨もなく魔物の首元から地面に足を付けた時、綾が大声を上げながら彼の足にしがみついた。

「と、び、まる、さん・・・・・・」

 今にも倒れそうなふらつく足で、鴉太郎は鳶丸に歩み寄った。

「無事で良かった。よく、頑張った」

 鴉太郎の目を真っ直ぐに見つめて鳶丸はそう言った。

 そして、少し躊躇うような仕草を見せてから彼は刀を咥え、空いた右手を鴉太郎の頭へ置いた。

 自分の首に優しい重さを感じた時、たまらず鴉太郎の目から涙が零れた。

「う、うぅ、うぁああああああああああっ!」

 一度流れ出した涙に釣られるように鴉太郎は大声を上げて泣いた。

 その頭を鳶丸は優しく撫で続けた。

「ねぇ、誰かおれのことも気遣ってぇ」

 地面にへたり込んだ栄吉の声は、子供達の泣き声に掻き消された。

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