13 夜半の辞



 夜、ふと目が覚めた一真は、談話室のソファに座り込んだ。


 時間が遅いためか、室内は薄暗く沈んでいる。


 シャワーも浴び、普段の簡素なゼクセリア衣装に着替えた。

 レイギに付き合って互いの国の料理も食べたので、腹はまだ空いていない。

 水は部屋で飲んだ。


 ただ、眠気がどこかへ行ってしまったのだ。


 戦いの後の興奮とも、戦いの前の緊張感とも、違う。

 不思議な高揚感が一真の中にあった。


 時間は恐らく日付が変わった当たり。

 翌日には次の、そして最後の戦いが控えている。


「いよいよ、か」


 ソーラを助けたい。

 その想いは変わらない。


 不安が大きくなるにつれ、ソーラの笑顔を思い返した。

 いや、ソーラだけじゃない。

 新しく知り合った人々のことを一真は助けたいと想った。


 異邦から来た自分を助けてくれた人々を、助けたいと、一真は想うのだ。


 そしてきっと、レイギも。


 譲る気は無い。

 負ける気も無い。


 ただ、レイギもそうなのだろう。

 自分と同じなのだろうと、一真は感じ取っていた。


 その時だ。


「かえりたくない」


 声がした。女性の声だ。


 ルアミか。

 一真は一瞬そう思った。

 だが声が違うと断定する。

 ルアミではない。

 それにルアミなら、まっさきに一真に飛びかかって服を汚すからだ。


 一真は薄暗さに負けないよう目を凝らしながら周囲をよく見渡す。


 円形に並べられたソファの反対側に、誰かがいた。


 ソファに深く腰掛け、腰を大きく曲げて項垂れている。

 色合いの地味な町娘風の衣装で、薄暗がりに溶け込んでいたのだ。

 顔は見えない。

 長い髪はストレートだが乱雑に方々に垂れ下がっている。


 一真は声を掛けようとして、やめた。

 ルアミを思い出したからだ。めんどくさいことになる。

 そんな直感があったからだ。


 気付かれないように一真はゆっくりと立ち上がる。

 そして音を立てないように忍び足で部屋を出ようとした。


「あ、こんな所にいた」


 後ろからの声だ。


 一真はビクっとなって振り向いた。


 振り向いた先、階段を下りたところに見慣れた女性がいる。

 イレベーナのルアミだ。


「る、ルアミさん?」


 ルアミはため息を吐きながら呆れたように言う。


「探したわ。さんざんにすれ違ってたけど、ようやく」

「どうしたんです?」


 一真は姿勢を正して向き直った。


 ルアミは最初にあったときと同じ、幾何学的な模様の描かれた民族服だ。

 髪も化粧も整えられ、暗がりの部屋にあっても輝くような美貌である。

 階段周りの灯りに照らされ、彼女自身が輝きを帯びているようだった。


「なんの挨拶もなしに別れるのはちょっとと思ったからね」

「挨拶なんて」


 ここで知り合って、戦いもせず別れるのだ。

 だから、一真はルアミがわざわざ別れを伝えようとしているとは思いもしなかった。


「それに明日でも良かったのに」

「こっちはさっさと帰りたいのよ。あいつも帰っちゃったし」

「あいつ?」


 少し引っかかり、一真は聞き返す。


「こっちの話。ま、それにあんたには迷惑掛けちゃったしね。変な所を見せたわ」


 今、ここにいるルアミは、初めて会ったときと同じ印象を一真は抱いた。

 自信にあふれ、誇り高く、清く冷ややか。


「ああ、まぁ」


 何と返せば良いのか、一真は迷いながら声を漏らす。

 気の利いたことを返せればな、とも思った。


「その、次が有れば、良い勝負を」

「次なんか無いわ」


 短く厳しい声だ。


「えっ?」

「私ね、他国に嫁ぐの。危機に陥った祖国から逃げるように。

 逃げたくないのにね。これが最後のチャンスだった」


 ルアミは腕を組んで、何でも無いことのように言う。


「お父様は私のことを思って逃がしてくださる。

 それは分かるの。

 でも、願うことなら国を救って、良くなった祖国を見てから出たかった」


 表情も、悲壮なものではない。

 憤りもない。

 眉も目も平坦で、口元にも力はこもっていない。

 ただ、何も感じていないような、表情だった。


「だから、もう無理なの」

「そう、か」


 一真はルアミの雰囲気に圧倒され、それだけ絞り出すのが精々だ。


 どう、何を、言えばいいのか。

 全く浮かんでこない。


「気にしないで。ゼクセリアにも事情があるなんて事は分かってる。

 私の心を貴方の負担にさせないために、冷たく言っているだけなんだから」


 ルアミの言う冷たさが、一真にはどうしようもなく重い。

 重く、感じるのだ。


「なら、これでお別れ、か」

「そうね。最後の戦儀、頑張って。

 貴方は、貴方の国を救うことだけを考えるの。いい?」


 ルアミは一真に背を向けた。


「ああ。当然。ゼクセリアは、俺が助けるんだ」


 一真はルアミの背に、覚悟を投げる。


「じゃあね」


 背中越しにルアミは手を振り、歩き出した。


 ルアミなりの激励だったのだろうと、一真は思い、ルアミの背に声を投げかける。


「ありがとう」

「ふふ」


 軽い笑い越えだけが、帰ってきた。

 ルアミはそのまま、イレベーナの出入り口に歩く。


 一真はルアミの背がドアの向こうに消えるまで見送った。


「応援、されてしまったな。ふぅ」


 そして、ルアミが消えたドアに背を向けてその場のソファに腰を下ろした。


 目の前に幽鬼の如き女がいる。


「うぉわあ!」


 室内にいためんどくさそうな女から逃げようとしていたことを、一真は思い出した。

 手遅れだ。


「話を、聞いてくれないか」


 水分が足りないのか、掠れたような声で女は聞いてきた。


「あ、あぁ。分かった」


 生気のない表情と声に恐れを抱いた一真は、そのまま頷くしかなかったのだ。

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