05 白銀砂漠のオアシス


「あれは……」


 キャリウス車展望室から前方を見て、一真は声を漏らした。


 白銀の雪原に、まるで砂漠のオアシスのように、緑で囲まれた建物があるのだ。

 ただし植生は寒い地方のものだが。

 短い下草に、若く細い針葉樹が2本程度植えられている程度である。

 それでも、塩に覆われた大地に急に現れた緑であることに変わりはない。

 そんな場所が最寄りの街を出て数分で見えてきたのだ。


「あれが弟の研究成果と研究所だ」


 キンシィが一真の後ろで言った。

 一真が振り向くと、キンシィは優しげな表情で、緑のオアシスを眺めている。


 ディマオ・ディマドゥスが参集に応じない。


 そうセコンダリアの王城でセージックに説明された。

 だがなんとしてでも全神機および奏者を確保したいセレンは諦めきれない。

 キンシィを伴ってディマオに会うことにしたのだ。

 今はディマオの研究所に向かう道中である。


 そして一真とセレンはここまでの道中、ディマオについて話を聞いていた。


 キンシィが言うに、もともとディマオの研究は多岐に渡る。

 が、メインは塩の大地を元に戻すこと、だと言う。

 その成果はこの展望室から見えるとおりだ。

 即ち狭い範囲においては成功している。


「樹木を見る限り、おそらく数年はあの状態を維持している。凄まじいな」


 一真の隣でセレンが呻りながら言った


「だがこれほどまでに塩害対処に情熱を燃やす。

と言うことは、呪いを晴らすことに異論はないとおもうのだが――」


 セレンのつぶやきに一真は心の中で同意する。

 本人がどういうつもりかは分からない。

 だが、傍目からはセコンダリアの将来を思っての研究を行っていることに間違いはない。

 だから余計に、ディマオの不参加が一真には分からなかった。


 緑に囲まれたディマオの研究所は大きくない。

 大きさとしては平屋一戸建て程度だろう。

 レンガ造りなのか、遠目にはオレンジ色に見える。

 石造りで外壁を白く塗り固めることが多いセコンダリアには珍しい色だ。

 通常の理由は一真も聞いている。

 屋根は雨で流れるが、壁は塩が付着して白くまだらになるのだ。

 だから、オレンジ色の外壁は余計に目立つ。


 レンガ造りの研究所を用意し、維持するほどに、ディマオの研究はすすんでいるのだ。


「あの成果があれば、セコンダリアを」

「無理だ」


 一真が漏らした言葉に、キンシィが短く否定する。


「魔法を使った除塩と結界。あれだけとは言え、兄として誇らしい。

 だが、そこまでなのだ。ディマオの研究では、あの範囲が精々なのだ」


 キンシィは苦々しい表情で絞り出すように言った。


「数年で成果が出たときには我らも期待した。

 してしまったのだ。だが、どうしても範囲が広がらない。

 セコンダリアを救うには狭すぎる」


 同じ方法では、何百倍の範囲には出来ないだろう。

 それは一真にも簡単に予想できることだ。


「反逆に頼りたくない気持ちも、私には分かるがな」


 と、セレンがディマオのオアシスを眺めながら言う。


「どういうことだ?」


 一真はセレンの方を見て、訊ねた。


「塩が物質として大地に撒かれている。

 反逆に成功しても、既にある塩は消えない可能性が高い」


 神の奇跡をなくす事によって歪みを正す。

 反逆とはそのための手段だ。


 だから、奇跡によって現在進行形で影響がある物しか元に戻らない、と考えられる。


「例を挙げるならば……フィベズがいいか。

 反逆が成功すれば、これからの出生率は正常な1:1に戻る。

 だが今現在における人口の偏りが変わるわけじゃない」

「それは承知の上だ。第一、それは協力要請の時に説明してくれただろう」


 セレンの補足するような説明に、キンシィが頭を振って制した。


「それでも良い。良いのだ。ここまで塩に覆われるその原因、それさえ取り除けば」


 一真にも分かる。

 キンシィの言うことは、希望的観測だ。

 一真はセコンダリアにどれほどの雨が降るか知らないが、年単位でかかるだろう。


 数呼吸の静寂を置いて、セレンが口を開いた。


「長い時間を掛けて雨が流してくれる、か。

 だが塩が流れてもすぐ植物が戻るわけじゃない」

「今の生活を続けて、待てば良いだけだ」


 セレンの言うことに、間髪入れずキンシィが返す。


「耐えれば良い未来が待っている。その事実だけで、セコンダリアは耐えられるのだ」


 うつむき、歯を食いしばるキンシィをセレンが少し見て、目を逸らした。


「……もうすぐ到着する。降りてディマオと話そう」


 一真は珍しく気弱な声を出したセレンに、頷く。

 もう一度だけ白銀の中にある緑のオアシスを見て、窓に背を向けた。


 キャリウス車が停まり、外に出て芝生に3人は降り立つ。

 思った以上に柔らかく沈む芝生に一真は驚いた。

 視線を下げて芝の様子を見ると、葉先がすべて細く丸くなっている。

 刈られた様子が一切ないのだ。

 芝が生え始めて間もないか、成長限界なのかは一真には判断がつかない。


「おぉ……」


 感嘆の声を上げるキンシィが何度も確かめるように芝生を踏みしめた。


「すごいな。絨毯のようだ……」

「うん? もしかしてここに来たことがないのか?」


 妙だと思ったのか、セレンがキンシィに問いかける。


「あ、ああ。ここに来るのを許されてるのは兄貴だけだ。遠目には見たことがあるがな」


 キンシィとセレンは三人兄弟の2番目3番目だと一真は聞いていた。

 説得もその兄がやっていたのだろう。


 セレンの質問に答えながらも、キンシィは足踏みをやめない。

 芝の感触に感じ入る物があるのだろうと、一真は思う。


 ただ一真自身も芝生に足を踏み入れた経験は少なかった。

 日本では都会暮らしで公園にもあまり行かなかったからだ。

 だから一真にとって比較対象はゼクセリア王城周辺のみである。


 ここの芝生は足の沈みが大きく歩きにくいな、と一真は思った。


 セレンがため息を吐いて、キンシィに向き直る。


「キンシィ。そのくらいにして、ディマオを呼んでくれ。頼む」

「お、あぁ。わかった」


 少し顔を赤らめたキンシィは頷いて頬を軽く指でかいた。

 キンシィは一度だけ深呼吸をすると歩いて扉の前に向かう。

 そして腕を掲げ、拳を作り、木製ドアを三度叩き音を出した。


「ディマオ! おおいディマオ!」


 叫んだキンシィの大声が、塩の原に染み渡る。


 たっぷり数十秒、一同は待った。


 焦れた一真は呟く。


「留守、か?」

「いや、そんなはずは。リヨモの街には来てないらしいからな。

衛兵に聞いたから間違いない。実家にもいないはずだ」


 リヨモはここディマオの研究所から一番近い街だ。

 買い物にも行っていないし、実家にも帰っていない。

 ならば、研究所にいるはずだ。


「聞こえなかっただけか? さほど広い建屋ではないんだが」


 腕を組み首を傾げキンシィが疑問を口に出す。

 相変わらず研究所内からの反応はない。


「もう何度か呼びかけてみよう」

「分かった」


 ディマオはセレンの提案に頷くと、拳でドアを叩く。


「おーい! ディマオ! いないのか!?」


 何かが落ちて、それに連れて立て続けに堅い物が落ちる音がした。


『ぐあ!』


 続けて聞こえてきたのは、小さいが中から人のうめき声のような物だ。


「ああ、わかった」


 キンシィが言う。


「あいつ寝てたな? 夢中になると夜を徹するのは変わりない。少し待とう」


 一真とセレンは頷いて、今しばらく待つことにした。

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