05 男とアルコール


「宿題は出来た?」


 一真は二階に上がりながら、そう切り出した。

 談話室の喧噪は遠く、この施設の防音効果を思わせる。


「出来とうに。ただん、合っとうか分からんち」


 あれから、少し時間を見つけてヘマの勉強を見た。

 アジャンやミルアにも協力して貰って、簡単な計算の問題を作ったのだ。


 この施設は持ち込まなければ、本や教材は何もない。

 一真が暗算で出来る計算問題。

 そしてアジャンやルアミが覚えている字の書き取り。

 その2つが教えることが出来る精一杯だ。

 それでも、ヘマは喜んで机に向かったのだ。


「そうか。あとで見せてもらおうかな」


 まだまだ始まったばかり。

 引き算は早いかな。答えが二桁はどうだろう。

 そんなことを考えながら、一真は廊下を歩く。

 ヘマと繋いだ手は暖かく、しっとりと柔らかい。


 一真がヘマの顔を見ると、ヘマは顔を少し赤くして、顔を逸らした。


 廊下は終わり、2人は食堂の中に入る。


「む、誰か来たのか」


 声のした方に一真は顔を向けると、そこに男がいた。

 髪を短く刈り揃え、無骨なコートを身に纏った壮年の男だ。

 日に焼けた、気むずかしそうな顔は一真は見覚えがあった。


「こんにちわ。ゼクセリアの金城 一真です」「ティルドのヘマ」


 一真はまず、と挨拶をする。

 続けてヘマも名乗り、直ぐに一真の後ろに隠れた。


「ああヘマ、こら。あ、食事にしようと思って」


 ヘマに注意をしようとしてやめた一真は、代わりに男に理由を言う。

 言いながら、男も食事なのかと思ってテーブルの上を見た。

 コップと食べ物が入った小さめの器が1つ乗っているだけだった。


「そうか」


 コップの中身を一口飲み、男は続けて聴いてくる


「ゼクセリア、というと勝ったのか? 負けたのか?」


 一真は答えながら、スカイドを取りに行こうと棚の方に歩きだした。


「ええ、勝ちました。次はたしか」

「デカドス」


 足を止め、男の方をみる。

 濃い緑色のコートに、刈り整えた短い髪。

 がっしりとしたたくましい体付きが、分厚い布の上からでも分かる。


「私がデカドスの奏者だ。名をバルド・バルガス。なるほど、次の相手は君か」


 バルドは小さなフォークで器の中を突いて、刺した何かを口に運んだ。


「あなたが」

「カズマ」


 ヘマが一真の手を引いた。


「あだし、後にするき。話すんが?」


 それだけ言って、ヘマは一真の手を離して食堂の入り口に駆けていった。


「あ、ヘマ」


 一真は呼び止めようと思い、辞めた。

 気を利かせてくれたのかも知れない。

 思えば、今までは戦う前には相手と何か話していた。

 それをヘマに雑談で話した気がする。


「ふむ、話には聞いていたが、いや辞めておこう。

 しかし、聡い子だ。気を利かせたのだろう」

「そうかも」


 一真はバルドの言葉に頷いた。

 話が終わったら、また誘うとしよう。

 食事もそうだ。

 なるべく、長く側にいてやりたい。

 そう、一真は考えた。


「うん、そうだな」


 もう一度、大きく一真は頷く。


「ところで君もやるのかね?」


 バルドが自分のコップを掲げた。


「やる、とは」

「酒だよ。種類も少ないし、戦儀の前10時間は飲めないがね。

 終わったのなら出るだろうよ」

「酒?」

「そうさね。酒だ」


 そういえば、いつも使うコップとは違う形だ。

 あのドリンクバーに角張ったコップは無かったような。

 一真はドリンクバーの方を見る。


「ああ、こればかりは上に教わらないと分からんだろうよ。

 これはな、個室に備え付けのものだ。

 これを置いてあのボタンを押すと、愉しめる。

 なに、他のに移し替えてもわかりゃせん」


 善意なのだろう。

 穏やかな表情からは、微塵の悪意も、悪戯も感じられない。

 ただ、誘っているだけだ。


「いや、そういうのが嫌なら一度個室に取りにいってもいい。

 何、一人呑みもよいが、連れ添いがいた方が愉しめるというものよ」


 楽しげな声につい一真は頷きそうになった。


「いや」


 一真は首を横に振る。


「酒は、嫌なんだ。父が体を悪くしてね」


 アルコールの微かな匂いに、父を思い出した。

 相当な時間呑んでいたのか。

 いや暖かい酒だから香りが強いのか。

 一真には分からない。


 ただ、自分を養うために働いて、ストレスを癒やすように酒浸りで。

 そんな父を思い出した。


「そうか、残ね、いやすまない。

 我が国は酒飲みが多くてね。

 寒いからだろうか?

 飲み過ぎでそのまま凍死するやつもたまにいる。

 無理強いは厳禁だとは分かっているが、やはり誘うのは辞められないな」


 くく、と笑い、バルドはコップの酒を飲み干した。


 一真には、バルドの気持ちがよく分からない。

 たまに誘われた合コンや飲み会も烏龍茶や水で凌いで来た。

 あまり美味しいとも思えなかったし、父の事もあったからだ。


 バルドは立ち上がり、ドリンクバーに向かって歩く。


「ああそうだ。一口どうだね?」


 機械にセットしてボタンを押した。

 もう一杯飲みたいのだろう。


「一口? いや、お酒は」

「ああ、すまん。違う。そのクバンだ」


 先ほどまで座っていたテーブルを指差して、バルドは言った。


「クバン?」


 一真はオウムのように返す。


「さよう。そのつまみよ。

 我が国でも採れるソバを粉にして練り、皮を作り、挽肉を詰めて塩で味付けしたスープで煮たものだ。

 ここのはムギを合わせた古い作り方のようだが、美味いぞ」


 バルドは言いながら再び歩いて、椅子に座った。

 フォークでクバンの包みを刺し、持ち上げて一真に示す。


 あまり、拒絶するのも悪い。


「では、お言葉に甘えて」


 一真はカラトリーのあるところいき、フォークを手に取った。


「ほう、なかなか。無遠慮な者は口を開け、マシな者を手を差し出す。

 デカドスでなら、礼儀正しいと言われるだろうな」

「どうも」


 どう言えばいいか分からず、反射的に答えた。


 バルドが笑顔で頷く。

 正解の反応だったのだろうか。


 一真はバルドの対面に座る。


「では1つ。頂きます」


 スープに浮くクバン目がけフォークを突き刺した。

 ス、と先が入る。

 水餃子に似ているだろうか。

 持ち上げ、左手で垂れる汁を受けながら口に運ぶ。


 温かいスープが舌に触れた。

 塩の強い味。

 ぷるりとした皮。


 クバンは小さく、子供でも容易に一口にできるほどだ。

 しかし、丸く膨らんで、中身は多い。

 噛めば、肉の脂と塩気の強いスープが合わさり、何故か甘みと塩分を同時に刺激する。

 脂の甘みだ。

 遅れて肉の味。

 塩と何かの出汁、いやコンソメと混ざり、味に統一感が出た。


 飲み込む。

 細かい肉と多少残った皮が喉をほんの少しだけ広げながら胃に向かう。


「これは、美味しいですね」

「ははは!

 そうだろうそうだろう。

 今のクバンは皮に汁が染みて噛めば溢れるように美味い!

 が、この古い時代のクバンは喉が楽しい!

 味も濃くて実に合う。そう、酒に合うのだ!」

 

 先ほどまでの静謐で気むずかしそうな雰囲気とは打って変わり、バルドは大いに笑った。


「いやいや、久々に誰かと食事、というにはほど遠いか。

 何かを他人と食べるのは久々だ」


 そう言ってバルドはコップの酒をあおり、ぷはぁと息を吐く。

 実に美味そうで、一真は興味を引かれた。


 だが一真は首を振って誘惑を断つ。

 父のように、溺れるのがいやだ、というのもある。

 ただ、飲むならせめて祝いの時だけだと、一真は決めていたのだ。


「私はそろそろ失礼します。また、戦いの時はよろしくお願いします」


 一真は立ち上がりながら言った。


「戦いか。戦いね」


 バルドはコップを少しゆらしながら、寂しげにため息を吐き、言う。


「戦いにはならんさ。そうだな。作業、そう作業がいいとこだ」


 唇の端を歪めて、くく、と笑ったのだ。


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