1章6話 21時34分 セシリア、違和感を覚える。(1)



 21時34分――、

 止まることを知らない戦慄にもよく似た阿鼻叫喚が、絶望の象徴として響き渡る。


ロイの前世の仏教のごとき表現を使うなら、それは八熱地獄の1つ、大叫喚地獄の大釜、人智が到底及ばぬ熱湯で6821兆1200億年も茹でられる罪人たちの懺悔慟哭、悔恨号泣、救済と赦免しゃめんの哀願さえ連想させた。


 夜とは思えないほど絶望的に赤らむ王都の街並み。

 それはまるで時間が数時間だけ遡り、西方の空に煌々と燃え盛る夕日が今でも健在しているかのようであった。


 しかし目を焦がすような灼熱の度合い、肌に爛れを残すような業火との距離は夕暮れ時にあらず。

 太陽という燃える星が約1億4960万kmも離れた宇宙に浮かんでいるのに対し、死神のほむらは王都のすぐ上空に展開されていた。


 熱源との間隔が違う。

 畢竟、避難に暮れる王都の民草は動かし続ける脚に激痛を呼ぶ乳酸を溜め、額と背中に大河のような汗を垂らし、その喉に尋常じゃない渇きを覚えるハメになってしまう。


 子どもが泣いて老人が転ぶ。

 女が喚いて男が叫ぶ。


 他人を気遣う余裕など一切なく、ただ自分のことだけで精一杯。

 老若男女、種族思想を問わず地獄の具現から逃げ惑う国民の様は、いかに世界そのものから愛された幻想種と比較して、人間、エルフ、ドワーフなどが矮小な存在かを暗喩――否――直喩する風刺画のようでさえあった。


 死に至る脱水症状に、脳みその中のタンパク質が凝固しそうな熱中症。

 多発する怪我人と数えきれないほどの迷子。


 人が見る程度の悪夢なんて、死神が見せる現実と比較したら、まるでぬるま湯のような幸福でさえあった。

 人が覚える程度の恐怖なんて、死神が撃ち放つ普通の攻撃と並べたら、たかが子どもが散歩させている小型犬に吼えられた時ほどの微笑ましさだった。


 この地獄を見れば明らかだろう。

 所詮、人もエルフもドワーフも、天命が定まっている有限の存在にすぎなかった。


 そのような凄惨な災禍の中、3人の特務十二星座部隊の一員はとある最上級聖結界の展開を為していた。


 いずれ産まれてくる場合、赤子の母体としてとても魅力的なほど大きく膨らんだ乳房。そして乙女色、パステルイエロー、翠、水色、ライトブラウンという可憐な5色のグラデーションを誇る長髪。

 これらを揺らし、大気中の魔力を神速で消費させる絶世の美少女、序列第6位の【処女】、セシリア・ライヒハート。


 肩までかかるうるしのように艶やかな黒のセミロングと、その半分を占める初雪のように綺麗な白のメッシュ。

 スモーキークォーツのようなグレーのジト目で大気中の魔力の運用を精密に感じ取る傾国級の美女、序列第第10位の【磨羯】の占星術師、イザベル・モーントヴィーゼ。


 まさに宝石と喩えても遜色ない亜麻色の編み込みの長髪を夜風に遊ばせながら、術式を編纂へんさんし、結界を展開しながらその効果範囲をより拡大し、1人でも多くの民草を救うために尽力する七星団の男性の憧憬の女性。

 序列第12位の【双魚】の枢機卿、カレン・ブライトクロイツ。


 3人がいる場所は死神が顕現している座標から、王都の中心の方角に数km離れた建物の屋上だった。その建物は一言で言ってしまえば役所、即ち都庁である。


 都庁の地下には有事の際の避難施設が設けられており、これは王都各所にある避難施設の中で一番規模が大きのだが……報告によると、すでにそこには5万人以上の避難者が集まっているとのことだった。

 いや、それは数分前の情報である。十中八九、今はそれよりもさらに増えていると考えて然るべきだった。


 その都庁の屋上で3人が展開している魔術。

 多重球体型、時間経過拡張式、対王都直接敵襲用、光属性Sランク神聖結界魔術。

 その名を【色彩放つファルベシェーン・光輝瞬煌のグランツェント・聖硝子】アウローラ


 その効果は術者を中心とした結界の展開なのだが、分類の名称のとおり、時間の経過とともにその球状の結界は外部に向かって大きくなっていく。

 無論、地下だとしてもその結界の守護は有効であった。


 本来なら約100人の魔術師が必要なそれを、人手を他のところに割いて事態収束の効率化を図るため、その3人は自分たちのみで発動していた。

 イヴは1人でも平気で使えていたが、本来ならそれほどまでに難易度が高い魔術なのだ。


 それで、まず間違いなくセシリア、イザベル、カレンの3人と、普通の魔術師100人が殺し合ったら、神が気紛れで奇跡を起こしたとしても絶対に後者が全滅される。

 では、それを踏まえて、このような敵襲の時、前者と後者、どちらが敵軍討伐、あるいは避難誘導の応援に向かい、どちらが結界を担当するべきか?


 結論から言うと、少なくとも七星団のマニュアルでは前者が結界担当ということになっていた。

 確かに3人は強い。この3人が今、死神の討伐に向かえば、間違いなく大なり小なりの事態収束に繋がってくれる。


 が、3人という人数は当然のようだが、人手の多さを意味しない。


 恐らく、現在進行形で特務十二星座部隊のうちの誰かが死神の座標に向かっているだろう。これは間違いない。

 そしてその者は99・9%、死神と同等の実力を誇り、対等な魔術戦をこなしてくれることだろう。


 では、その者と死神が殺し合いを始めたら、その余波、流れ弾はどうなる?

 加えて言うなら、100人の方が結界を担当した場合、天才といえどもたった3人で避難者の誘導をこなせるようなものなのか?


 とどのつまり、特務十二星座部隊の隊員は国王陛下を守るエドワードを除き11人いるから、セシリア、イザベル、カレンのような、むしろ殺し合いよりも防衛戦、なにかを守る方が得意な枢機卿、そして占星術師が敵軍討伐に向かう必要性は低い。

 かつ、彼女らの人数は少ないから、避難の誘導には適さない。


 その思考の結果がこれだった。

 しかし――、


「おやおや? 今、一瞬、違和感を覚えたゾ?」


 結界の維持を担当しているセシリアが、可愛らしくキョトンとする。

 ちなみに、イザベルの担当は運用の効率化で、カレンの担当は結界の拡張に伴う術式の編纂だった。

 流石に最終的には王都全域を包めるようになる大規模魔術だ。使用する魔力の量は長期戦に備えて節約するに越したことはない。ゆえに効率化担当が必要不可欠だった。


 そして結界が拡張するといっても、死神に近い部分の方が損傷を受けやすい。死神側とその逆側では、拡張に必要な労力が違う。

 となると必然、損傷が大きい部分の方が、それを受けるにつれて組成が刻一刻と変化する。ゆえに、それを補うための術式を訂正する術式編纂担当の存在も絶対だった。


 そのような役割分担だったが、このフォーメーションで一番に異変に気付きやすいのはイザベルだった。

 再三以上の説明になるが、魔力場の波長が魔力となり、その組み合わせが術式になるという大原則がある以上、3段階のうち、より初期の段階の異変ほど、魔術の適切な使用に邪魔を与える。


 セシリアは結界の維持を担当しているから、司っている部分は魔術。

 カレンは術式の編纂を担当しているから、司っている部分は術式。

 そしてイザベルは魔力の運用の効率化を担当しているから、司っている部分は魔力。


 しかし、今回は逆だった。

 なぜか本来、一番遅れて異変に気付くのが普通のセシリアが、ナニカに真っ先に気付く。


 それはなぜか?

 3人に知る由はなかったが、この結界の内部で、そして0.0000000001秒にも満たない刹那の中で、『とあるやり取り』が行われていたのである。


 古今東西、結界魔術は外側からの攻撃には強いが、内側からのいざこざには滅法弱い。


 つまり、セシリアが真っ先に気付いた理由は単純明快だった。

 魔力を揺らすのに失敗したとか、術式の編纂が結界の拡大に対して遅れ始めたとか、そういう理由ではなく、知覚できなかっただけで、ナニカが結界の内側に当たったのだ。


 で、次の瞬間、セシリアはハッとする。


「…………ッッ、2人とも! 担当をいったん放棄! 結界の維持を手伝って!」


「? なんや? 死神の攻撃なら……」

「違う! 内部でなにかが暴れている!」


 そして――、

 再度、次の瞬間――、


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