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「苦しかったよ。肺に水が入るって、すごく痛いんだね。夢なのに、痛みまで、はっきり伝わってくるんだ。

こんなヒドイめにあわなきゃいけないほど、自分の何が悪かったのか、ずっと考えてた。

でも、不思議だね。意識が薄れてくると、なんで、そんなことになったのか、全部わかった。

奥方にハメられたこととか。ペテルギウスさまが心のなかでは泣いてたこととか。

ペテルギウスさまの心から、映像が流れこんでくる感じ。これって、エンパシーに似てない?」


サリーの目の前から、古代ローマの景色が、急速に薄れていく。トニーが回想から覚めたからだ。サリーは、にぎっていた手を離した。


やはり、これまでの患者と同じだ。

エンデュミオン・シンドロームの、もうひとつの共通点。


それは夢だ。

ひじょうに物語性の強い夢を見る。

まるで夢のなかで、その人物の一生を追体験するかのように。


物語性が強いのは、夢のなかの人物が数奇な人生を送るからだ。かならずと言っていいほど、若くして非業の死をとげる。


夢のなかの彼らは男のこともあるし、女のこともある。境遇も奴隷から王族まで、さまざまだ。共通してるのは、不幸な生涯を送ること。


これについては、多くの心理学者は、こう考えている。


患者の取り憑かれてる『エンデュミオン』の人格が、破滅的な妄想を好むせいだと。


つまり、エンデュミオンの被虐嗜好が、苦痛のともなう願望を夢で体現するのだと。


この説には、サリーは賛成しない。


エンデュミオンの妄想と言ってしまうには、何人もの患者が、まったく同じ内容を見ることの説明がつかない。


とくに、サリーはエンパシーで患者の夢を見ることができる。患者たちの夢は、アングルまで同じだ。ストーリーの同一性は趣味ですむが、視点まで同じなのは、おかしい。


彼らは、同じ夢を見てる。


みんながシアターで一本の映画を見るように。ひとつの夢を共有している。


そんな気がする。


(まるで、オンラインネットワークだな)


サリーはトニーを入院させることにした。ナースを呼んで病室へつれていかせる。


二人きりになると、キャロラインが言った。


「この症状の患者の夢って、まるでバーチャルリアリティのドラマみたいよね。いつも思うけど、なんで、舞台が古代なのかしら」


そう。今日のトニーは、古代ローマだった。


「三世紀は初めてかな。これまでの患者の夢は、古代エジプトに古代ギリシャ。シュメール人だったこともあった」


「古代ギリシャは多いわね」


「私は考古学者じゃないから、断言はできない。が、当時の人間の暮らしぶりなど、妄想と言ってすますには、詳しすぎるね。

患者のなかには、あきらかに当人が知ってるはずないことを夢で見ている。まるで専門の学者か何かのように。

それほど『エンデュミオン』の想像力が豊かな証拠かな?」


すると、キャロラインは、そくざに反論した。


「エンデュミオンが想像力豊か? とんでもない! この人格は想像力貧困よ。だって、彼って協調性に欠けるし、他人に対する思いやりもない。今日のアンティノウスなんて、主人の前でだけ、いい子ぶって。やらしい子」


「そうかな。主人に、よく尽くしてたじゃないか。不幸な境遇に負けず、えらいと思うが」


「あれは、そういう自分に酔ってるのよ。ぼくは、こんなに尽くしてるのに。痛いのに。苦しいのに。ああ、ぼくって、なんてケナゲで可哀想なんだろう——ってね。気持ち悪い!」


想像力貧困なのと、思いやりに欠けるのは別物だろう。と思ったが、もちろん、逆らわない。今のキャロラインはゴーゴン三姉妹の親戚と化している。


「……エンデュミオン人格は、世の女性たちに不人気らしいね。ナースたちにもウケが悪い。それとも、まさか、君、エンデュミオンに妬いてるの? キャロ?」


キャロラインは自分の赤毛と同じくらい、真っ赤になった。


「あなたが『エンデュミオン』を話すときの口調、キライ」


「バカだな。エンデュミオンは患者ですらない。患者たちの妄想した、架空の人格だよ」


「わかってるけど、なんとなくイヤ」


「私が患者にばかり、かまけてたからかな? 今夜は早めにきりあげて、八時の約束を厳守しなければ。少し気になることはあるんだが」


「わたしのせいで仕事にならないなんて言われたくないわ。気になることって何? ジャリマ先生」


今度はサイコセラピストのプライドをそこなわれて、憤然としてる。


まったく、キャロラインはカワイイ。


サリーにかかれば、手のなかで踊るオルゴールのバレリーナ人形みたいなものだ。


「気になる点は二つ。君は気がつかないかな? 患者たちの夢。発症した日付と夢の内容に、深いかかわりがある。早く発症した患者ほど、古い時代の夢まで知ってる。つまり、日を追って、夢の内容が現在に近づいてきてる。ほんのわずかずつだが。そこが気になる」


あっと言って、キャロラインはポケットからカード型のパソコンをだした。カルテを再確認したキャロラインは、称賛の目で、サリーを見た。


「ほんとだわ。どうしてわかったの? サリー」


「どうしてって。これだけ大勢の患者の夢に、毎日、シンクロしてたらね」


「患者さんって、発症した順に来てくれるわけじゃないもの。すごく古い時代の夢を話しながら、今日になって来る人もいれば、ずっと入院してる人が真新しい夢を語ることもある。でも、あなたの言うとおりね。患者たちの夢を、見た日の順にならべたら、歴史の教科書みたいになったわ。みごとに内容が時系列」


「やはりね。そうだと思った。セラピストは通院してきた順で患者を見るから、気づきにくいが」


「ひとつずつは完結した個別の物語。それが毎日、現代に近づいてきてる。でも、どうして? 夢なんだから、妄想に制約があるわけじゃないのに。なんで、いっきに現代の夢を見たり、時代を逆行したりしないの? まして、同じエンデュミオンの個性に取り憑かれた人たちなのに、最近の患者は古い時代の夢を妄想しない。おかしいわ」


「しないんじゃなく、できないんじゃないかな」

「どういうこと?」


それについては、サリーには一つの仮説がある。が、まだ確証もないので打ちあけない。それに、キャロをじらせるし。


「まあ、いずれね」

「サリー。あなたって、ときどき、すごくイジワルよ」


わかってるよ——と、サリーは胸の内で、つぶやく。


「もうひとつの気になる点は、ぐっと象徴的だ。暗示的というべきかな。これまで、どの患者も、夢のなかで鈴の音がすると主張していた。鈴なんて造形物が存在するとは思えない時代においてもだ。警告的な意味があるだろうとは思っていた。だが、それが何を意味してるのか、わからなかった。ついさっきまで。トニーは我々に重大なヒントをくれたのかもしれない」

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