第35話 トリックスターの音声認識プログラム

 尾長は、廃墟の入り組んだ道を利用して、ジグザグに逃げていた。しかも足音をあえて大きく出すことで、敵をおびき寄せていた。


 典型的な囮の動きである。


 だが通常の囮と事情が違うのは、敵側もこれが囮であると理解しながら追いかけていることだった。


 あくまで小此木学園の最優先目標はバトルアーティストを潰すことだ。


 だが最優先目標にすべてのリソースを注ぎ込もうとした結果、トリックスターの〈幻影〉に触れてしまい、大事なスキルがクールダウンに入ってしまった。


 スキルのクールダウンが終わるまでは、俊介のバトルアーティストを倒すのは難しい。だから彼らは、スキルのクールダウンが終わる前にトリックスターを潰すことにした。


 逆に考えれば、もしスキルのクールダウンが終わる前に尾長のトリックスターを倒せなかったら、彼らはまたもや時間というリソースを損したことになる。


 尾長にしてみれば、ひたすら敵をおびき寄せつつ、だらだらと生存時間を延ばせば、チームの利益が増えていくわけだ。


 尾長が単独で囮をやり始めてから、すでに1500ゴールド増えていた。


 あと3500ゴールド掘れば、東源高校は実質的な勝利であった。


 尾長は、この試合における最後の一仕事をこなすために、とあるキーワードを口にした。


「よってらっしゃいみてらっしゃい。楽しい〈奇術〉の始まりだよ」


 ゲームの音声認識プログラムは、尾長の発した〈奇術〉という単語を聞き取ると、パッシブスキル〈奇術〉を発動した。


 トリックスターのスキルはすべて反転、〈幻影〉は〈等身大〉になった。


 このスキルの反転こそがトリックスターのパッシブスキルの正体であった。


 反転したスキル〈等身大〉の効果だが、通行不能の物理的な壁を生み出すことであった。壁のサイズはレベルに比例するため、レベル一のトリックスターでは、短いガードレール一本分しか生み出せない。


 だが使い方さえ適切ならば、とてつもなく便利な壁である。


 尾長は、廃車の列の裏側に隠れると、いつでも〈等身大〉を撃てるように身構えた。


 スキルを撃つのに適したタイミングは、小此木学園の到着直後である。


 尾長は小此木学園の移動ルートをほとんど読めていた。どうやって読んだかといえば、さきほど〈奇術〉を発動させるために声を発したことを逆手にとったからだ。


 小此木学園のメンバーたちは、尾長の声を拾っていたため、廃車の列に近づいていた。


『廃車のあたりから尾長の声が聞こえたぞ。急いで探しだせ、クールダウンが終わってから倒したんじゃ遅すぎるんだ』


 小此木学園の五名は、護衛用のロボット歩兵たちを引き連れて、廃車の列へ接近していく。よっぽど焦っているらしく、尾長の待ち伏せを警戒する素振りすらなかった。


 もし彼らが他校とスクリムを組めるだけ社交性を備えていれば、日々の練習の成果によって、待ち伏せの警戒をやれていたはずだ。


 だが彼らは自分たちの価値観に閉じこもって、他校を罵倒するばかりだった。


「スクリムなしで本選に出られるなんて、もはや才能の持ち腐れだな」


 尾長は、トリックスターの反転スキル〈等身大〉を発動した。


 廃車の列の手前に直線の塀が生まれた。そもそも廃車の列が道路をふさいでいるため、そこに塀が加われば通行不能になった。


 ここを通りたければ、通路を迂回するか、スキルで飛ぶしかない。

 

 だが彼らはスキルのクールダウンを待っているわけだから、囮役であるトリックスター相手に貴重なスキルを使うわけにはいかなかった。


『くそっ、いやらしいタイミングでスキルを使いやがって』


 彼らは、スキルで生み出された塀を迂回して、尾長を狙おうとした。


 だがすでに尾長は現地から離脱していた。


 この妨害と逃亡の饗宴こそがトリックスターの醍醐味だった。


「小生も、なかなかやるではないか」


 尾長は、敵を挑発するために、自画自賛した。だがうぬぼれでもなかった。大道芸で培った一芸を披露する度胸によって、トリックスターを使いこなせているからだ。


 だがどこまでいってもハッタリの技術である。ほんのちょっとでも敵のリズムを読めなくなれば、戦闘の流れに真正面から飲み込まれて、あっさりとダウンするだろう。


 だから尾長は、より敵を混乱させるために、あえて小此木学園の陣地に向かって逃げ出した。


 もし小此木学園が冷静なら、これ以上尾長を追わないはずだ。トリックスターには攻撃手段がないから、本拠地を攻撃される心配がないからである。


 実際、彼らも最初は無視しようとした。そろそろ大事なスキルのクールダウンが終わるから、作戦の損切をして、標的をバトルアーティストに切り替えたほうがいいからだ。


 だが尾長はそこまで計算していた。小此木学園の関心を引きつけるために、彼らの目の前で小此木学園陣地の金鉱をザクザクと掘りだしたのである。


 露骨な挑発であった。


 小此木学園の視点から考えると、もし尾長を放置すれば、ゴールドが貯まるのは早くなるし、またもや背後からねちねちと妨害を受けるかもしれない。


 だが確実な最善策は作戦の損切りをして、今すぐバトルアーティストに標的を切り替えることだ。


 しかし生き物は、費やした時間に見合った成果を得られないと、目の前の標的を追い続けてしまう習性があった。

 

 小此木学園の塩沢は、マウスを握りつぶしそうなほど力んだ。


『あいつのスキルがクールダウン中のうちに倒しておくぞ。いざバトルアーティストを倒すときに妨害されたら鬱陶しいからな』


 塩沢の仲間である希子が疑問を返した。


『本当にいいの? わたしたち、バトルアーティストを潰したいんでしょ?』


『そうなんだが、そうなんだが』


 塩沢はキャラクターの操作を止めてしまうほどに葛藤した。


 小此木学園の練習不足が如実にあらわれていた。もしたくさんの練習を積んでいれば、作戦遂行のために必要な取捨選択を間違えないからだ。


 これを別の言葉に言い換えれば、アナリストの馬場の分析通り、アドリブに弱いのである。


 尾長は、ボイスチャット機能を利用して、さらに敵を挑発した。


「作戦の優先順位を間違えたな。小生を無視してバトルアーティストをひたすら狙えばよかったんだ」


 対立する相手から事実の指摘を受けたら、ついカッとなってしまうのが人間だろう。


 塩沢は、苛立ちのあまり、本音を暴露した。


『うるせぇな。バトルアーティストを潰せればチームが負けたってかまわなかったんだよ。でもお前が邪魔しておかしくなったんだろうが』


「チームが、負けても、かまわないだって……?」


 尾長は、ほんの一瞬だが、きょとんとした。チームが負けてもかまわない、という思考回路を理解できなかったからだ。


 尾長は、バスケットボール部からeスポーツ部にいたるまで、チームメイトと一緒に厳しい練習をこなし、手強いライバルたちと戦ってきた。


 その中に、負けてもいい試合なんて一つもなかった。


 信条の違いなんて月並みな言葉で表せないほど、尾長と小此木学園のメンバーたちは違う生き物であった。


 そんな尾長の心のほころびは、トリックスターの動きに影響した。


 ほんの一瞬だけ棒立ちになったのだ。


 この動きは、尾長本人の意図しない釣り餌になった。

 

『敵の目の前で棒立ちだと? とりあえずお前は潰しておく!』


 塩沢のマジシャンは、範囲攻撃スキル〈ファイヤーストーム〉を発動した。


 いや正確には発動してしまった、である。


 バトルアーティストは魔法防御ゼロなのだから、魔法ダメージを与えられるスキルを温存しなければならなかった。


 だが塩沢は、目の前にぶら下がったニンジンに食いついてしまった。


 精神の乱れはプレイングの乱れである。毎年彼らが本選に出場できても、一回戦で負ける理由でもあった。


 こうして直近から放たれた炎の竜巻は、尾長のトリックスターを飲み込んで、魔法ダメージを与えた。


 尾長のトリックスターは手痛いダメージを受けて瀕死になった。だが大量のHPと引き換えに、魔法ダメージを与えられるスキルを一つ奪えたと考えれば、最高の仕事を果たしたといえるだろう。


「運も実力のうち、というやつだ」


 尾長は満足していた。だがトリックスターが瀕死になったこともまた事実である。逃げるためのスキルも残っていないし、すでに小此木学園のメンバーとロボット歩兵に包囲されていた。


『さんざん、てこずらせやがって』


 さすがの彼らも最後の最後で歯止めが効いたらしく、尾長を倒すためにスキルは使わなかった。


〈東源高校 トリックスター・ダウン〉


 尾長は、この試合で最初にダウンしてしまった。だがトリックスターとしてやれる仕事はすべてこなしたし、むしろ想定以上の成果を出せていた。


 尾長は、ただ敵陣地を逃げまわっただけではなかった。


 ロボット歩兵の配置パターン、小此木陣地の金鉱の残り具合、敵プレイヤーたちのスキルのクールダウン状況。


 東源高校にとって有益な情報をたくさん拾ってきた。


「この情報があれば、みんなが逃げ回るのも楽になるな」


 尾長はキーボードのファンクションキーを押して、東源高校のチームステータスを調べた。


 尾長がダウンした時点で、4000ゴールドまで増えていた。


 残り1000ゴールドで、目標金額である5000ゴールドまで増えるわけだ。


 つまりあと一つ金鉱を掘れば、バトルアーティストはレベル最大になる。


 そのとき全世界は、俊介の超常現象みたいな反射神経の目撃者になるだろう。

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