第2話 『全方位総攻め』となった
「ぶはっ」
早くも人生の汚点として確定した昨夜の出来事。
それを白状したとき、会社の先輩の反応は「ぶはっ」であった。
「……真面目なんですけど」
「いや、わかってる。ぶはははは」
爆笑である。
先輩がこんなに笑ったのを初めて見た。
喫煙ルームに、他の社員がいなくてよかった。
去年から女性社員の間でささやかれている『色欲魔』というあだ名が『たたない男くん』にランクアップされるところだった。
「どうして、馬鹿正直に言っちゃうかなあ」
「いや、だって婚姻届ですよ!?」
「わかるけどな。高校卒業したばっかの女の子の発想とは思えねえよ」
まず、アレで出鼻がくじかれた。
小路のすべてのプランが一蹴されたのだ。
まずは二人の間の溝を埋めることが先決だと思った。
思春期に一年以上も離れれば、心の距離も離れているはずだ。
そんな教科書通りの想定で、のほほんと構えていた。
しかし相手のほうが、一枚上手だった。
法的拘束手段を用いた急襲に、完全にビビってしまった。
そして、あっさり最終兵器を投入した。
それは無差別的にすべてを破壊し、草の根一本残さなかったのだ。
でも仕方ないのだ。
小路は思春期マインドなので、アドリブが苦手なのだ。
元カノのさゆりと別れるに至ったのも、それが遠因といえる。
「そもそも、ほんとに戻ってくるとは思ってなかったんですよ……」
「そうなのか?」
そうなのである。
雅子がアパートを出て、最初の数ヶ月は毎日のようにメッセージが入っていた。
『オジサン、元気?』
『オジサン、まいらぶりーえんじぇるは?』
『オジサン、繁忙期だけどちゃんと食べてる?』
『オジサン、来週からまた冷え込むらしいから寝るとき気をつけてね』
オカンか。
ちょっと鬱陶しかったが、それもまたよかった。
それが、緩やかに減っていった。
最後の半年なんか、一通も連絡なしだった。
こっちから連絡するのも負けたような気がして、成り行きに任せていた。
マリコの付き添いで学院行事に顔を出しても、ものすごく素っ気なかった。
顔すら合わせてくれなかったのが地味に刺さったのを覚えている。
まあ、相手は多感な時期だ。
同年代のカレシでもできたのかもしれない。
こんなオッサンとの約束に縛られているのは間違っている。
そんなちょーかっこいいことを考えながら、ずっとそわそわしていた。
実際は雅子が『オジ禁生活』のために意図的に遠ざけていたのであるが、いまは関係ないことである。
とにかく、小路としてはもう同居はないと考えていた。
それがああいうことになっちゃったものだから、かなりテンパってしまった。
子どものころに思い描いていた『落ち着いた大人』になれる日は、まだずっと遠そうだ。
むしろ、まだなれると考えているあたりが小路の見通しの弱さを表している。
「それで、実際どうなの?」
「なんすか?」
「ほんとに嬢ちゃんじゃ勃たないのか?」
「ぶっ!?」
煙草が飛んだ。
先輩の額に命中する。
「熱っち!」
「す、すんません!」
一応は謝る振りをした。
腹の底では「ざまみさらせ」と思っている小路である。
決してわざとではないので、よい子は真似したらいけないのだ。
しかし話題を出した時点で、先ほどの質問は予測してしかるべきだった。
この先輩、顔は渋いイケメンだが猥談が大好きなのである。
「あー、それっすねえ」
三本めの煙草に火をつけた。
いま飛んでいったので、実質二本めである。
「もしかして、マジなのか?」
「いや、試したことないんで、なんとも……」
「本当に?」
「本当です」
「おまえら一年間、一緒に暮らしてたんだろ?」
「先輩。おれのこと信用してくれてるって言ったじゃないすか」
「そりゃ信用はするさ。でも、勃つかどうかは別だろ」
「いやいやいや。待って待って」
「おまえ、目の前に可愛いJKが無防備に寝てて?」
「ストップ。それ以上はストップ」
「いつも現役のJKがスカートひらひらさせて?」
「せーんぱい。ほら会議、会議の時間ですよ」
「逃げんな。会議まで30分ある」
小路は(主に顔と悪評のせいで)社内でも扱いづらい社員として通っている。
気軽に話しかけてくれるのは、この先輩くらいだ。
しかし先輩が小路に構ってくれるのは、むしろ小路以外が相手をしてくれないからであるということを小路は知らない。
「本当に一年間、一度も勃たなかったのか?」
「…………」
小路は大いに悩んだ。
自身のはしたない記憶を掘り下げているのではない。
この場をどう収めるか。
その一点である。
そして閃いた。
「そもそも、どの時点を『勃起』とするんですか」
「……なに?」
先輩は食いついた。
その目が鋭い輝きを帯びた。
こんな表情は、かつて最大手の取引先を同業者に奪われそうになったとき以来であった。
「そりゃ、おまえ。ちょっとでも反応すれば『勃起』だろ?」
「ちょっと? それって、どのくらいの角度ですか?」
「角度か。……いや、待て。それは前提が不確かなものだ」
「そうですか?」
「そもそも角度とは外面的な計測なのか? それとも実質的な計測なのか?」
「つまり先輩が言いたいのは『服装によって抑えられた状態をカウントするか否か』ということですか」
「そうだ。服装の種類によっては、実際にその角度なのか判定がブレるはずだ」
「わかりました。その前提を、今度までに設定しておきます」
「頼むぞ。これは大事なことだからな」
パンパン、と肩を叩いて出ていった。
非常に充実した様子であった。
完璧だった。
見事、小路は話題の転換に成功した。
この人が馬鹿でよかった。
ちなみに最大手の取引先は、見事に同業者にかっさらわれた。
万事解決。
しかし残念ながら、小路は大事なことを見落としていた。
外面的な計測を用いた場合、小路もまた『同類』と見なされることを。
具体的に言えば、さっき若い女子社員が喫煙ルームのドアを開けた。
奇しくも、小路たちが『勃起』について真剣に語り始めるのと同時であった。
そして一般的に、女性のほうが気配を察する能力に長けている。
その鋭い洞察力によって、わずかに開けたドアを停止。
会話に聞き耳を立てながら、そっとドアを閉じた。
馬鹿な男たちは気づかない。
その瞬間から、社内で小路の評価が『色欲魔』から『全方位総攻め』となった。
小路がそのことを知るのは、『鋭角45度から』と設定して揚々と出社した翌日のことであった。
次回はちゃんと女の子でます。
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