レジーナ編「砂塵に散った想い」 第3話
「将軍! 敵影が見えました!」
壁の上に登った見張りの兵が、下にいる私達本隊にそう報告する。ニンバス将軍はそれに頷くと、全軍に大声で指示を出す。
「いいか! これより我々は総ての門を閉め、壁の上にてカスター軍を迎え撃つ! 弓兵部隊は南、傭兵部隊第一班から第三班は北の壁に登り、矢と魔法を放ってカスター軍を牽制せよ! 歩兵部隊は南門、傭兵部隊第四班から第六班は北門を押さえ、これを破られないようにせよ! 補給部隊は攻撃を途切れさせぬよう、分担して常に北と南の兵達に矢を供給せよ! 僧兵部隊と傭兵部隊第七班は怪我人が出た場合、直ちに癒し前線に復帰させよ! 敵が諦めるまで持ち堪えればこちらの勝利となる! 諸君! 決して功を焦り、無駄な突撃はするな! それでは往くぞ、我がルリアの勝利の為に!」
「我がルリアの勝利の為に!」
正規兵達がニンバス将軍の号令に指揮を上げる中、私は落胆の色を隠せなかった。ニンバス将軍は結局、私の忠告は無視する事に決めたらしい。
黙って大人しく、自らが消耗するのを待ってくれる敵がどこにいる。兵法書を過信するあまり、あの将軍はそんな事にすら気付いていない。
とはいえ、命令違反は指揮系統の混乱をもたらす。どんなに不本意な命令だったとしても、下された以上は従うしかない。
溜息を吐きつつ周囲を見回すと、不意にあの男、サークと目が合った。サークは緊張感のない調子で、こちらに笑いかけ手をひらひらと振る。
「……ふん」
私は敢えてそれを無視し、視線を逸らした。……あいつを見ていると、どうにも調子が狂って仕方がない。
そうして私達は、それぞれの持ち場へと移動を開始した。
砂漠の乾いた風が、何物にも遮られる事なくこの身に吹き付ける。高い壁の上から見下ろした砂漠は、まるでどこまでも続いているかのような錯覚に陥るほど広かった。
「……最も危険な場所には傭兵を、か。これも兵法書に沿ったのか? ニンバス将軍よ」
誰にも聞かれないように、小さな声でそう一人ごちる。カスター軍は北からやってくる。ニンバス将軍が傭兵部隊を盾にし、正規兵達の消耗を防ごうとしている事は明白だった。
周りの奴らはそれに気付いているのかいないのか、実戦を目の前にした緊張の姿勢を誰もが取っている。……これは不味いな。完全に場の空気に飲まれている。
どこの戦場でも大抵は何人か、高い報酬に釣られて初めて戦場に出たという傭兵がいる。そういった輩はこうして場に飲まれやすく、無事生き延びられるのは精々半分といったところだ。
だが今回は、そんな実戦経験に乏しい者ばかりの軍隊で戦わねばならない。兵士の損失は、それだけ自軍の敗北へと状況を傾かせる事へと繋がる。
――全く厄介だ。自分の面倒だけでなく、他人の面倒まで見なくてはならないとは――。
「隊長、ちょっといいか」
徐々に大きくなる砂漠の向こうの敵影からは目を外さずに、私は隣にいる、この傭兵部隊の隊長に声をかける。この役割は隊長へ立候補した者の中からくじ引きで決めたという、実にいい加減なものだった。
「あ、ああ。何だい?」
「兵が緊張している。隊長として、声をかけてやるべきだと思うが」
「そ、そう言われても……何て声をかけたらいいのか……そもそも僕だって、さっきから震えが止まらないし……」
……話にならない。元々くじ引きで決めた隊長だ、さして期待はしていなかったが……。
かといって下の立場にいる私が表立って兵を鼓舞すれば、隊長の立つ瀬がなくなり今後の人間関係に支障をきたす。もっとも、お互いに生き残れればという前提はつくが。
このままやるしかないのか。これは本当に、戦の終結を見る事なく死ぬかもしれないな。
敵の姿はもう近い。私はいつでも矢を放てるよう、一人弓を構えた。
いかに敵より高い位置にいるとは言え、確実に当てるにはまだ遠い。将軍は牽制でいいと言ったが、一人でも多く敵兵の数を減らさなければ戦に勝利など出来はしない。
まだだ。もっとよく引き付け、尚且つあちらが攻撃を開始する前に少しでも多くの敵兵を仕留める!
やがて盾を構え、こちらに歩を進める前衛の歩兵の姿がはっきりと確認が出来るようになった。ここだ。私は弓を引き絞り、そのうちの一人の眉間目掛けて力強く矢を放った!
「ひっ!」
私の放った矢は完全に狙い通りとはいかなかったが、見事一人の歩兵の右目に突き刺さった。突然仲間の目から矢が生えるのを目撃した敵兵達の間に、動揺が広がっていくのが解る。
「う……射て! 射てーっ!」
その一発を合図にするように、他の傭兵達も次々と矢を放ち始める。その殆どは途中で地に落ちるか盾に阻まれて敵の数を減らすには至らなかったが、降り注ぐ矢の雨にあちらも上手く移動出来ずにいるようだった。
「くそっ、魔法兵、迎え撃て!」
「『我が内に眠る力よ、疾風に変わりて敵を撃て』!」
しかしこんな事態を予想しなかった訳ではないのだろう、敵の魔法攻撃によりそうしたこちらの有利はあっさりと終わりを告げる。詠唱によって生み出された風の刃は向かってくる矢をことごとく撃ち落とし、そのまま私達のいる壁の上へ到達した。
「うわあああああっ!!」
何人かが風の刃に身を切り裂かれ、更に何人かがその余波に吹き飛ばされ壁から落ちた。激しい動揺が、今度はこちら側の陣営に広がっていく。
「……っ! 何をやっている! 魔法には魔法だ!
こうなれば最早指揮系統を気にする余裕もなく、私は声を張り上げ立ち尽くす仲間達に
非常に不味い。まさかここまで役に立たない者ばかりだとは思わなかった。このままだと籠城戦になるどころか、すぐに門を破られる事すら有り得る!
「――ありゃま。こりゃまあ、思った以上に散々な状況だ事」
その時、そんな場に似合わない呑気な声が私の耳に入る。まさかと思いつつ、私は声のした方を振り返る。
身を屈めて眼下を眺めるのは、人のそれとは異なる長い耳。間違いない。サークだ。
「サーク! お前こんな所で何をしている!」
「ああ、レジーナか。下はやる事がないんでな、ちょいと視察に来た」
事も無げに飄々と言い放つサークを、怒鳴り付けたい気持ちをぐっと堪える。今はここで、こいつと不毛な言い合いをしている場合ではない。
「……っ、勝手に持ち場を離れた件は今は不問だ! お前エルフなら魔法が使える筈だな、ならここで奴らの迎撃を手伝え! このままでは門まで一気に攻められかねん!」
「それってこっからあいつらを狙い続けろって事か? それだと確かに向こうは下手に動けねえが、状況の改善にゃならないんじゃねえか?」
「そんな事は承知の上だ! だがこちらの手勢がこの有り様である以上、今はとにかく奴らを近付けないようにするしか取れる手段がない!」
サークの反論にそう返しながら、再び敵軍に目を向ける。こちらの動ける者達も頑張ってくれてはいるが進軍を足止めするまでには及ばず、敵軍は着実に門までの距離を縮めてきている。
私もそろそろ、攻撃を再開せねばなるまい。そう思い、弓を構え直した時だ。
「――要は、あいつらをどうにかすりゃいいって事だろ?」
あくまであっけらかんと言い放たれた、そんな言葉。私が思わず振り返った次の瞬間、サークは軽やかに壁から身を躍らせていた。
「あの馬鹿! 何を……っ!」
私は焦り、壁から身を乗り出す。一人で敵陣に突っ込むなど無謀極まりないし、第一いくら下が砂だとしても、この高さから落ちれば無事では済まない!
しかし宙を舞ったサークの体は、壁の半分の高さまで来たところで突如失速を始めた。何が起きたのかと、私は下に向けてよく目を凝らす。
ゆっくり下降するサークの隣に、何か碧色の小さなものが浮かんでいた。それはサークが砂に着地すると同時に消え失せ、まるで最初からそんなものは存在していなかったかのような何もない空間だけが残る。
「な、何だ、あいつは!?」
「構わん、やってしまえ! 魔法兵は上への攻撃を続けろ!」
後方に控えていた盾役以外の歩兵達が、武器を構えて前に出てくる。しかし、今にもサークに向けて突撃していこうとしたその動きが突然ピタリと止まる。
「どうした! 相手は一人だぞ!」
「そ、それが……砂が急に深くなって、足が動きません!」
「何だと!?」
その言葉に、敵軍の足元に目を遣る。すると敵軍の周囲の砂が、まるで流砂のようになって敵軍の中心へと流れているのが見えた。
「これは……流砂!? 馬鹿な、流砂がこんな所にあるなど……!」
「うわあああっ、助けてくれえええっ!!」
「馬鹿者、攻撃の手を休めるな!」
突如現れた流砂に、敵軍は大混乱に陥る。私も、他の者達も、敵軍がじわじわと砂に飲み込まれていく光景を、攻撃するのも忘れてただ黙って見つめているしか出来なかった。
「さて、そろそろ仕上げといくか」
眼下のサークが、そう言って腰の曲刀を抜き放つ。その隣に、先程とは形と色が違う小さなものが浮かんでいるのを私は見た。
あれは……。あれがもしかして、エルフだけが呼び出せるという精霊?
サークは小さい何かを隣に浮かばせたまま、砂に飲まれまいともがく敵兵達の方へと駆けていく。馬鹿な、自分自身も流砂に飲まれる気か!?
しかし流砂の際まで来ると、サークは大きく跳び上がって手前の敵兵の顔面に飛び蹴りを喰らわせる。そしてその勢いのまま砂の上に倒れ込んだ敵兵を足場にし、他の近くの敵兵に曲刀で斬りかかっていった。
「な、何だこいつは!」
「落ち着け、相手は一人だ、例え足が動かなくとも……!」
「おっと、悪いがあんたら歩兵にはあんまり用はないんだ」
斬り伏せた敵兵を次々と足場にしながら、まるで敵陣の奥に食い込むようにしてサークは進んでいく。ここまで来れば、私にもサークが何を狙っているのか解った。
サークの狙いは――敵の魔法兵の殲滅だ!
相手が足を動かせない状態とは言え、まさに怒濤の勢いでサークが後方へと後退していた敵魔法兵に肉薄する。魔法を使えば確実に味方にも被弾するこの状況で、魔法兵には最早反撃の手段はない。
「く……来るなっ、来るなあああああっ!!」
「悪いな、あんた達に恨みはないがこっちも仕事なんでね!」
サークの曲刀が翻り、敵魔法兵から吹き出た血で砂を赤く染めていく。しかしその赤も、敵陣の中央に流れ他の砂の下に埋もれていく――。
「おい上! 何をしてる! 後衛の始末は任されてやるから、今のうちに前衛を片付けてくれ!」
その時不意に下から聞こえた声に、ハッと我に返る。そうだ、何をやっているんだ、私は。戦の最中に呆けるなど、初陣を飾ったばかりの新兵か!
「……っ総員! 弓を構えろ! 魔法を放て! 今なら敵は反撃出来ん! 彼を援護するんだ!」
私の号令に、今度こそその場にいた全員が反応した。今まで動けなかった者までもが弓や玉を手に取り、前衛に一斉射撃を繰り出す。
「あれがエルフが使う霊魔法……それだけではない。瞬時に状況を分析した判断力、それを即実行に移す度胸、そしてとても素人のものとは思えないあの動き……何者なんだ、あいつは……?」
こちらの反撃に為す術もない敵兵達に矢を射かけながら、その疑問ばかりが私の胸に渦巻いていた――。
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