第90話 未柳のメンタル
お笑い生徒会長の未柳は、ロッカールームから逃げ出した。
そう、逃げたのだ。
BO3における一本目で、集団戦の前にダウンしてしまったことを、激しく後悔していた。
もちろん活躍できた場面もあった。宝箱を回収してから、ちゃんと敵から逃げきったことである。
あれはうまくやったな、と未柳自身も思っていることだ。
だがしかし、最後の集団戦の前にダウンしたことは、最悪の失敗だった。
(あたしって、なんでゲームうまくないかなぁ)
もっとゲームがうまかったら、集団戦の前にダウンすることはなかったし、もしかしたら東源高校は勝利していたかもしれない。
そう考えると、頭と心が、腐った紫色の光を放ちながら、爆発しそうになる。
こんな乱れた精神のまま、ロッカールームに戻ったら、仲間たちに迷惑をかける可能性があった。
だから未柳は、いやしの水を求めて、自動販売機コーナーにやってきた。
複数の自動販売機の前で、小学生みたいに小柄な人物が、ココアを飲んでいた。
黄泉比良坂の副部長である、凪である。ただココアを飲む動作だけで、サラサラのショートヘアがパラリと動いた。
ああ、この人物は、なにかオーラがあるな、と未柳は思った。
凪のほうも、未柳に気づいた。
「あら、あなたは、東源の未柳生徒会長。いいんですか、この時間にロッカールームにいなくて」
凪は、サラサラした前髪の隙間から、冷徹な瞳を光らせた。
まるでコーチの説教である。
だが未柳は、自分の感情が足元から崩れている自覚があるゆえに、むしろ説教を受け入れた。
「頭を冷やしてから、戻ろうと思ってさ」
未柳は、自動販売機で、ミネラルウォーターを買った。
バレーボール部時代から続けている習慣で、試合前や試合中は、水だけを飲むことにしていた。お茶やコーヒーみたいな、カフェイン入りの飲料を体内に入れると、集中力が乱れるからだ。
さっそく水を飲んで、心の乱れを整地していく。
バレーボール部時代の習慣を、eスポーツの試合中にも実行できたんだから、自分の闘志はまだ萎えていない。
だが、自分自身の弱さに、ケジメがついていなかった。
だから、こんなウジウジじめじめと、自分の失敗が脳内でリフレインしているのだろう。
なにかきっかけさえあれば、失敗は行動で取り返す、という至極まっとうな思考パターンに戻れるはずだ。
BO3は、まだ続いている。負けが確定したわけではない。
むしろここから二連続で勝てば、全国大会に進出できる。
だからこそ、二連続で勝つためのメンタルが必要だ。
「凪ちゃん、あたし、これからバカなことするけど、気にしないで」
未柳は、ミネラルウォーターを頭にかけて、文字通り頭を冷やした。
運動部が、試合のコートでやるなら、自然な行為だろう。
だが、eスポーツ部の部員が、自動販売機コーナーでやると、あまりにも不自然だった。
さすがの凪も、こいつ頭おかしいんじゃないか、という目になっていた。
しかし未柳は、他人にどう見られるかよりも、いかにして精神を立て直すかを優先した。
ミネラルウォーターの冷気が、延髄を通して脳を冷やせば、気持ちが奮い立った。
(よしっ、あたしは、もう大丈夫!)
未柳は、ハンカチで頭を拭いてから、きちんと水浸しの床も拭いた。
だがハンカチの表面が、雑巾みたいに汚れてしまったので、気合を入れるためにも、ごみ箱に投げ捨てる。
ガコンっという騒音が、調子を取り戻した心に響く。
未柳は、気合十分になっていた。
すると、ずっと黙っていた凪が、ぼそっと言った。
「どうやら、立ち直れたみたいですね」
「ありがとうね、凪ちゃん。無理にアドバイスしないで、見守ってくれて」
さきほどから、凪はなにか言いたそうにしていた。だが、あえて黙っていた。未柳が、自分自身の力で立ち直ることが、最善の道だとわかっていたからだ。
「あなたが一生懸命なのが、伝わってきたからですよ」
そう言い残して、凪は控え室に戻っていった。
未柳も、意気揚々とロッカールームに戻った。
ヴィジュアル系の加奈子が、未柳の膝裏を軽く蹴った。
「ちゃんと立ち直れたの?」
「もちろん。ちなみにこれはモチで、こっちはロン」
未柳は、お正月のお餅と、麻雀の役牌を並べた。
痛烈なオヤジギャグであった。
いうまでもないが、東源高校の仲間たちは、あまりもの寒いギャグに、ぶるぶる震えていた。
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