4章9話 シーリーン、そしてスライム(2)



 指摘されてシーリーンは黙ってしまう。

 それは誰の目から見ても当然のことだった。


 イヴの正体は不明だが、あの破壊力を持つ魔術を見れば自分より強いのは一目瞭然である。

 イヴのような至上の天才には劣るが、アリスだって学院では学部の1位2位を争う優等生で、あのアリシアの妹だ。


 自分は弱い。とても非力で、才能もないのに不登校ということで努力さえできなかった。

 だが、世界には無知の知という言葉があるように、非力の力、力がないことを自覚して受け入れるのも、また力の一種だと彼女は考える。


 そう、シーリーンは非力ではあっても無力ではない。

『弱いこと』と『なにもしようとしないこと』は断じて違うのだ。


 シーリーンの『とある意志』を知らないスライムは、事もなげに彼女に問う。


「で、だ。それなのにお嬢さんはなぜ戦う?」

「…………決まっている……っ、もう、守られているだけじゃ、イヤなの……ッッ!」


 どこか悔しそうなシーリーン。

 彼女はスライムに見下されたまま、自分の小さくて女の子らしい両手を、爪が喰い込みあと少しで血が出そうなぐらい痛々しく握りしめる。


 悔しさのあまり自分で自分を傷付けているシーリーンの両手。

 だが、それだけで無力感を発散できるほど彼女は大人ではなかった。


「おかしなことを言うな。守られているだけの方が楽だろう?」

「……っ、あなたこそ、おかしなことを言わないで。守られているだけじゃイヤ、だから戦う。待っているだけじゃイヤ、だから戦う。見ているだけじゃイヤ、だから戦う。その理由はいつだって単純で明快――」


「――――」

「生きているんだから! 戦うのは当たり前でしょ!」


「――ほう?」

「人生は選択の連続だって言うけれど、シィに言わせれば、勉強も魔術も剣術も! 仕事も趣味も、そして恋愛も! いつだって全身全霊の真剣勝負! なら――人生は勝負の連続なの!」


「――クッ、クク」

「シィは戦うよ! ロイくんのために!」


「――クフッ、フハハ……ッッ」

「好きな男の子がシィたちのために、今まで頑張ってきたんだもん! 戦ってきたんだもん! そしてこれからもきっと頑張って、絶対戦ってくれるんだもん! その分だけ、シィたちも頑張って、そして戦わなきゃ! 〜〜〜〜ッッ、シィは一方的な関係なんてまっぴらゴメン! だってそれは片想いで、両想いじゃないから! 一度両想いになったのに、今さらシィが片想いで満足するはずないでしょ! シィは嬉しいことだけ、都合のいいことだけロイくんと共有する女の子になりたくない! 痛いことも、苦しいことも、ちゃんと一緒に乗り越えたいの!」


 シーリーンは声帯が千切れるぐらいの大声で叫ぶ。

 これがウソ偽りない、ロイ本人にも言っていない彼女の本心、決意だった。


「クハハハハハハハハハハハハハハ! 素晴らしい、金髪のお嬢さん! いや、資料に名前が書いてあったな。そう! シーリーン・エンゲルハルト! 違う形で出会っていれば、さぞ! 美味い酒が飲めただろう! 敵同士とはいえ、俺はその考え方に強く賛同する! あぁ、その通りだとも! 現実の全ては戦うことで初めて切り開かれる! 性別がないゆえに恋愛には興味がないが――その覚悟、実に美しい!」


 声高らかに叫ぶと、スライムの目に込めた意味が変わった。

 今の彼には、敵に向ける視線ながらもどこか敬意が含まれている。


「――シィね、学院では2学年次の頃から不登校だったんだ」

「なるほど、弱いのも頷けるな」


「この際だから明かすけれど――シィ、中等教育の1学年次に習う重力を操作する魔術すら、もう忘れちゃったんだよね。シィが使える魔術は、たったの4つ。ヒーリングと、魔術防壁と、簡単な肉体強化と、そして【魔弾】だけ」

「それで? お嬢さんが今喋っている内容は、自分にとって現実が絶望的だという証明にしかなっていないぞ?」


「簡単だよ――ッッ、この4つの魔術だけで、シィはあなたに勝利してみせる!」


 再度、シーリーンは地面に向けて【魔弾】を撃ち、煙幕ならぬ雪幕を展開した。

 飽きた、と内心呟いて、スライムは辟易としつつもスムーズに索敵魔術を発動させる。


 結果、シーリーンは右方向、スライムから見て左に逃げたことが判明。


 そしてスライムが人型を維持したまま彼女を追うと――、

 ――なぜか、木々が開けたかなり広い場所に出る。


 そして、そこでシーリーンは立ち止まっていた。

 まるでもう、逃げ回るのは終わりにすると言わんばかりに。


「樹木がなくて、他に身を隠せる障害物も皆無、か。運が悪いな。せっかく自らの覚悟を叫び、諦めないことを再確認したのに、かなり開けた場所に出てしまうとは。どうする? 諦めてしまうか?」


 無感動な声音のスライム。

 シーリーンの覚悟に敬意を表した今だからこそ、スライムは彼女を相手に慈悲はない。


 ここで手を抜いてシーリーンを生かすのは、彼女の覚悟に対する侮辱だと、スライムは弁えている。

 戦争中だから敵は殺す。しかし踏みにじってはいけないプライドだけは理解する。それが彼なりの戦さの流儀だった。


 しかし、だ。

 シーリーンはその質問に答えない。これ以上、答える必要がなかったからだ。


 身を隠す? 運が悪い? 諦める?

 あまり苛立たせないでほしかった。


 シーリーンは絶対に諦めない。諦めきれるわけがない。

 ロイが自分をイジメていたジェレミアと戦った時、自分はあの決闘で諦めることの重要性を知ったのか? 現実から逃げることの大切さを知ったのか?


 違う! と、シーリーンは自問自答して、心の中で声を大にして叫んだ。

 自分があの戦いで教わったことは、そんな後ろ向きなことでは断じてない。


 もっと重要で、もっと大切で、なににとって? と訊かれれば、それは人として重要で大切なことで――、

 ――それを、他ならぬ最愛の恋人から見せてもらったのだ。


 ならば、恋人である自分がそれを理解しないでどうするという話である。


 2人の間に冷たい夜風が吹き抜けた、次の瞬間――ッッ、

 ――シーリーンはこう唇を動かした。



「勝利の条件は整った。ねぇ、シィがなんの勝算もなく、ただ考えなしに長時間も走り続けていると思った?」



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