第72話雪のエイヴォンリー

山中、狩野、星山の3人は結局眠れないようだ。


功が先に休ませて貰い、夜中にアーネスと交代する。


「シュラフの予熱ご苦労。じゃ、後よろしく」


嬉しそうに功が出たばかりの温く温くのシュラフに潜り込んで行くアーネスに苦笑し、伸びをする。


相変わらず夜空は星が凄い。

冬の澄み切った空気を通って、星の光が昼のように地上に降り注いでいる。


蒼い世界は美しい。


ただ、やはり予想通り風が出て来たようだ。


予めよく乾いた太い薪を集めていたので、朝までとろ火で焚けば薪は持ちそうだが、予報より少し温度は下がるかもしれない。


ステンレスボトルに水を移し、焚き火に突っ込む。

沸いたところに荒く挽いたコーヒー豆を入れ、少し待つ。

豆が沈殿したところでボトルを少し叩き、浮いた豆をさらに落としてカップに注ぐ。

ワイルドコーヒーだ。

苦味も雑味もどんと来いの漢のコーヒー。


寒くなったのでブランケットとアーネスのポンチョを頭から羽織る。この時期、油断するといつの間にか頭が夜露でびしょびしょになる事がある。


コーヒーを飲みながら周りの気配を探るが、ゴブの子一匹居ない。


明け方前に一匹だけヴィリヤッコが近づいて来たが、功がエクステンションとペネトレートで石を投げると逃げて行った。


ひょっとしたら死んだかもしれないが。


相変わらず3人は眠れないようで、時折ボソボソと話し声がし、すぐ止み、寝返りを打ち、ちょっとの物音に驚いては起き上がるを繰り返している。


やがて空が白み始めて来る。

一日の内、一番寒い時間帯だ。

だが、夜を徹して緊張が続いていた3人にとっては、気の緩む時間でもあった。


周りが明るくなり視界を取り戻すと、少し緊張が解けて来たのか、ようやく3人に眠気が襲って来た。

見張りの順番だった星山まで、シュラフを被ってうつらうつらとしている。


功はそのままにしておいた。

研修の趣旨は見張りの訓練ではない。甘やかす訳ではないが、この3人には大変な一日だった筈だ。

少しくらい寝かせてやっても罰は当たるまい。




昼近くなり、研修最後の最後で幸運にもまたゴブリンの小集団に遭遇した。

相手は五匹。

3人は多少緊張はしているが、過度に力は入っていない。

昨日一日で一皮剥けたかのようだ。


「落ち着いて構えなさい。安全装置解除して。トリガーに指掛けちゃダメよ。まだよ、まだ撃っちゃダメだからね。30mまで引き付けて。あの三角の岩の所までよ」


小声のアーネスの指示も、ちゃんと耳に入っている。


もうすぐ30m。


「ファイアッ!」


3人は猛然と撃ち掛かった。


静音がエンチャントされている功のケルベロスよりも、軽い音がするが、さすがにこの距離で撃たれるとゴブリンも無事では済まない。


「やめっ!」


各人が三発程撃ったところでアーネスはやめさせた。


アーネスは3人を連れてゴブリンを見に行く。


ゴブリンは文字通り蜂の巣になっていた。

弱装弾で、しかも距離も有るので、血肉が吹っ飛ぶなどという事はない。


着弾箇所の皮膚の表面にポツポツと穴が空いて、黒っぽい血が少し流れているだけだ。


「う、うぇぇぇぇええぇっ・・・!」


3人は一斉に顔を背けて嘔吐し始めた。


さっき食べた朝飯が全て吐き出される。


生まれて初めて人型の生き物を殺した。

今まで動物であっても殺した事が無い一般人がだ。

都会に住んでいれば、蚊ですら殺す機会は少ないだろう。


戦いの興奮は醒め、何とも言えない匂いと不快感が震えと共に止めどなく押し寄せ、遂には胃液まで吐き出す。


涙を流し、鼻水を流し、涎塗れでも吐き気は止まらない。


幼い頃から狩られた獲物を見て育ち、身近にハンターの身内がいる功でさえ、最初の頃は不快感が拭えなかった。

まして都会っ子だと尚更だろう。


功も黙って見ていた。掛ける言葉は無い。

これも乗り越えねばならない一つの壁なのだろう。


だが、ここに追い討ちをかけるのがアーネスである。


「あんた達、人は殺せる?私達の仕事は人だって殺すのよ。街の賞金首、最近は随分減ったけど、野盗に山賊だって討伐しなきゃならない時だってあるの。

森の東には、『ゲロカス同盟』ってヒャッハー達の街もある。コイツらは本気でクズだから人間て認めちゃダメだけど、見た目は人間なのよ。

もう一回聞くけど、殺せる?」


功はハッと息を飲んだ。

人ごとでは無いのだ。自分もこの仕事をしていれば、いつかは必ずそこにぶち当たるだろう。

考えてみれば、初めてここに来た時のアーネスらの仕事は賞金首の討伐だった。


功は激しく動揺する。


それに気付いたアーネスは振り向いて功を見る。


「アンタは大丈夫。仲間達とクズの犯罪者。どっちが大事かはアンタには判断がつくわよ。それとも、私やフィーが奴らの慰み者になって殺される方がいい?」


アーネスの真剣な眼に見据えられる。


エイヴォンリーに数日滞在しただけで、功の耳にも『グロリアス紳士同盟』通称『ゲロカス同盟』の悪名は届いている。

聞きかじった事の半分だけでも、悪魔と言える集団だ。


そして自分の仕事は、そいつらと戦う事も大いにあり得るのだ。

その仲間達の中には勿論アーネスも含まれている。


功の頭が急速に冷えて行く。


「そうだな、考えるまでも無いな」


そう、考えるまでも無い。


《大事な仲間達が理不尽で悲惨な事になるくらいなら、頭から血をかぶってやる》


功も随分とこの世界に馴染んでしまったようだ。


《ひょっとしたらアーネスは、この覚悟をさせる為に俺を連れて来たのか》


「ほら、行くわよ」


山中の尻を蹴飛ばすアーネス。


《うん、違うな》





帰りの輸送車の中で3人は死んだように眠っていた。

狩野や星山は眠りながら涙を流しているし、山中もうなされている。


「しかしアンタが来た世界も大変なのね」


輸送車の細い窓から外の景色を見ながら、ぼんやりと話かけて来た。アーネスも随分眠そうだ。


「何が?」


この世界の方が相当大変だぞと思いながら聞き返す。


「だってさ、今までここに来た新人て、大概ブラック企業で使い潰された中年か、トラックに轢き潰された子供よ。

アンタ達の世界って、どうなってるの?子供撥ねないと一人前のトラッカーになれないの?

人間使い潰さないと企業成り立たないの?

中世ヨーロッパが何か知らないけど、中世ヨーロッパ、中世ヨーロッパってみんな口を揃えて言うけどさ、中世ヨーロッパしか知らないの?ゲシュタルト崩壊しないの?」


「知らんがな!」


「あ、雪」


「お、本当だ。とうとう降り始めたな。エイヴォンリーって積もるのか?」


「そうねぇ、少しは積もるわね。湖北の方の街は雪掻き大変だって言ってたわね。こっちはそうでもないわよ。

も少ししたら湖面が少し凍るけど、毎朝砕氷船が水路整備してくれるから支障は無いけどね」


「そうなんだ。エイヴォンリーって広いんだな」


「そうよ、人が住んでる衛星都市まちは点在してる感じだけど、全部含めると結構な広さね。

まだ私も行った事無い街も有るし」


功は実感して無いが、エイヴォンリー湖は日本がすっぽりと入り、まだ余る大きさだ。

衛星都市はその周りに点在している。


「そうなんだ」


「そうよ、旅行なんてそう簡単に行ける環境でもないしね。

商人の輸送船団の護衛とか、大トレーラー軍団の護衛とか有れば行くけどね。

でも大体そういうのは大手が契約してるから、下請けの下請けくらいでしか行けないけど。

だからエイヴォンリーは、転送出来ない大きな工業製品てとても高いのよ。

輸送費に護衛費がバカにならないから」


「成る程な」


眠そうに、気怠そうにアーネスは話す。

輸送車の中はエアコンが効いていて暖かい。


寝ないようにと、とりとめのない事を喋っているようだが、それも限界のようだ。


もう半分夢うつつで話している。


「そう言えばクリスマスねぇ・・・」


とうとう功の肩に頭を乗せて寝てしまった。


《クリスマス有るんだ。ま、有ってもおかしくないか。元の世界の商売人が居れば格好の商戦手段マーケットだもんな》


《そう言えば、今日って何日だっけな?》


スマホを見ると丁度12月24日だった。

街を出た時にはクリスマスらしい飾りは見当たらなかったので、あまり浸透してないのかもしれない。


功もクリスマスのタイミングに彼女が居た事が少ないので、今まであまり気にもしてなかった。

何しろ、学年が変わる、彼女出来る、夏には居なくなる。を、繰り返しているのだ。長くて秋までである。


《今年もあとちょっとか。四国の爺ちゃんとこに遊びに行く約束してたのにな》


スマホを出したついでにブランケットも取り出し、アーネスに掛けてやる。

涎対策にタオルも出そうかと悩んだが、そのままにしておいた。






昼過ぎには保護庁の庁舎に到着し、3人をアッバス氏に返す。


たった一泊の研修なのに、大冒険をして来た感のある3人。

頬はやつれ、たった一日で体重も減った。


「では、ルナティックパーティさん、お疲れ様でございました。こちらにご署名頂いて・・・はい、ご苦労様です。後は私が彼らと面談致しまして、後々の進路を相談させて頂きます」


アッバス氏は相変わらず機械的に仕事を進めるが、その実しっかりと3人を観察している。

金色の山羊の眼には、どことなく優しさが見え隠れしているのだ。


彼に任せていればこの3人も変な事にはなり難いだろう。

後は自分達次第だ。


「あ、あの、ゴブリンも討伐しましたし、これで僕達駆け出しでも冒険者になれますかね?」


星山が何やら覚悟を決めたように、真剣な眼差しでアーネスに問うて来た。


アーネスも真面目な顔で返す。


「ゴブリン討伐したくらいで仕事貰える訳ないでしょ?駆け出しのあんた達が討伐出来る程度の魔物の駆除なんて、農家さんには農作業の一環なのよ。

魔物が住む土地の農家さん舐めちゃダメよ。あんた達より遥かにメンタルもフィジカルも屈強なんだから。

それにショットガン一丁有れば誰でも簡単に駆除出来るの、あんた達が一番良く知ってるでしょ?

もう一回言うけど、あんた達程度でも出来ちゃうんだから。

そんなゴブリンの群れ程度で傭兵呼んで来たら農家さん成り立つ訳無いでしょうよ。

ゴブリンの魔石一個いくらだと思ってんの?あんたが使った弾一発の半分の値段よ。

どうやって生活するの?」


本当の事かも知れないが、しっかりとトドメを刺すアーネスを見て、功は天を仰いだ。


《言い方!》


だが、アーネスはこうも続けた。


「でも、最後まで逃げ出さなかったわね。その根性忘れないでね」


アーネスと功はアッバス氏と握手して別れる。


魂が口から抜けたような顔をした3人に軽く手を振り、踵を返して歩き出す。


《アッバスさん、戦闘よりも何よりも、アーネスにズタズタにされたあの3人の心のケアお願いします》


功には祈る事しか出来ない。


「これからどうする?」


「私は事務所に戻って精算とか、報告書の作成。アンタは自由にしてていいわよ」


「なら教習所行って来るわ」


功は教習所のサイトで時間割と空きを確認する。今からならまだ受講出来る。


「ならそうしなさい。私は多分ちょっと遅くなるかな。19時迄には戻ると思うけど、何か有ったら連絡入れる」


「了解」


2人はそのまま別れた。

功は教習所に向い、教習の待ち時間の間に売店で購入したパンを食べて腹ごしらえする。


疲れていてもおかしくない筈なのに、功は充実していた。


一仕事終えた感は一応有るし、皆んな怪我もせずに帰って来れた。

久し振りの冬野営は、あんな状況にも関わらず楽しめたし、ブッシュクラフトの真似事も出来た。


教習所の座学も新鮮だし、実技教習も楽しいので、寒いのも苦にならない。


相変わらずアパートまで帰るのに乗り換えが面倒だが、功はある島の乗り換えの停留所でふとある物に眼を留めた。


それは、停留所のそばにある小さな雑貨店の出窓に展示されていた。


雪の降る夕暮れ時の街に、ポツンとそこだけスポットが当てられたように感じる。

それは、ささやかながらもクリスマスの装飾がされているからなのかもしれない。


店先には、小さなツリー、ドアにはリースまで飾られている。


《そう言えばアイツのバッグ、少しくたびれてたな》


初めて街に出た時のアーネスは、精一杯のお洒落をしたようだが、バッグだけは少し古かった。


窓に飾られていたのは、白い革に、明るいブラウンの持ち手と同色の縁取りがされたトートバッグで、特別なお洒落感は無いが、普段使いに丁度良さそうな大きさだ。

持ち手に付いた金色のチャームがワンポイントだが、派手さは無く落ち着いたデザインをしている。


気がつくと、自然にその店に足が向いていた。





アーネスは鼻水をすすりながらアパートに急いでいた。

雪の降る中ゴムボートで帰るなど、通勤のOLのする事ではない。

まあ、OLではないのだが。


ロストチャイルドワールドでは、各世界からもたらされた宗教や行事が溢れ返っている。

クリスマスも無いではないが、一部のマイノリティの行事である。


アーネスもメディアからの知識として知っているだけで、あまり興味を持たなかった。


そんな余裕も無かったのが大きいが、何故か今年はふとその事を思い出したのだ。


《アイツってお酒飲むよね》


アーネス自身は一人では飲まないが、ここの所家での晩ご飯には一杯付いて来るので、ついつい飲んでいた。


心地良く酔いが回るのは、気持ちがほぐれてとてもリラックス出来、アルコールの効能を改めて見直したものだ。


《ちょっとだけいいワインでも買って帰ってやるか》


少し寄り道して、店員おすすめのワインを購入すると、家路を急ぐ。


また鉢合わせた隣人のウザ絡みも、笑顔でスルーしてドアを開けると、かぐわしい晩ご飯の匂いが漂って来た。


「ただいま〜、寒かった〜。晩ご飯何〜?」


玄関のコート掛けにコートを掛け、ニットの帽子も取る。


功はキッチンに居るようだ。水の音がする。


「おう、おかえり。今日は照り焼きチキンソテーだな」


「へぇ、地上肉なんだ、奮発したじゃない」


「まぁな」


地上肉とは水棲動物ではなく、地上(あるいは水上)の飼育施設で育てられた畜肉の事で、エイヴォンリー独特の言い回しである。

その中でも鶏は比較的安価ではあるが、天然物のエイヴォンイルカよりも高い。


日本の感覚だと、いつもは豚肉だが、今日は頑張って外国産の牛肉!という感じだろう。


「寒かった〜、このタイミングで雪って最悪よね、ホントに」


アーネスは髪を軽く整えてダイニングキッチンに入った。


「いい匂い・・・功?」


功の姿は見えない。


「トイレ?」


サニタリーにも居ない。功の歯ブラシは鏡の前に有る。

一応自分の寝室も見たが居ない。


もう一度部屋中探したが見当たらない。さっきまで声が聞こえていたのに・・・

もう一度・・・

もう一度。


テーブルの上には二人分の食事のセット、フライパンには美味しそうに焼けた鶏のもも肉、別の器にはバターの香り立つホカホカのマッシュポテト。湯気のたつ温野菜のサラダにパンとチーズ。

それにチョコレートケーキ。


アーネスの席にはリボンの掛かった紙袋が置かれていた。


でも功は居ない。














ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エイヴォンリーの日常編終了。

世界観を出したいだけの章でした。


次章、冬山の狩人編



相変わらず章管理のやり方が分からない

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