第32話ブリッコーネ
目覚めは爽快だった。
アーネスに起こされるまでもなく、自分から目覚めたのは、しっかりと良い睡眠が取れた証拠だ。
こんな状況でもぐっすり眠れる自分に呆れつつ、時間を確認する。
時刻は午後10時過ぎ。風は予想通り強くなっている。
「あら、お早いお目覚めね。もう少し寝ててもいいのよ」
「あんがと、でもしっかり休ませて貰った。外はどうだ?」
「今のところは異常は無いわね。静かなもんよ、風以外は」
眠気覚ましに飲んでいたのか、アーネスから飲みかけのお茶を貰い、礼を言って一息に飲み干す。
寝汗はかいていないが、空気が乾燥しているので、この寝起きのお茶は殊の外旨い。
アーネスと代わり、シュラフを明け渡して入り口付近に座る。ハンモックキルトを座布団代わりに尻に敷き、フリースの毛布を羽織る。
毛布にはアーネスの体温が残っており、暖かい。振り返ると、シュラフの中のアーネスは既に夢の中だ。実に素早い。
外は細い三日月が出ており、満天の星空だ。元の世界と違い、濃紺の宙に赤紫の天の川が網目のように縦横に走っている。
圧巻の美しさだ。
《昨日は星空鑑賞する余裕も無かったな》
少し雲は有るが、充分見応えのある夜空だ。星が近い。
気分良く周囲を見ていた功は、無意識の内に腰の剣鉈とハチェットに手を伸ばす。
まず身体が反応し、思考がそれを追いかける感じだ。
《ん?何だ?》
嫌な予感がする。いや、予感ではない。何かが確かに功の神経に引っかかったのだ。
それは、強風の中に僅かに混じる異音。
《風上から何か来る!》
素早くランタンの火を消し、アーネスをゆすり起こす。
「アーネス、何か来る」
寝入ったばかりのアーネスだが、瞬時に功の緊張を感じ取り、さすがにこの状況で騒いだりはしない。
一度だけ眉根を揉む仕草をしただけで、素早く武装を整える。
「敵?」
「味方は居ないからな。風上から近づいて来てる。距離は約380m」
「風上から?じゃこっちに気付いてないって事?」
「さもなきゃ風上は囮で、本命は風下って事になる。でも、それは考え難いな。あっちは断崖だ」
功等がキャンプを張っているのは南東に面した岩場だ。風は東から西に吹いており、西側はちょっとした断崖絶壁になっている。
万一の場合にと、その絶壁には脱出用のザイルが用意してあり、撤退する時は荷物を捨てて20m程の崖を降りる手筈だ。
「どうする?」
「お前はここで待機しててくれ。一応後方警戒も頼む。何かあったら撃ちまくってから崖を降りろ。銃声が聞こえたら俺もすぐに降りる」
「アンタは?」
「見てくる」
この星明かりなら功には昼と同じように見える。影が薄い分昼より見え易い程だ。
「任せた」
下手に気を使われるより余程勇気の出る言葉だろう。相手を全面的に信頼していないと出ない言葉だ。
得体の知れない侵入者に対する功の恐怖が薄れて行く。
《これもコイツの魅力だな》
口には出さない。絶対につけ上がる。
アーネスは功に防御アップのフェアリーブレスの魔法を早口でかける。有ると無いとでは全く違うだろう。
そっとタープを出る。
西側の崖を見るが、侵入者は見当たらない。どうやらアーネスの言う通り、東から来る足音の主は功達には気付いていないようだ。
今のところは。
この先30m程で獣道は北西に進路を変えているので、その道を辿っているのであれば何者かはキャンプの岩場の上、北側を通って何処かに去る筈なのだ。
何事もなければだが。
風が運んで来る足音は2つ。二足歩行で、風の抜ける音から察するに身長は3m前後、体重は120kgから130kg。ためらいや迷いのない規則的な足の運びだ。巧みな忍び足だが、しっかりと功のウルズセンシズは捉えている。
ブリッコーネ。しかも2人組。
《最悪!》
出来るならこのまま通り過ぎて貰いたい。そして出来るだけ遠くに行って貰って、そこで2人には幸せになって貰いたい。そしてそのまま帰って来ないで貰いたい!
しかし無情にも2人は確実に近づいて来る。ボンヤリとした提灯のような明かりを点けているようだ。
一際強い風が吹き付ける。
この風で2人の存在を誤魔化せれば何よりなのだが・・・
バサバサッ。
後方、キャンプで音が上がる。
功は伏せたまま、一瞬身体を硬くした。音の正体はすぐに思い当たった。
風でタープを留めているガイラインが緩み、タープが波打った音だ。
すぐにアーネスが押さえたようで、音は収まったが、ブリッコーネ2人の注意を引くのには充分だったようだ。
《こんな時に!》
悔やんでも仕方がない。だが、遅かれ早かれ発見されていた可能性は高い。
ブリッコーネは生粋の狩人だ。そんな奴らが風上から獲物を追う事などあり得ない。
それでも風上から近づいて来たのは、明らかにこちらに用があるからだ。
キャンプの岩場ではなく、その北側を通る獣道だったにしても、接近すれば露見する確率は飛躍的に高まる。
ブリッコーネ2人の足音が明らかに変わる。警戒し、気配を殺したより本気の忍び足だ。最初から捕捉していなければ、風下の功にも気付けない程のスニーキング。
当然提灯の明かりも吹き消される。
だが、それは功にとっては好都合だ。明かりを点けていたという事は、ブリッコーネは暗視が得意では無いという事だ。対して功は暗夜でも全く問題ない。
ただ、ブリッコーネがわざわざ夜回りのような真似をしているのが気にかかる。
昼に功とアーネスが動いていた痕跡を見つけ、警戒してのパトロールだとすれば最悪だ。
そんな考えが功の頭をよぎるが、今はこの事態に対処するのが精一杯だ。
ジリジリと功は地面にへばり付いたまま移動する。ブリッコーネとキャンプの一直線上にいるのは不味い。
慎重に音を立てずに北東に匍匐前進し、飛び出た岩にそっと登る。
岩陰に隠れてやり過ごし、後ろから襲う作戦だ。だが、功は敵の気配を察知するのは得意でも、自分の気配を殺すのは純然たる素人だ。
しかも、背後から襲うとなれば、今度は自分が風上に立つ事になる。
タイミングが勝負。
《怖えっ!マジ怖え!》
相手が人の形に近いのも、別の意味で恐怖を煽る。ホラーやオカルト映画のようだ。
手足が長く、猫背のブリッコーネは殆ど地面に這いつくばるようにして進んで来る。その姿も不気味だし、長大な弓を携え、太く長い矢も怖い。
何より恐ろしいのは、確実に警戒している筈なのに、顔は相変わらず笑顔のような表情だという事だ。
だが、ふとアーネスの言葉が思い出された。
『腹立つわ〜、あの顔!』
途端に極太眉毛をマジックで描かれ、モヒカンにされたブリッコーネが頭に浮かんだ。
それだけで功の恐怖は、まるで潮が引くように消えて行く。
《大丈夫、行ける。もう怖くない》
自分に言い聞かせる。ここに居にいないにもかかわらず、アーネス効果は偉大だ。
思わず惚れそうになる。勿論一時的な気の迷いだが。
ブリッコーネが近づいて来る。もう、目と鼻の先だ。
極力銃は使いたく無い。いくら静音されているとは言え、発砲音は独特だ。傭兵と戦い慣れているブリッコーネだと、小さな音でも気付くかもしれない。
右手に剣鉈、左手にハチェットを握る。
《大丈夫、行ける!》
目の前を過ぎる。
功は岩から飛び出した。
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