4章7話 アリス、そしてゴブリン



 約十数分後、イヴとアサシンの戦場から離れた森の中――、

 オークを仕留めたアリスはゴブリンを相手に魔術戦闘を挑んでいた。


 アリスの脳内に大量にストックされていた魔術が森の中をはしる。

 無属性の魔術の弾丸は淡い燐光を発しながら闇夜を裂くように一直線にゴブリンに向かい、ゴブリンは漆黒の闇の防壁を築いてそれを完全に防御した。


【 必要悪の黒壁 】シュレヒト・バリエラン

 それは魔王軍バージョンの【光り瞬く白き円盾】のようなモノである。


「――【 雷穿の槍 】シュペーア・フォン・ドンナーッ! 【 風打の槌 】ハンマー・フォン・ヴィントッ! 【 氷守の盾 】シルト・フォン・アイスッ! これを総じて九重奏ノネットッッ!!!」


 刹那、アリスの周囲から魔術が撃たれる。

 黄金色の槍を模した電撃が突如虚空に顕現して、切っ先をゴブリンに向けて一斉射出した。ゴッッ!!! と、周囲が一瞬、稲光いなびかりによって網膜を灼くような純白に染め上げられ、さらに次の一瞬、本物の落雷の連想させる轟音が森の中に響き渡った。


 しかし、ゴブリンは3つにも及ぶ雷槍を見事に躱した。

 雷の速度は人間、エルフ、ゴブリンの動体視力を優に超えている。


 だというのに躱し尽くしたというのは、ゴブリンがアリスの視線を見切って、事前にどこに撃たれるかを察知していたからに他ならない。

 ゆえに雷撃はゴブリンの身体を黒く焦がすことなく、彼の奥の樹木に当たる。


 しかし、アリスもアリスでそれを完璧に予想していた。

 衝撃によって傾き完璧に倒れそうになる3本の樹木に【風打の槌】をぶつける。


 その結果、3本の樹木は倒れる方向をアリスによって掌握され、その樹体をゴブリンに向けた。


「――チィ! 小癪こしゃくな!」


 肉体強化の魔術を発動するゴブリン。

 彼は雷の槍を躱した時と同じ要領で、倒れ迫る樹木を回避しようとするも――、


「――氷の壁!?」


 ――ゴブリンが足を動かした先にはアリスが展開した【氷守の盾】が逃亡を妨害するように待ち構えていた。


(さぁ! どうかしら!? あなたが魔術を妨害する魔術を使えたとしても、その九重奏は技量的に不可能なはず!)

(この小娘!? 時差発動が得意な上、最低でも9つの魔術を並列発動できるのか……ッッ)


 不覚にもアリスの技量に舌を巻くゴブリン。

 そして生意気だ、と、彼は汚らしい奥歯を軋ませた。


 ゴブリンはアリスのような女が心底嫌いだった。理由は単純で、見た目が綺麗だから。上品だからである。

 その美しさが、自分の小汚い見た目というコンプレックスを刺激してくるのだ。


 ゆえに彼はこういう女を大義名分のもとで辱めるために、戦争の最前線に出張っていた。


 だが、性格がクソなのと魔術の技量の高低は関係ない。

 不意にゴブリンは鼻で笑うと、底意地悪く、口元と目元を歪めてそれを叫んだ。


「――時間がねぇな、詠唱零砕! 【 万象の闇堕ち 】ヘレテューア・ヌルト!」


 ゥオオオオオオオ…………ッッ……、と、ナニカが唸るような重低音。


 告げるとゴブリンの周囲、半径1m以内には変化がなかったものの、半径1mより外に、漆黒のフィールドが出現する。

 先刻まで夜だというのに積雪の純白が綺麗だった地面は今、アリスが逃げるよりも早く、その一帯を影のような深い黒色に染め上げられた。


 続いて、そこからずるのは、細長くてどこまでも伸び続けそうな数多の黒い手と腕だった。

 さらには暗黒一色になった地面から悍ましい、まさに怨霊の叫びのような声を耳にして、アリスは脳内でけたたましい警鐘を鳴らし始める。が、すでに両脚はそこから湧き出てくる黒色の腕に絡まれ、手に掴まれた状態で、逃げることはすでに不可能になっていた。


 氷の壁はもちろんのこと、倒れている最中だった樹木さえ、ゴブリンに当たる前に黒色の手に掴まれてしまう。

 そして今、術者を除いた全てが地面に沈み込み始めたのだった。


「これは――、地獄へ強制的に逝かせる魔術!?」

「キャハハハハハッハ! オレサマのことをただのゴブリンだと侮ったか? オレサマはゴブリンの中でもエリート中のエリート! 闇属性の魔術なら、詠唱を零砕してSランクのヤツを使えるんだヨォ!」


 徐々に闇と化した地面に溺れていくアリス。

 彼女の足は完璧に闇に飲まれていて、今はもう膝上まで完璧に沈んでいる。このペースだと残り1分もしないうちに頭の上まで、この暗黒に浸かってしまうことだろう。


 Sランク闇属性魔術【万象の闇堕ち】。

 この魔術は地面を地獄の入り口に変容させるという効果を持つのだが、それゆえに、地面を魔術による攻撃で破壊しようとしても、その攻撃ごと闇に飲まれてしまうのだ。鳥の獣人である鳥人なら羽をはためかせて空中に逃げられる、と、そう考える人もいるが、しかしそれでも、飛び立つ前に羽を黒色の手で掴まれてしまうだろう。


 それほどまでに厄介な魔術がこれなのだ。現にアリスの脳内にも、この魔術を無効化するストックはない。

 流石のアリスも【万象の闇堕ち】を無効化することは諦める。が、しかし――、


「この戦い、私の勝ちね」

「アアァ? なに強がってんだ?」


 清々しいほどカッコ良く笑うアリス。この瞬間、彼女は自分の勝利を確信した。

 そう、【万象の闇堕ち】を『無効化』することと『攻略』することは同義ではない。


 だが、現状はなにも変わらず、徐々に、しかし着実に、アリスの身体は沈んでいき、ついに股間、腰、胸部まで影に溺れてしまう。


 しかし、だ。アリスは虚勢を張ったのではなく、待っていたのだ。

 相手の息の根を確実に止められる瞬間を。


 一瞬でもタイミングがずれたら取り返しが付かない状況の中、アリスは極限的な焦燥感に急かされながらも、心の中でまだ往ける、まだ早い、まだ大丈夫と、繰り返し唱える。

 そしてアリスが首まで飲み込まれた、その刹那、ついに――、


「詠唱追憶! 【我がデァ・ラーム・居場所をイン・デム・イッヒ・ウンド・ドゥ貴方に、エクシスティーレヌ・貴方のジィヒッ・居場所を我に】アウスズタウシャン!」

「――ハ?」


 今の実力では1つしかストックできない、アリスのもう1つの切り札、空属性の魔術が発動する。

 アリスがストックを解放したのと同時、彼女とゴブリンの居場所が入れ替わった。


 その結果は自明である。

 アリスはつい1秒前までゴブリンが立っていた【万象の闇堕ち】の中心点、術者のために用意された安全領域に立つことになり、逆にゴブリンは一瞬で漆黒に溺れてしまうことになる。


 しかも、アリスが狙ったのはそれだけではない。


「あなたの敗因は2つ。ゴブリンは遺伝的に背が小さい。だから『身長差』を考慮して、首まで闇が迫っている状態で私が居場所を入れ替えれば、あなたはもう、その1秒目の段階で全身が飲み込まれてしまう。そしてそれ以上に、準備万端の至りに気付いていたのなら、後出しジャンケンを考慮して、ストックを全て削ってから【万象の闇堕ち】を撃つべきだったのよ」


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