5章2話 自室で、白くて華奢なその両手を――(2)



 この絶望的な状況で、なぜかロイは一番の当事者だというのに、イヴとマリアよりも落ち着いていた。

 彼だって幻影魔術、つまり五感を剥奪されてそれらが幻覚にすり替わり、体感時間すら弄られる魔術の恐ろしさを理解しているはずなのに……。


「弟くん、なにか必勝法……は、ないにしても、勝算はあるんですよね?」


 マリアが訊く。

 流石にロイの今の冷静さはメンタルが強いの一言では片付けられない。


 すると、ロイは「当然」とこともなげに頷き、イヴとマリアに対して『とある言葉』を教えてみせた。

 しかしその単語に馴染みがなかったマリアは――、


「……ううん?」


 ――と首を傾げて自分なりに考え始める。

 一方、逆にイヴは首を横に傾げない代わりに、コクン、と、首を縦に振ってみせた。


「わたしは聞いたことあるよ! 以前、お兄ちゃんに教えてもらったよ!」

「あれ? ボク、イヴに教えたことなんてあったっけ?」


 今度はロイが首を傾げる番だった。

 彼の記憶が正しければ、この世界で『その単語』を口にしたのは初めてだったはずなのだ。そこで気になり、今度はロイがイヴに問いかける。


「で、イヴ、その意味は?」

「それは忘れたよぉ……」

「「…………」」


 可哀想な子を見る目で、イヴのことを見やるロイとマリア。

 するとだんだんイヴの瞳がウルウルしてきたので、ロイは「コホン!」と軽く咳払いして、話を続ける。


「心配かけたボクが言うようなことじゃないけど、大丈夫だよ。ジェレミアを倒す。シィを助ける。イヴと姉さん、そしてここにはいないけどアリスも、それで一安心。ボクが勝てば万事解決だ。それに――」


「「それに?」」


「――本人が見てなかったから、アレはノーカンだよね」


 その時、ロイの部屋のドアが控えめにノックされる。

 木製のドアが軽く叩かれる時特有のコンコンコン、という聞き心地の良い音が部屋に響いた。


 ロイが「はい、どうぞ」と返事すると、憂い顔のシーリーンが入室してくる。

 そして彼女はドアを閉めたあと、頭を下げて――、


「ロイくん、ゴメンなさい……」

「なんでシィが謝るのさ」


 ――開口一番、どこに座ることもなく、ロイに謝罪した。

 無論、ロイは謝罪されてもその必要はないと感じているが、シーリーンにとっては違うのだろう。


「決闘の話、シィもさっき、他の寄宿舎生が話しているのを聞いて、知ったよ」

「なら、ボクの方こそ謝らないとね。黙っていて、ゴメン」

「ううん……っ、ロイくんが謝る必要なんてない!」


 この時、シーリーンはロイの前で、初めて大きな声を出した。

 その嗚咽を漏らすような涙声にロイも、イヴも、マリアも、一様に言葉をなくし驚いた。


 シーリーンは自分のことがつらいのではない。

 自分のせいでロイが痛い思いをするかもしれないことがつらかったのだ。


「シィ、ロイくんが痛い思いをして、幻覚で狂っちゃうなんて……、絶対にイヤっ」


「大丈夫だよ」


「それに……ッ、もしロイくんが負けたら、みんなの前で土下座して、裸なんて……、もし本当にそんなことになったら、シィが代わりにッッ!」


「シィ!」

「――――っ」


 ふと、ロイは椅子から立ち上がって、シーリーンの両手を自分の両手で握った。いや、優しく包み込んだ、と、言った方が正しいかもしれない。


 彼のその手の温かさに、シーリーンはハッとする。

 少しヒステリックになったが、落ち着いて周囲を見てみれば、優しそうな表情のロイと、そして、イヴもマリアも、確かにそこにいた。


「そんなこと、言うのはもちろん、考えてもダメだよ」

「ロイくん……」


「当然、代わりにシィがするなんてもっての外だ」

「でもロイくん……シィはみんなから……汚れているって……」


「キミはもう、自分の身体を大切にしないといけない」

「~~~~っ」


 生まれて初めてだった。

 生まれて初めて、親以外の男の人から、自分の身体を大切にしてほしいと言われた。


 シーリーンだって、頭では、理屈ではわかっている。自分の身体を大切にするのは当たり前のことだ。ロイは自明なことを言ったにすぎない。この程度で顔を赤らめてしまうなんて、我ながらチョロすぎる。


 でも『心』が、勝手に突っ走ってしまうようなこの感覚。

 頭でどれだけ心を否定しても、心臓がドキドキ高鳴っている事実は、確かにシーリーンの左胸に存在していた。


「シィ、キミはボクとジェレミア、どっちを応援する?」

「? そ、そんなの当然ロイくんだよ……」

「なら、ボクは勝ちたい」


 こともなしにロイは言う。


「キミはボクとジェレミア、どっちに勝ってほしい?」

「当然、ロイくんだよ」

「なら勝てるよ」


 こともなしにロイは断言する。


「最後、キミはボクとジェレミア、どっちが好きだい?」

「当然ロイくん……っ!」

「なら、絶対に勝つよ」


 こともなしにロイは宣言する。


「待っていてほしい。そして見ていてほしい。ボクは約束を絶対に守ってみせる」


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