1-23 とある男の話・前
「ねえねえ、オジサンってここの家に住んでる人?」
目の前にいる私の腰の下程にある茶色い毛玉にそう聞かれた。いや、毛玉ではなく身長が少し低めの少年だった。
「……そうだよ。何か用かな?」
まだ世界の汚れを知らないかの様に輝くその瞳を何度か瞬きさせて、不思議そうに少年は言う。
「お母さんが隣のこの家には誰も住んでいないーっていうから、見に来たの。気のせいだったんだね」
自分の中で納得がいったのか、少年は「バイバイ!」と手を振りながらどこかへと走っていった。
私があまり外出しない事もあるが、この町で人と話すことも珍しく感じる。魔王の支配から一番遠い場所にあるこのイヴォーク王国でさえも、人々の活気は失われつつあった。
緩やかにだが、着実に人類の敗北が近づいていることを肌で感じる。
先程の様な少年には可哀想だが、まあ私にとっては相応しい結末を迎えることになりそうだ。
外の空気がやけに寒く感じて、開けていた扉を閉めて壊れかけの家へと引きこもった。
あの時、私が魔王を討てていれば。
そう思うのは一体何度目のことだろうか。
私が魔王の角を砕いた事と引き換えに得たものは、一生仕えると心に決めた主君の死と、無駄な余生のみ。
それは私の心を折るには十分過ぎる程の結末だった。
「イレイズルート様……アトラ様さえ守る事も叶えられなかった私は、一体何のために生きているのでしょうか」
屍となった王が最期まで身に着けていた、壊れたペンダントに向かって祈る。しかし直ぐに無くしてはいけないと思い、引き出しの中へと直そうとした。
ふと、壁に立てかけてある数々の物へと視線が移った。そこには役目を終えた傷だらけの鎧や兜、そして王へと捧げた心の分身である両手剣が静かに並んでいる。
その剣の柄へと、おもむろに手を掛けた。
「そこにいる者……何者だ。返答次第では容赦せんぞ」
長い間使わなかったにも拘わらず研ぎ澄まされた神経は、扉の前にいる者の気配を少し前からずっと感じ取っていた。
「……すまない、失礼なことをした。私はフロガ王の『影』の者だ」
その言葉を聞いて、少しだけ安心する。
フロガは長年の友人であり、こんな自分が心を許せる数少ない人物の内の一人だったからだ。時折こうして、影の者を使って連絡を取っていた。
「そうか、入って良いぞ」
するとゆっくりと扉が開けられ、黒を全身に纏った者が入ってきた。
「さすがに凄まじい殺気だったな……さすが猛将アリウス、久しぶりに命の危険を感じた気がする」
その男は今まで来たことがある者達とは違い、感情に起伏が多い印象を受ける。
「それで、何か用でもあるのか? 最近連絡を取ったばかりだと思うが……」
いくら友人だからといっても、一国の王と頻繁に連絡を取り合う訳にはいかない。フロガもそれは分かっているのだろう、いつもはある程度の間隔を空けてから影を送り込んできていた。
だからこそ、何か急な連絡でもあるのかと疑問に思ったのだ。
「ああ、貴方にとって何よりも重要な用だろう」
その言い方に勿体ぶる様子を感じ、少しだけ頭にきて口調が荒くなる。
「そこまで重要ならばさっさと話せ。私はお前と世間話をする気はない」
するとその影の男はやれやれ、とわざとらしく首を振った。もうこの男の動作全てに対して、既に荒んだ心がさらに掻き立てられる。
しかし、そんな心は男が放った言葉の内容で吹き飛ぶことになる。
「……クリスミナの血が途絶えていないことがわかった」
「なんだとっ!! アトラ様が見つかったのか!?」
もはや反射ともいえる速度で、そう聞き返した。
自分の仕えた王であったイレイズルートを目の前で失ったことで、クリスミナの血を継ぐ者は行方不明のアトラだけのはず。
途絶えていないという言い方であれば、アトラが生きて見つかったという事だと勝手に判断してしまう。
しかし、目の前の男はそれを否定した。
「第一王子は未だに行方不明のままだ」
その意味を、私は理解できないままだった。この男はからかいに来ただけなのだろうかと考えてしまう程だ。
しかし、続く言葉でその混乱は更に深まる。
「イレイズルート王に、隠し子がいたことが確認された。それも今まで違う世界で暮らしていたそうだ」
だがその言葉を信じられる筈がなかった。
「もしそれが本当だとすれば私が……陛下の側近にして誰よりも長く仕えてきたこの将軍、アリウスが知らない筈がないだろう」
「信じられないのであればそれでも良い。ただし、一度会っておいても損はないと思うぞ?」
フロガの使いであるこの男が嘘を言っている感覚は受けない。しかしあまりにも突拍子もない話で、自分の頭は全く動こうとはしなかった。
「まあ今は幻界の森に行っているらしいから、帰ってきてからだな。……なんだ?」
黒装束の男がそう言ったと同時に、扉の外から何者かの気配を感じた。
その気配はこちらに向かって何かを投げる。しかし殺意などは感じなかった為に動かなかった。
投げられた物は扉を通り過ぎると同時に、男が掴み取る。
「フロガ王からの伝令? ……なるほど、感動の対面の前にこの国が無くなる可能性がありそうだな」
「どういうことだ?」
いまいち要領を得ない男の不穏な言葉にそう聞き返す。
すると、初めて真剣な顔をした男は真っ直ぐに私を見つめた。
「現在、この首都は魔王軍からの侵攻を受けている。それに対して発動したブラスト様の作戦が『失敗』したそうだ」
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