5章11話 決闘で、幻影のウィザードに――(7)



 ロイ・モルゲンロートが、そこには立っていた。

 そしてその瞬間、この日一番の歓声が爆発的に湧き上がった。


 単純に盛り上がる展開に興奮する男子生徒。

 ロイがカッコよくてドキドキしている女子生徒。

 果ては初等教育の児童や高等教育の学生、教え子の前ではあまりハメを外せない講師たちや一般の来場者に至るまで。


 そこにいた観客たちは一人残さず、喉が嗄れてもかまわないと言わんばかりに、声帯の限界を振り切ってまで極大の声援を張り上げた。

 まるで興奮、熱気だけで地を揺らし天を震わすほどの大歓声である。この歓声は絶対に、校舎やグラウンドはもちろん、学院の敷地の外にも届いているだろう。


Das sanfte優しき光は Licht heilt今、此処に、 hier jetzt傷と Wunden血潮を und癒し Blut施す


 治癒魔術の詠唱を悠々と終わらせるロイ。

 爆発のせいで服が破けていた彼は無事、自分の傷が多少はマシになったのを確認すると、その手に改めて聖剣を握り、鋭い視線でジェレミアのことを突き刺した。


「そ……っ、そうだ! ヒーリング! ヒーリングしないと! 詠唱零砕!!! 【癒しの光彩】!!!!!」


 ジェレミアはみっともなく狼狽しながら、なんとか詠唱を零砕する。

 確かに、著しく不安定な精神状態ではあったが、詠唱が破綻していたわけではない。


 しかし――、


「痛い……! 痛すぎるぅ……! ロイ、キミィ……ッッ、いったいオレの身体になにをしたアアアアアアアアアアアアアアア!!!??」

「言ったはずだよ、ジェレミア。今度はキミが幻覚に苦しむ番だ、って」


「ウソだ!!! 幻影魔術は学院でオレしか使えないはずなのにぃ……ッッ!」

「そうだね、それは認めるよ。幻影魔術は学院でキミにしか使えない」


 ロイは【癒しの光彩】を持続的にキャストして、会話中に体力を回復しまくる。

 逆にジェレミアの方は何度治癒魔術をキャストしようとしても、一切効果が現れなかった。


「けど、幻影魔術には2つの弱点があって、そしてラッキーだったけど、ボクにはそれを突破するための2つの切り札、知識があった」


「そんなモノはない! オレに弱点も! キミに切り札なんかも!」


「キミは相手の五感を奪えるだけで、意識や思考、認識能力まで奪えるわけじゃない。つまり、『メタ認知』を幻覚中の心の支えにすることは可能だ」


 メタ認知とは、認識していることを認識することである。

 この表現が紛らわしいならば、認識していることを自覚すること、という表現でも語弊はないだろう。


 一例として、目を開いた状態で目の前にリンゴがあったとする。

 この場合、リンゴを見た者はリンゴを認識していることになる。


 その時、リンゴを見た者が見ただけで終わらせずに、(自分は今、リンゴを見ている!)と認識している自分を認識すること、これこそがメタ認知だ。


「キミの戦術は、なにもかもが虚構の世界で、痛みを与えて心を壊すって戦術だよね? なら、痛みを感じているっていう自分は残るじゃないか。傷は偽物でも、痛いと感じている自分の認識は本物なんだ」

「ふざけるな! 痛いと感じている自分が本物なら! 仮に幻覚に耐えられたとしても、ギブアップしない理由にはならないし! もっと言うなら! 幻覚を中断させる理由にもならない!」


「そうだね、五感を奪えても意識までは奪えない、この1つ目の弱点は時間稼ぎにしか使えなかった。2つ目の弱点がなかったら、【幻域】を突破できなかったよ」

「違う……ッッ! ありえない! オレの【幻域】は最強なんだ! でたらめを言うな!」


「魔術を使っても、この世界の質量やエネルギーを増減することはできない」

「!!!??」


 ロイが言うと、間違いなくジェレミアの表情かおが絶望に染まった。

 その絶望に確信を得て、ロイは治癒魔術の片手間に語り続ける。ジェレミアに遠慮してやめてあげる義理なんて微塵もない。


「キミも知ってのとおり、これは魔術師じゃなくても知っているこの世界の一般教養だ。そして【幻域】は相手の五感を剥奪して、幻覚とすり替える魔術なんだよね?」

「やめろ……」


「ボクは今の今まで、確かに偽物の光を見て、音を聞いて、痛みを受けた。でも、魔術の原則に則るなら、それは別にボクの本物の五感がこの世界から消滅したことを意味しない」

「やめてくれ……」


「となるとボクが幻覚を喰らっている間、それを一時的に保管しているのは術者本人であるキミのはずだ」

「~~~~ッッ、それ以上みんなの前で弱点を言うなアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」



「――キミは相手を気絶させたあと、攻撃しないんじゃない。できないんだ。一時的に他人の五感を保有している以上、その人を傷付ければ当然、自分がその痛みを肩代わりすることになる。これが幻影魔術の2つ目の弱点だ」



 顔面蒼白でジェレミアはもう、精神的な理由も加わり、まともに立っていることさえ難しくなってくる。

 よりにもよって、このような衆人環視の中で自らの弱点を晒されたのだ。まるで地面が消失したかのような錯覚に陥り、どう頑張っても足元がおぼつかない。


「そして――だからボクは魔術ではなく科学のチカラに頼り、火薬の量の調整した時限爆弾を自らに仕込んでおいた」


「化学兵器!? 魔術があれば爆発なんて簡単に起こせるのに!?」


「それが理由だと思うけど、二酸化マンガンや炭素や亜鉛など、電池を作るのに必要な素材も、銅線も、他にはもちろん火薬とかも、正直、驚くぐらい安かったよ」


 都合よく服が破けていたので、ロイはそこからくくり着けていたベルトや、一度分解して改造した腕時計などを取り出した。

 それを見てジェレミアは察する。幻影魔術をかける前、ロイは胸が苦しくて手で掴むような動きをしたのではない。内ポケットに入れていた腕時計の竜頭りゅうずを予め引いておいて、それを押して時計の針を動かし始めたのだ、と。


「き、っ、聞いたことがある……ッッ! 時限爆弾の構造はみんなが思っている以上にシンプルで、極論、時計の短針と長針に銅線を着けて、あとは火薬と電気さえあればいいって……ッッ!」

 

「そう、電解液に使う塩化亜鉛だって、土属性魔術の適性があったから、錬金術であっという間に用意できた。それに、ボクには雷属性魔術の適性も少しはあったからね。あと、雷管は市販されている拳銃のストライカーで代用した。ボクとしても自爆しようが死ぬつもりはなかったし、内部に破片を仕込まなくてよかったのも、時間的にも経済的にも好都合だったよ。そして――」


 ザッ、と、ついにロイはジェレミアに向かって足を進めた。

 翻り、ジェレミアは未だに激痛に悶え続けて、一歩、また一歩、際限なく繰り返すように怯えて後退し続け始める。


「――流石にそろそろ、ヒーリングも終了だ」

「ふざけるなアアアアアアアアアアアアアアア!? なんで騎士であるキミがヒーリングできて、魔術師であるオレがまだ治っていないんだアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


「キミが感じているそれが、疑似的な『幻肢痛』だからだよ」

「ハァ!?」


「キミがボクの五感を保有している状態でボクは自爆した。その結果、キミの脳は激痛を訴え始めた。だけど――」


 一拍置くと、ロイはジェレミアに、まずは精神的に決着を付けるべく、続きを語った。


「――キミは感覚的に痛いだけであって、肉体的に傷付いたわけじゃない。どんなに治癒魔術を使ったところで、存在していない幻の傷を治癒することはできないんだ」


「……ぁ、……ぁああ……、アアアアアアアアアアアアアア!!!!! それって、まさか……、ぅ、ぁ、アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


「ジェレミア、キミは幻覚によっていろんな人々の尊厳を踏みにじってきた! だから最後はキミ自身が、幻覚によって負けるんだ!」


 言うと、その刹那、限界まで本来のコンディションに近付けたロイは、ジェレミアを目指して疾走を開始した。

 治癒魔術も終わらせて、肉体強化も改めて使い、手には聖剣を握っている。決着を付けるのは今しかない。


「くるなアアアアアッッ!!!!! 詠唱零――」

「遅い!」


 驚天動地。

 確かに騎士では魔術師に、詠唱の零砕で競り勝つことはできない。

 しかし、だからと言って聖剣を投擲するなんて、誰も予想なんてしていなかった。


「ひぃいいい!?」


 飛んでくる聖剣をジェレミアは大袈裟に回避する。

 しかしそれと同時に――、


「捕まえた、もう逃がさない」


 ――ロイの左手が万力を込めてジェレミアの胸倉を強引に掴んだ。

 幻影魔術を使う時、ジェレミアは一度、肉体強化を解除してしまっている。今の彼にロイの剛腕を振りほどく余力は残っていなかった。


 怯えるジェレミアに対して、好戦的な笑みを浮かべるロイ。

 最後に彼は約束を果たすべく――、


「斬らないであげる。シィに泣いて感謝しろ」


「はへ……?」


「キミは斬り伏せる相手じゃなくて、殴り飛ばす相手だからだよッッ!!!!!!!!!!」


 ロイの全身全霊の拳がジェレミアの鼻っ柱に叩き込まれる。

 両腕とも肉体強化した上で、胸倉を掴んで顔面を殴ったのだ。


 やたら小綺麗だったジェレミアの服の胸倉は破かれて、彼の身体は一度もバウンドすることさえなく観客席の壁まで飛んでゆく。

 壁に背中から強く叩き付けられて、呼吸が詰まるほど、肺の中の空気全てが気道で渋滞を起こして無様にむせた。


 そしてジェレミアは地面に落ちて、白目を剥いて気絶する。

 確かな手ごたえを覚えると、ロイは今にも途切れそうな意識を繋ぎ止め、この決闘中、心配ばかりかけた少女に拳を突き出して――、




「シィ、約束通りキミの目の前でも、ジェレミアのことを一発殴っておいたよ」

「~~~~っっ!」



 ――最高の勝利宣言をしてみせた。

 その時、誰もがその光景に目を疑った。


 幻影のウィザードが、ナイトにやられた?

 最強という以上に、相性が最悪なのに、それを覆された?

【零の境地】が使えないなら攻略方法がほとんどないと言われている幻覚を、魔術を専攻していない騎士学部の生徒が突破した?


 だけど同時に、誰もその疑いを一瞬で晴らした。


 ジェレミアが倒れ、ロイの方が自分の足で立っているから。

 そんな彼が、シーリーンに約束を果たしたと笑っているから。

 そして彼女も、泣きながら何度も頷いて、最愛の男の子に微笑んでいるから。


 雰囲気を壊すのも悪いな。

 そう思い、最後まで宣言を控えていた審判が今、ここに――、


『『『『『ロイ・モルゲンロート対ジェレミア・シェルツ・フォン・ベルクヴァイン! 勝者! ロイ・モルゲンロートッ!』』』』』


 音響操作のアーティファクトから、審判による公式な宣言が響き渡る。

 それと同時に大歓声と拍手喝采が巻き起こり、こうして、ロイVSジェレミアの決闘はロイの勝利という形で幕を閉じたのだった。


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