第69話初戦闘

慣れていないと人の手の入っていない森というのは、非常に歩きにくいものだ。


まず平坦な場所は少なく、木の根等の障害物は多い。

丘のようなアップダウンも有れば、岩も有り、木の根が腐ってポッカリと空いた穴、所々動物や魔物の白骨なんて物まで転がっている。


地面の硬さも一定ではなく、足を取られ易い。

足元にばかり気を取られていると、蜘蛛の巣に顔を突っ込み、驚いて腕を振り回して大きな音を立ててしまう。

周りの警戒どころの話ではない。


功にしてみれば、冬の森は夏より遥かに歩き易い。

虫もぬかるみも少なく、広葉樹は葉が落ちて視界も通る。

空気は乾燥しているし、気温も低いので地面も夏よりは全体的に硬く歩き易い。


キャンパーの性か、薪になりそうな乾いた落ち枝や倒木を見ると、ついつい拾いたくなる。

タープやテントの支柱になりそうな枝を拾いたくて仕方がない。


気が緩みそうになるのを堪える方が難しい程だ。


全く気持ちの良いトレッキングコースなのだが、研修の3人はそうでもないようだ。


最早息も絶え絶えで、周囲警戒どころの話では無い。

支給され、あれだけ嬉しそうだったショットガンですら、既に耐え難い荷物となっている。


野営の荷物はストレージのチートで収納し、食料と銃しか無いにも関わらずだ。


「それじゃここでそろそろ休憩にするから」


アーネスの声に3人は返事も無くへたり込んだ。


功はともかくとして、アーネスですら平気な顔をしている。


「予定してた距離は進めなかったけど、時間も時間だし、食事にしましょう。水飲んでいいわよ。ただし、誰か一つの水筒を空になるまで飲む事。食事で使う分は残してね。水筒の中に中途半端に水残してチャプチャプ音立てないように。それから水は無駄にしない事。明日まで残り二つの水筒で過ごすのよ」


功とアーネスは自前のハイドレーションシステムで水を飲む。これは伸縮性の有る2L防水パックに水を入れ、チューブで吸い上げるので、空気が入らず水が減っても音を立て難い。

ハイドレーションパックの入ったバッグはバックパック内に下げており、肩装甲の隙間にチューブを通して襟元にチューブエンドを出している。

チューブエンドを咥え歯で噛むだけで、歩きながら手を使わずに水が飲めるシステムで、バイクやサイクリングなどでもお馴染みのシステムだ。


3人は貪るように水を飲み、やっと生き返ったようだ。


「木下さんは凄いですね、二ヶ月でそんなに強くなれるんですか?」


山中の質問に、功の代りにアーネスが答えた。


「この男を基準にしない方がいいわよ。元々こいつはそっちの世界でも山登りとかしてた体力お化けだから。

あんた達の体力が無いのは仕方ないわ。生きて来た世界が文字通り違うんだからね。これから体力を養っていけばいいだけの話よ。

まあ、養えなければ死ぬだけだけど」  


《一々怖いんだよなぁ、まぁ、本当の事だけど》


顔を痙攣らせながら山中はアプローチを変えて来た。


「き、木下さんはどちらご出身なんですか?」


「ああ、俺は四国です。田舎の山の中ですよ。だからかな、こういうのは得意なんです。

東京の大学に行ってたんですけどね、気付いたらこっちの森の中に居ました」


それから功は掻い摘んでアーネスに拾われるまでを話した。


3人は話を聞いてドン引きである。

各々のスマホでマウンテンロックスキッパーを検索して二度ドン引きする。


「リ、リアルチートじゃんよ・・・」


「リアルチート?」


功の知らない言葉だ。

まさか自分が伝説のハンス=ウルリッヒ=ルーデルやシモ=ヘイヘと同列に語られるなどとは思いもしない。


「さあ、駄弁ってないで食事したらまだ奥に行くからね」


今回の食事は簡単に軍携行食ミリメシだ。

水を入れて紐を引けば温まる優れ物。

何かの肉のシチューとパン。それにチョコレートブラウニーとハーブティのようなお茶。

ミリメシだけあって味は濃い目だ。

3人はガツガツと、いや、3人とアーネスはガツガツと食う!


チョコレートブラウニーは功の分まで食われた。何やら特にチョコレートには目が無いらしい。

功は他の物にも目が無いじゃないかと思ったが、言わない。


「こういう森でテンプレは、狩りしてその肉食うんじゃねぇの?」


食べ終わって一息ついた狩野の疑問に、アーネスではなく功が答えた。


「そう都合よく獲物なんて居ないし獲れないさ。仮に獲れたとしても、熟成させてない肉なんて煮ても焼いても食えないぞ。死後硬直って知ってるか?」


「え?そうなの?」


ウサギ程度の肉でも、美味しく食べようと思えば冷蔵庫で最低3日は寝かさないと食べられない。

鹿などの大動物になると二週間近くかかる事もある。

肉の中の酵素が繊維を分解してアミノ酸を生み出すので、肉質が柔らかくなり、旨味が増すのだ。


日本でも、アメリカ産やオーストラリア産などの海外の牛肉は、船で輸送されている間も熟成させているので、それを計算に入れて輸出しているのである。


「大体魔物の多い森で解体なんかしたら、それこそ自分が食われる。血の匂いって意外な程広がるからな」


道理である。


「魔物の肉とかは?」


「肉質ってのはその獲物が何を食ってるかで決まるんだ。和牛でも何でも、ブランド肉は餌から拘ってるって言うだろ?普段から肉食ってる肉食獣の肉なんて、例え熟成させたとしても臭くて硬くて食えない。

雑食の猪肉や熊肉だって相当クセが有るからな。

第一自然の中で生きるか死ぬかしてる動物は、常に動いてるから肉が硬いし、脂が乗ってない。

他に簡単に美味しく食べられる物が有るのに、わざわざ肉食獣を食べたいと思わないな」


「でも、魔物の肉だから・・・」


「殺して食ってって言うのはもうファンタジーじゃなくて物理の世界だろ?魔物だから肉質だけファンタジーってあるのかな?」


ありそうな気もするが、どうなのだろう。試してみようとは思わない。


肉質についてはハンターや畜産農家の常識である。功は祖父に教わった。

勿論例外もある、爬虫類や鳥肉などは比較的早く食べられるし、クセも少ない種類ある。


「なんか、夢がどんどん壊れて行く・・・」


星山が蚊の鳴くような声で呟く。密かに魔物肉グルメでも思い描いていたのだろうか。


そこで功が顔を上げた。


「南西、360m、軽い、3、いや4、二足歩行、身長130cm」


今の森の中はほぼ無風だ。音は伝わり易い。


「ゴブね」


研修生3人は目に見えて緊張する。


「わ、分かるんですか?その距離で・・・」


「功は人間三次元レーダーよ。何してんの?戦闘準備!ほら、早〜く!」


「やっぱ凄ーな!スキル気配察知ってヤツだろ?俺も欲しい!」


「え?気配っていうか、音とか、振動とか、匂いとか、草や小枝の揺れとかから判断してるだけだけど?」


「え?随分物理的なんですね。魔力とかオーラとかじゃないんですか?」


星山が目を丸くする。


「違うな、そんな都合の良さそうなもんじゃない」


「何してんの?早く銃構えて、せっかくアドバンテージ取ってんのよ!伏せろこの馬鹿!アドバンテージの意味分かってる?今なら待ち伏せ出来んでしょうが!」


アーネスが小声で叱り飛ばす。


「まだよ!まだ安全装置外しちゃダメよ!狩野!どっち向いてんのよ!南西だって言われたでしょ⁉︎方角も分かってないの⁉︎山中!頭下げて!星山は前をしっかり見る!」


全員倒木の陰に隠れたが、3人は全く落ち着きが無い。

だが、銃を前に構えているだけまだマシだろう。

つい頭を上げ、アーネスにグリグリと抑えつけらている。


「200m」


まだ見えない。灌木や倒木の影に隠れているのだろう。音も聞こえない。


待っている間、時間が引き延ばされたように3人は感じる。


3人には随分待ったように感じられた。

実際には十数秒だ。


「な、何だよ、来ないじゃねーか、本当に・・・」


狩野のセリフはアーネスの拳で止められた。伏せた姿勢から的確に肝臓レバーを打つ技術はさすがだ。


「黙れ、殺すぞ」


静かに、ドスを込める。

アーネスは本気だ。こうした不注意や気の緩みが、仲間を危険に晒すのだ。


「死ぬ時は一人で死ね。仲間を道連れにするな」


レバーを強打され、もがこうとしていた狩野は、アーネスの本気の声を聞いて動きを止めた。

自分の手で口を抑え嗚咽をこらえる。


おそらく今度こそちびっただろう。


涙目になって震えながら俯く。


そんな狩野の髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。


「前を向け、敵はすぐそこよ」


他の2人も恐怖に前後を挟まれ、涙目だ。前にゴブリン、後ろに魔王アーネスである。

ガタガタと震えて射撃どころの話では無い。

アーネスの圧が凄い。

功も引く程だ。


「100m」


だが功の声は冷静だ。確実に距離を刻む。

まだ姿は見えないが、落ち葉を踏む音が微かに聞こえて来た。


「安全装置は解除。でもまだ撃っちゃだめよ、姿が見えてもまだ撃っちゃダメだからね」


さらに声を低めてアーネスが指示する。


いよいよゴブリンの醜悪な姿が見えて来た。

功も初めて生で見るが、見ていて気持ちのいい姿では無い。

枯れた樹木の皮の様な肌、ギョロリとした目は大きく剥き出され、額の狭い汚れた顔、首から下は獣毛にまばらに覆われ、手には棍棒、物語のゴブリンとはちょっと違う獣臭い姿だ。

ブリッコーネを見た時と同じ嫌悪感を感じるが、脅威度は遥かに低い。


バンッ!


「!」


まだショットガンの距離では無い。


しかし、星山が恐怖に耐え切れず、先走ったのだ。

ゴブリン達の遥か手前で軽く土煙が立ち、落ち葉が舞う。

つられて山中も撃ち、そこからはつるべ撃ちに撃ちまくる。


狩野だけは両手で耳を抑え、銃を放り出して丸まっていた。


恐怖に駆られ、狙ったつもりでも筒先は見当違いの方を向いている。


「あちゃ〜」


功は思わず声を上げた。

反面アーネスは平然としている。


「こんなもんよ普通。アンタの方がおかしいの。初回の戦闘で大暴れに立ち回るなんて普通は出来ないの。

最初アンタのことサイコ野郎の丙種かって警戒したくらいなんだから」


「俺だって葛藤くらいあったって!」


功はそう言うが、用意と下調べは入念にしたとは言え、普通の人間は初めて行く海外のジャングルで一週間もサバイバルキャンプはしない。

クソ度胸と行動力は元の世界から折り紙付きなのだ。


地底に潜る洞窟探検家ケイバー、極地へ赴く冒険家エクスプローラー、1人でヨットを駆り、世界の海を渡る船乗りセイラー、功はそっち側の人間だ。


「ま、アンタが自分をどう思おうが、充分ルナティックこっち側なのよ」


「・・・」


酷い体たらくの3人をよそに、黄昏たそがれる功であった。

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