2-30 説得と急過ぎる展開
[視点:アイリス]
私達は今、ネロの兄である第二王子レフコの手配に恵まれてインダート共和国の人が泊まっている屋敷に来ていた。
簡単に会えるとは思っていなかったし、もし会えたとしても明日以降だろうとも思っていたので驚くばかりだ。ネロが得意げに話すレフコは本当に仕事が速い有能な王子らしい。
その屋敷の中にある応接室の様な場所で座って待っていると、隣にいたネロが落ち着かない様子で言った。
「こちらの話を信じてくれれば良いけどなぁ……」
勿論その通りで失敗は許されない場面なのだが、不思議と私の心は落ち着いていた。
「私達の誠意をしっかりと伝えれば大丈夫な筈です。それにもし純粋な利益のみで考えて頂いても、反対する理由はないと思いますから……」
もしインダート共和国までもが魔王派によって国の上層部を支配されているのだとしたら別問題ではあるけれど。
私の言葉に納得したのか深く頷いたネロは、感心したかの様に言った。
「流石と言うべきか、落ち着いてるな。国を背負って立つ場数の違いかなぁ」
その言葉に、後ろで控えていたロゼリアが話に入ってくる。
「アイリス様はイヴォーク王国の第一王女ですからねっ!」
何故か自身たっぷりにそう言ったロゼリアの様子に思わず苦笑いで返してしまう。
すると深い息を吐いたネロは両手で一度自分の頬を叩くと、表情を引き締めた。
「よしっ、俺も頑張らないとな」
ネロのそんな言葉とほぼ同時に、部屋の扉が開かれる。そこから二人の男性が姿を現した。
「やぁ、お待たせしてすまないね」
そのうちの一人、初めに入ってきた言ったその男性の事は良く知っていた。
彼はインダート共和国の大統領、シグルという五十代半ばの男性だった。
何度か目にした事はあるが少しだけお腹の出ている彼は愛嬌を感じさせる優しそうな表情をいつも浮かべている。彼の永遠の悩みは、段々と後退していく生え際というのは公然の秘密である。
だがもう一人の眼鏡をかけた三十代半ばといったぐらいの長身の男性については全く面識が無かった。
シグルの言葉を聞いて立ち上がり、頭を下げた。
「本日はお忙しい中、急な申し出に応じて頂きありがとうございました」
少しだけ目線を横に向けると、ネロも同じ様にしているのが見える。するとシグルは慌てたように声を上げた。
「いやいや全然大丈夫だよ! ほら、お礼はもういいから座って座って」
そう促されるままに座ると、机を挟んで正面の席にシグルともう一人の男性も腰かけた。もう一人の男性については面識が無かったのでどうしようかと考えていると、シグルがそれを察してか口を開いた。
「そういえば説明がまだだったね。この人はインダート共和国にある二党の内、私とは違う政党の党首でヤーリャと言う」
「紹介に預かったヤーリャです。よろしくお願いします」
そう言って差し出された手と軽く握手をすると、シグルが話しを続けた。
「さて、レフコ殿下から重要な話だとは聞いていたのでヤーリャも連れてきたのだが、まさかアイリス殿下が出てくるとはね……それで、今日はどういった用件かな?」
シグルは人当たりの良い笑みを浮かべてそう言ったが、その瞳には真剣な光が見えた。
だからこそ、こちらも真っ直ぐぶつかっていくしかない。
「……まずはこちらの方を見て頂けますか? イヴォーク王国の現国王、フロガの直筆の手紙です」
「ほう?」
手渡すと共に言った私の言葉に、シグルの瞳には少しだけ驚きの色が混ざったように見えた。手紙を受け取ると、ヤーリャと共に食い入る様に眺めていく。
「……なんと」
「これは、思った以上に重要でしたね……」
しばらく二人で何かを話し合っていると、やがて読み終えたのかフロガからの手紙を机の上に置いて一息つく。そして少し間を置いてから私の目を見たヤーリャは静かに問いかけてきた。
「フロガ陛下の印もある事だから信用しない訳ではありませんが……ここに書いてある同盟の条件というもの、これは本気ですか? これではあまりにもイヴォーク王国にとって利益がないどころか、損をする部分もあるでしょう」
滅亡した国の難民問題の解決案や食糧問題、更には緊急時への対応など何をとってもイヴォーク王国が一番負担になるものばかりを条件としていた。誰が見ても驚くだろうし、私も初めて見た時は本当に驚いた。
しかしあの封筒にはこの手紙と、もう一枚の紙が入っていたのだ。そこには私へと宛てたフロガのこの同盟に掛ける強い思いが記されていた。それを目にした時から私も覚悟を決めている。
「はい、もちろん本気です。陛下は短期的なイヴォーク王国単体の利益を考えても、どのみち魔王に踏み潰されるだけだと考えてこの決断をしました。逆に言えば、ここで団結できないならばもう人類は終わりだ、とも」
その考えには私も全面的に同意だった。このままではゆっくりと迫る魔王の危機に怯えながら暮らしていくしかない。たとえイヴォークに少しも得が無かったとしても、結束することの方が重要だろう。
だがシグルは腑に落ちないとばかりに聞いてくる。
「この辺りでは間違いなく一番の大国にこれほど折れられれば私達としても断る理由は無いが……なぜ今のタイミングで私達に話を? 明後日の『三国連合会議』に向けての手紙の様だったし、この条件であれば普通に提案しても全員が首を縦に振ると思うが……」
「それは俺、じゃなくて……私から説明します」
すると今まで黙っていたネロが横から声を上げた。
「まずはこれを見てください……インダートの方達なら説明は不要だと思いますが」
ネロが取り出したのは、四角い箱の様な魔道具と一枚の紙だ。ヤーリャは知っていたらしく、それを見た途端に反応する。
「ああ、私共の国で作られた魔道具ですね。場の光景を精密に描写することができる……大統領もご存じですよね?」
その言葉にシグルも答える。
「ああ、知っているとも。それで、これが魔道具を使って描写したものかね?」
彼の問いにネロは静かに肯定すると、それを見た二人は近くまで紙を持ってきて驚いた。
「こ、こいつは……!」
「ヴェル陛下と……ガイルですね、間違いなく。そして背景はノード城……なるほどそういう事ですか」
シグルよりも一足早く気付いたのか、ヤーリャはため息と共に核心を突いた。
「ヴェル陛下は魔王派、もしくはそれに協力している、で間違いないですか?」
「……その通りです」
ネロは厳しい表情でそう答えた。すると大きなため息をついたシグルが、やがてゆっくりと話し始める。
「なるほど、そういう事だったか。本来であれば、マグダート王国との関係そのものを見直さなくてはならないところだが……」
「なっ、お待ちください!」
シグルから発せられた想定外の言葉に思わず立ち上がったネロが大きな声を上げるが、直ぐにシグルは表情を柔らかいものにして答える。
「大丈夫だよ殿下、そんな事はしない。少なくとも、レフコ殿下と貴方がこうして動いている限りはね」
その言葉に、ネロは肩の力を抜いて座り込んだ。
「良かったぁ……ありがとうございます」
あまりにも安心しきったネロの顔に少しだけ笑ってしまう。すると前からヤーリャが改めて、といった様子で話を続けた。
「事情の方は理解しました、その同盟には全面的に協力しましょう。私の持つ一票と、大統領の二票もですよね?」
「ああ、勿論だ。インダート共和国の意思として賛成しよう。折角だから、飛び込み参加ではなくインダートが国として持ち込んだ議題ということにするか。その方がけん制にもなるだろう」
その思いがけない提案に、思わず立ち上がって答えた。
「是非、お願いします!」
するとシグルが笑いながら言う。
「いやいや、むしろ私達が助かる話なのだから当然だよ。それにここだけの話、ヴェル陛下は少し気に入らなかったしね」
突然出てきた爆弾発言の様なものに目を丸くしていると、ヤーリャが思い出したとばかりに同意した。
「戴冠式の話ですね。あれは傑作でした」
そうして二人で笑い合っている様子を見てネロと一緒に不思議がっていると、シグルがその理由を話し始める。
「いやぁ、数日前にあったヴェル陛下の戴冠式の話なのだけどね。玉座でふんぞり返った陛下は私達に何を言ったと思う?」
シグルの口から出た問いに見当もつかずに首を捻っていると、ヤーリャが少し笑いながら教えてくれた。
「私達やウォルダートの王にまで、『
その光景を思い浮かべるだけでも苦笑を漏らすしかない。隣のネロに関しては頭を押さえながら無言で天を仰いでいる。
あまりにも酷い話に笑っていると、部屋の扉が数回叩かれた。それにシグルが少し大きめの声で答える。
「どうした? 何か用か?」
すると扉の外側から女性の声が聞こえてくる。
「失礼します! シグル様にお客様が来ております。何やらマグダートのヴェル陛下直属の騎士の様で……」
突然の事に、思わず背筋に緊張が走る。するとヤーリャが声を潜めて言った。
「殿下達はあの机の裏側に隠れていて下さい。もしヴェルに伝わったら不味いかもしれませんから」
ヤーリャに小さい声でお礼を言うと、ロゼリアとネロと共に部屋の隅にあった机の裏に隠れる。丁度三人隠れても入り口から死角になっていた。
私達が隠れたのを確認したのだろう、シグルはもう一度大きな声で答えた。
「わかった、入ってきなさい」
その言葉が響いた直後に開けられた扉から、誰かが入ってきたようだ。
「失礼します。シグル様、ならびにヤーリャ様にヴェル陛下からの重要な連絡がございます」
これは聞いてしまっても良い内容なのだろうかと一瞬疑問に思ったが、続く言葉は驚きで思わず息が詰まる程のものだった。
「三国連合会議は、予定を繰り上げて明日の朝に行う。これは決定であり異論は認めない、とのことです」
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