第25話 薫と未柳の特訓 ドッジボールの亜種

 ドッジボール。誰もが知っている球技だ。二つのチームに分かれて、ボールをぶつけて戦う。ボールに当たった選手はコートの外野に出る。敵チームの選手を全員外野に送れば勝利である。


 小学校の昼休みでは、大人気のスポーツだ。ただし運動が苦手な子にとっては、悪夢の時間だったに違いない。


 そんな運動音痴を悩ませてきた球技を、今回の特訓用に改造した。


 メイド服の似合う薫は、正面から飛んできたボールだけを受け止める。


 お笑い生徒会長の未柳は、外野から飛んできたボールだけを受け止める。


 自軍コートに落下したボールは、必ず薫が投げ返すこと。未柳は手を貸してはいけない。


 この特訓の恐ろしいところは、二人の後ろに尾長が棒立ちしていることだ。


 もし薫ないし未柳がキャッチをミスしたら、元バレーボール部の高速サーブが尾長の膝にぶつかるかもしれない。


 未柳も元バレーボール部だから運動が得意だし、気質的にも問題なかった。


 だが薫は問題だらけであった。


「ぼく、こういうの、本当にだめぇ〰……」


 薫は、すっかり怯えていた。しかもメイド服のまま震えているため、弱々しさが倍増していた。まるでサバンナで孤立したシマウマの子供である。


 あまりにも不憫だから、俊介は薫に助け船を出した。


「もし本当に無理そうなら、断ったほうがいいですよ。他にも弱点を克服する方法はあるかもしれませんし」


 俊介は、この特訓を地味に敬遠していた。薫のメンタルを追い詰める意図は見え見えだったし、なによりも尾長の膝が心配だった。いくら尾長自身が企画したとはいえ、正気の沙汰ではないだろう。


 しかし薫も、なにやら固い決意があるらしく、コートから逃げようとはしなかった。


「で、でも……来週には五人編成で大会が始まるじゃない。ぼく、自分の弱点はわかってるんだ。激しい戦いになると逃げ腰になるって。だから弱点を克服して、本選を勝ち抜きたいんだよ」


 薫は、メイド服のスカートをギュっと握りながら心情を語った。しかしその声音は蚊の鳴き声みたいに細かった。よっぽどドッジボールが怖いらしい。


 アナリストの馬場は、薫の哀れな姿を見かねたらしく、そっと耳打ちした。


「薫先輩。僕もドッジボール苦手なので、もし本当に嫌なら一緒に反対しますよ」


 馬場は小太りで運動も苦手である。だから薫の気持ちがわかるんだろう。


 だが薫は、首や肩に力を入れながら、拒絶した。


「馬場くん。ぼくは……仲間のために、弱点を克服してみたいんだ」


 薫の決意は踏みしめた土のように固いらしい。おそらくチームの足を引っ張りたくないんだろう。彼の仲間を思う気持ちは、俊介にも伝わっていた。


 だから俊介と馬場は、他の上級生に聞かれないように小声で作戦会議した。


 その結果、馬場の分析力を活かして、薫を手助けすることになった。


「この特訓におけるボールの恐怖感を和らげる突破口があるはずです。僕はデータ分析が得意なので、お手伝いしますよ」


 馬場は、ノートパソコンの演算機能と、インターネットの豆知識を駆使して、特訓の解析を始めた。


 そんな一年生コンビの涙ぐましい助力の横で、お笑い生徒会長の未柳は毎度のごとく暴走していた。


「ドッジボールのボールは、どっちだ? なんつってー‼」


 真剣な試合中ではないため、寒いオヤジギャグが復活していた。eスポーツ部の部員だけではなく、元バレーボール部の仲間たちも、あまりもの寒さにぶるっと震えていた。


 だが未柳本人はオヤジギャグが気持ちいいらしく、暴走モードに拍車がかかってきた。


「よっしゃー、おもしろいオヤジギャグでエンジン全開、尾長部長はあたしがまもーる! どっからでもかかってこーい! うりゃああああ、でゃああああ、げやぁああああ!」


 どうやら元気が有り余っているらしく、グラウンドを三周ぐらい走り込んで獣みたいに吼えた。彼女の弱点である力の空回りの発露である。今は試合中だから問題ないが、本番でこれをやられたら作戦が破綻してしまうだろう。


 俊介は、額に手を当てて、うーんっと唸った。


「座禅の効果が出ない生徒会長だもんなぁ……でもまぁ、あれだけ気合が入ってれば、少なくとも尾長部長を守るのは簡単だ」


 俊介の感想に反応して、薫は頭と手をじたばた振った。


「ふぇぇ〰、未柳さんの行動は、参考にならないよ〰」


 参考という言葉に、今度は尾長が反応した。


「つまり常識人がお手本を見せると、やりやすくなるわけか。俊介くん、ちょっと小生の前に立って、ボールをキャッチしてくれ」


 指名された俊介は、ごきごきと手足を軽く動かした。


「本当に大丈夫なんですか、尾長部長。どんな技法だって絶対はないんですよ。もし俺がボールを取りこぼしたら、バウンドして膝に当たるかもしれないのに」


 俊介は、真剣な顔で尾長を問いただした。彼の膝がまずいことは一年生でも理解していた。日常生活で階段を使うだけで痛くなるなんて、後遺症としてはかなり重いのである。今は若いからどうにかなっているが、中高年になってから相当苦労するだろう。


 しかし尾長は、さっぱりした顔で、胸を張った。


「なぁに、小生は仲間を信じて棒立ちさ」


 いかにも尾長らしい生き様であった。だがそんな危なっかしい人生論を隣で見守ってきた人物にとっては、我慢ならなかったらしい。


 加奈子は、赤く染めた髪を振り乱すほど、強い口調で反対した。


「尾長くん、絶対に油断してる。その膝、かなり悪い怪我なのに」


 加奈子は保健室から担架を持ちだしていた。もし尾長の膝が悪化したら、すぐに保健室に運ぶためだった。


 俊介と馬場みたいな一年生コンビですら、担架だって大げさではないだろうな、と思っている。


 ならば尾長の怪我をリアルタイムで見聞きした三年生たちは、担架以前に特訓の内容に反対だった。元バレーボール部の女子たちは、野球部の備品倉庫を指さした。


「やっぱさ、野球部からピッチャー用の防護ネットを借りてきたほうがいいんじゃないの?」


 しかし尾長は突っぱねた。


「それだと薫くんが安心してしまって、精神面の改善にならないだろう?」


 俊介は、尾長から焦りの匂いを感じた。どうやら彼は人生初の本選出場を果たしたことにより、少々冷静さを失っているらしい。来週からの試合はトーナメント方式だから、一敗すれば即敗退だ。その時点で全国の夢は閉ざされて、彼は引退となる。


 おそらく親友である西岡の夢を背負ったことも関係しているんだろう。


 だからといって、彼は自らの膝を蔑ろにしていいわけではないはずだ。


 そう思ったのは俊介だけではなく、加奈子もだった。彼女は尾長の肘をつかんで、地蔵みたいに動かなくなった。


「安全策を考えないかぎり、わたしは一歩も動かない」


 この場にいる誰もが賛成だった。どうやら尾長は折れたらしく、きょろきょろと周囲を見渡した。


「そこまでいうなら、この廃棄予定の画板を使うか」


 尾長は、学校のゴミ倉庫箱から、壊れた画板を拾ってきた。真ん中に亀裂は走っているが、ボールから膝を守る板と考えれば、十分な強度を保っているだろう。


 防御策が講じられたことで、ようやく加奈子は手を離した。


「これならいい。あと眼鏡も外しておくように。それは大事なものでしょ?」


 尾長は、まるで降参したように両手を挙げた。


「小生の負けだ。加奈子くんが正しい」


 ついに特訓の準備は整った。まずは俊介がキャッチのお手本を見せるところからだ。


 さっそく元バレーボール部たちは、そーれっとサーブを打ち込んだ。激しい打球音と風の唸る音。さすがに全国常連の東源高校バレーボール部で練習していただけあって、軍隊の砲弾みたいに鋭い弾道だった。


「こんなに早いのか、バレーボール部のサーブは」


 俊介は、運動部の鍛錬の成果に驚きながらも、類まれな反射神経によって弾道を読みきっていた。


 まるでそこにボールが飛んでくることを予言していたように立ち位置を微調整すると、お腹で抱えるようにしてキャッチした。


 あまりにも綺麗な動きに、元バレーボール部の女子たちは怪訝な顔をした。


「ねぇ一年生の君……今、わたしたちがサーブ打った瞬間、すでにボールの飛んでくる位置で構えてなかった?」


「そりゃあ、見えましたから。フレーム単位で」


 フレーム単位。つまりサーブを打つ瞬間から、実際にボールが飛んでくるまでの光景を、機械で計測するほどの小刻みな単位で認識していたという意味だ。


 そんな俊介の化け物じみた神経回路に、元バレーボール部の部員は唖然としていた。


「うそでしょ。あなたの動体視力、どうなってるの……?」


「まぁ俺のことはもういいじゃないですか、今回の特訓の主役じゃないし、って主役の薫先輩大丈夫ですか!?」


 俊介は、薫の肩をつかんで軽く揺さぶった。なぜなら薫は真っ青な顔でガクガクと震えていたからだ。どうやら高速サーブを目の当たりにしたことで、恐怖が爪の先まで伝染してしまったらしい。


「むり、むり、むり。こんなの当たったらしんじゃうよぉ……」


 今にも失禁しそうなぐらい、薫はボールを怖がっていた。


 やはり運動が苦手な子にとって、ドッジボールは鬼門なんだろう。だが運動が得意な子にとっては、カンフル剤である。


 未柳はイノシシみたいに興奮していた。


「っしゃー! 部長はあたしがまもーる! 外野、いつでもこいやー! おらおらおらー! さっさと投げてこんかーい!」


 チンピラの煽りみたいになっていた。だが外野いる女子も、そもそも未柳と一緒にバレーボール部で汗を流した関係だ。根元のノリが一緒であった。


「未柳、覚悟せぇやぁぁあああ!」


 外野の女子も、全身全霊の力でボールを投げた。だがもう尾長を狙っていなかった。完全に未柳を狙っているのである。どうやら東源高校のバレーボール部は頭に血が上りやすいらしい。


「もっとこいやぁ!」


 未柳は気合十分でボールをキャッチすると、なぜか外野に投げ返した。特訓どころかドッジボールのルールですら破綻していた。


 しかし頭に血が上った元バレーボール部同士は、もう止まらない。完全に一騎打ちの雰囲気になって、何十回とボールをぶつけあった。


 尾長は、ふーっと重いため息をついた。


「こういうところを直すための特訓なのに、なぜ我慢できないのか……」


 しかも外野の子と未柳がチンピラみたいな怒声をあげながらタイマンドッジボールをするせいで、ますます薫は震えあがった。


「むり、むり、むり。こんな世界ついていけないよぉ……」


 薫と未柳の様子を比較して、俊介は苦笑いした。彼らは正反対の気質である。だが弱点は完全に同じであり、せっかく磨いた腕前をメンタルの乱れによって発揮できないことである。


 俊介は尾長に質問した。


「尾長部長、本当に大丈夫なんですね? あの二人だけに守らせて」


「信じるさ、仲間だからね。さぁ今度こそ本番を始めようか、薫くんは正面からのボールだけをキャッチ。未柳くんは外野からのボールだけをキャッチ。こちらのコートに落ちたボールは、薫くんだけが投げ返すこと。それじゃあはじめ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る