第22話 たとえ勝率1%以下であっても
西岡は、迂回路を進んで、敵の本拠地を目指していた。だが心中は穏やかではなかった。さきほどの集団戦における大失敗が何度もリフレインしていた。
未柳の大根役者っぷりは二重の罠だったらしい。わざとらしい演技を披露してから、あえて捨て駒になることで、この進撃ルートは安全であると思い込ませたわけだ。
元々西岡たちは、もしかしたらこのルートには罠があるのではないかと疑っていたからこそ、二重の罠に騙されてしまった。
ハンターの〈スカウティング〉の使いどころを間違えたとも言える。あのルートに入る前に、ハンターの〈スカウティング〉を使用して、待ち伏せがないか調べていたからだ。
しかし俊介と尾長の隠れた茂みはスキルの対象範囲外だった。
逆に考えれば、俊介は対象範囲外になるほど遠くの茂みから、絶妙な角度で飛び込んできて、ウィッチの奥義〈ソウルバインド〉を決めたことになる。
完全にメジャーリージョンの距離感覚だった。
しかもそのトッププロの距離感覚を信じた尾長もすごかった。もし俊介が行動阻害を外すと考えていたら、スキルを撃つのをほんの一瞬だけためらうはずだ。
だが尾長はためらわなかったし、ためらわなかったおかげで三つの範囲攻撃スキルを綺麗に当てられた。
東源高校は、とてつもない速度で成長していた。もはや桐岡俊介の個人技がどうのこうのではないのである。あきらかにチームとして強くなっていた。
西岡は数分前の自分たちを嘆いた。この結末が恐ろしいから、かなりのリソースを割いて、尾長のマジシャンを倒そうとした。
だが失敗した。
後悔先に立たず、という熟語が頭に浮かぶ。だがもう重里に勝ち筋が残っていなかった。おそらく勝率は一パーセント以下である。
しかし、諦めて降参するなんてかっこ悪いだろう。
だから西岡は最後まで戦う。なにがなんでも最後まで諦めない姿勢が大事だ。部活動で得られるものは、ただひたすら勝率を上げることではなく、たとえ負けるとわかっていても立ち向かう勇気だ。
だがしかし、すでに四番ファースト真田と、大食いキャッチャー吉岡は、涙ぐんでいた。言葉にならない言葉をもらしながら。
だから西岡は、二人を励ました。
「どうしたんだ真田、吉岡。まだ諦めるには早すぎるだろ。最後まで戦わないと、尾長たちに失礼だぞ」
四番ファースト真田は、ホームランを量産するスラッガーだったからこそ、こんなことを言った。
「でも西岡ぁ……【MRAF】は野球と違って、ホームランがないんだ」
ホームラン。要は一発逆転要素だ。九回裏ツーアウトで十点差がついていようとも、そこからホームランを連発すれば勝てるのが野球だ。
しかし【MRAF】には、ホームランに該当する技はない。いや正確には一つだけある。
バトルアーティストだ。
だが日本国内でバトルアーティストを使いこなせるのは、桐岡俊介だけである。
もちろん重里高校に、そんな逸材はいない。
ないものねだりをしてもしょうがないから、西岡は仲間たちに決意を伝えた。
「たとえ勝率一パーセント以下であっても、オレは最後まで諦めないぞ。でないと部員たちみんなの努力を否定することになる」
真田と吉岡だけではなく、小ホールに同行していた仲間の部員たちも涙ぐんでいた。アナリストもいたし、本選に出場予定の二人の選手もいたし、二年生と一年生の部員もいた。
西岡の心に、申し訳なさがあふれた。もし自分に優れた指導力があったら、彼らを泣かせることなく、本選出場を決められたはずなのにと。
だからせめて、仲間たちに勇気を示そうと思った。
たとえ敗北するとわかっていても、最後まで諦めないで戦うことから得られるものがあるのだと。
● ● ● ● ● ●
重里高校が迂回路を使って本拠地を目指している間、東源高校は最短距離で本拠地に帰還していた。
これより本拠地防衛戦である。
今までプレイヤー同士の交戦ばかりで、本拠地防衛戦をやらなかったので、触れなかった仕様がある。もっと丁寧に語るならば、たとえ触れなくてもゲームの進行に影響のない仕様だろうか。
MOBAやRTSみたいな系統のゲームでは、本拠地などの拠点に帰還するとHPが徐々に回復する仕様だ。
だが【MRAF】では回復しない。
あくまで回復手段はキャラクターのスキルのみだ。
となれば、某有名MOBAみたいな三十分から四十分ぐらいのロングゲームは発生しない。【MRAF】は平均して十分で決着がつく。ゲーム終盤までもつれ込んでも十五分から二十分である。
この仕様を前提に考えると、回復スキルの有無が終盤の分かれ目になることがわかるだろう。
回復スキルを入れれば、長期戦に有利だ。
回復スキルを入れなかった場合、その分瞬間火力が増えるから、短期決戦に向いている。
重里高校のキャラクター構成は、回復スキルを捨てて、防御機能を追加した。だから重里列車を組みあげて、本拠地破壊を狙った。
それに対して東源高校は、ウィッチの行動阻害およびパッシブスキルによる回復手段を選択した。
もう一度ウィッチのパッシブスキルについて触れておくと、敵の注目を集めるほどに自分自身と周囲の仲間のHPを回復するというものだ。【MRAF】は一人称視点のゲームだから、本拠地で敵プレイヤーを待ち伏せれば、比較的簡単に敵の注目を集められる。
つまりウィッチは本拠地防衛戦に向いていた。そう考えると、尾長が花崎高校のキャラクター構成を模倣したことは、実に正しい選択であった。
とはいえ、もはや有利不利を語る意味もないだろう。東源高校の圧倒的な優勢であり、重里高校にはリソースが残っていなかった。
あとは西岡の健闘をたたえるために、全力で迎撃するのみであった。
尾長は、護衛に連れていたワニ型歩兵たちを、本拠地の防御陣形に組み込んだ。未柳がダウンして火力が落ちた分を歩兵で補ったのだ。だがゲーム中盤以降になると、歩兵の火力が頼りないものになるので、過信は禁物である。
そうやって最後の決戦に向けて準備していると、すでにダウンしている未柳が謝罪した。
「ごめんね、二人とも。あんなどうしようもないミスをして」
彼女は柄になく落ち込んでいた。伊達眼鏡の奥で、わずかに瞳が潤んでいた。よっぽど力の空回りによるミスが心の傷になっているようだ。
「またたくさん練習しよう。きっと新たな解決方法が見つかるはずだ」
尾長は、未柳の可能性を信じていた。バレーボール部時代の練習風景も見たことがある。とても優れた選手であった。あくまでも本番で力みすぎて失敗するだけで、ポテンシャルはあったのだ。
きっと【MRAF】でも、力みさえ克服できれば、ポテンシャルを発揮できる日がくるだろう。
さて俊介は防衛戦に備えてなにをしているかといえば、渋い顔で音の定位を確かめていた。
「西岡先輩は、北西から突っ込んできます。うちの監視用歩兵の視界にも引っかかっているので、もはやルートを隠すこともできません」
彼の表情は愁いを帯びていた。たとえ勝利が目前であっても、倒す相手が親しい学校だと複雑な気分になるわけだ。
尾長も似たような気持ちだ。まさかこんな形で親友と決着をつけることになるとは思わなかった。てっきり最後の最後まで接戦かと思っていた。だが一つ前の集団戦で実質の決着がついてしまった。
「たとえ一方的な勝利であろうと手加減はしない。それがスポーツマンシップだな」
尾長は、残っていたゴールドを、すべてマジシャンに注ぎ込んだ。これによりマジシャンのレベルは一気に五まで上がって奥義を覚えた。
マジシャンの奥義は〈エンシェント・ブリザード〉だ。名前は魔法っぽいが科学兵器である。衛星軌道上から無人兵器が降下してきて、絶対零度の爆弾を投下。着弾地点から円形に爆風が広がって、対象範囲内の敵に特大の魔法ダメージを与える。
名前と見た目こそ派手だが、とにかく威力の高い範囲攻撃スキルでしかない。だが回復手段の少ないゲームでは、とてつもない脅威になることも忘れてはいけない。
「確実に勝つんなら、俺がウィッチのレベル三スキルを撃ち込んでから、マジシャンの奥義で決まりでしょう」
俊介の覚えているスキルは、さきほどの集団戦で利用したばかりなので、ほとんどクールダウン中だ。唯一温存してあるのは、レベル三で覚える〈魔女のおしおき〉だけだった。
いわゆる対象指定スキルであり、対象の敵をマウスで選んでクリックした瞬間に効果が発動する。
どんな効果かといえば、対象の敵に魔女のツボをすっぽり被せて、視界を奪いながら、スロウ効果も与えて、毒ダメージも与える。今まで使ってきたウィッチのスキルを一体分に縮小したものだと思えばいい。
このウィッチの〈魔女のおしおき〉を撃ち込んで行動の自由を奪ってから、マジシャンの〈エンシェントブリザード〉を叩き込む。すでに大ダメージを受けている重装歩兵は、抵抗する間もなくダウンするだろう。
尾長は、親友の最期を見届けるために、北西の方角をじっと見つめた。
がしゃりがしゃりという鋼鉄の足音を打ち鳴らして、重装歩兵が姿を現した。鎧からも大盾からも悲壮感があふれていた。だが本物の勇気を背負っていた。彼はまだ諦めていないのである。たとえ一パーセント以下の勝率であろうとも、本拠地を割れば勝てるなら、その可能性にかけて全力投入するわけだ。
尾長は、西岡に向かって告げた。
「勝負だ、西岡くん」
● ● ● ● ●
西岡は、東源高校の本拠地だけを見ていた。
重里高校に残された手段は、手持ちのゴールドをすべて重装歩兵に注ぎ込んで、本拠地に突撃することだけである。
一パーセント以下の勝機とは、本拠地の耐久力の低さを意味していた。
本拠地の耐久力は、序盤から中盤までなら頼りがいがあるのだが、中盤以降になると、もはや本当の意味でドーナッツになるほど脆かった。そこそこ火力の高いキャラがスキルと通常打撃を連打すれば、ほんの数秒で割れる。
残念ながら重装歩兵は防御機能に特化した性能なため、火力はそこまで高くない。だがレベルが上昇すれば、そう悪くない攻撃力になる。
それに奥義も覚えた。〈竜王のごとき城塞〉である。この奥義を使用すると、一定時間だけ無敵になる。しかも自分だけではなく、仲間も対象に選べた。
だが、もう西岡しか生き残っていない。この奥義は、仲間がいるから真価を発揮するスキルだった。
しかし西岡は後ろを振り返らないと決めた。仲間たちに勇気を示すと覚悟した。だから懸命な突撃を開始した。
「あとは、本拠地に突撃するのみだ。そうだろう、尾長」
視界内に東源高校の本拠地が見えていた。その周りでワニ型歩兵たちが防御陣形を形成していた。いくら中盤以降は火力が物足りなくなるとはいえ、あれだけ数が揃ってしまえば素直に脅威であった。
しかしどれだけ数を揃えようと、西岡の覚悟は揺るがない。
だがそんな西岡の生真面目さを翻弄するかのように、視界の外から俊介のウィッチが突っ込んできた。
『西岡先輩、俺たちは本選に行きます』
俊介は〈魔女のおしおき〉を発動した。
対象指定スキルなので、スキルを発動した瞬間に、西岡は魔女のツボにすっぽり覆われた。視界をツボの模様で埋め尽くされて、なにも見えなくなる。スロウ効果と毒ダメージまで突き刺さった。
「いくら重装歩兵の奥義を使っても、毒ダメージしか防げない」
あくまで〈竜王のごとき城塞〉はダメージに対して無敵になるだけであって、状態異常を防げるわけではない。視界の封鎖とスロウ効果は無効化できなかった。
だから西岡は、奥義を使わずに前進を続けた。奥義を使わなければならないのは、防御陣形を形成するワニ型歩兵たちの攻撃をくらう瞬間であった。それ以外の場面で使ってしまえば、本拠地に到達する前に、奥義がクールダウンに入ってしまう。
そうなったら一パーセント以下の勝率ですら捨てることになってしまう。
だがまるで詰将棋みたいに、尾長のマジシャンは奥義〈エンシェントブリザード〉を発動した。
『西岡くん。君の意志は、小生たちが受け継ぐ』
衛星軌道上から無人機が降下してきた。無機質な形のドローンである。この飛行物体は胴体から一発の爆弾を投下した。不要な脚色を排した実用一点張りの爆発物であった。そんな爆弾の着弾地点には、魔女のツボを被ってなお突進を継続する重装歩兵がいた。
彼を中心にして、絶対零度の爆風が吹き荒れた。
特大の魔法ダメージをくらいながら、西岡は考えた。おそらく尾長にはわかっていたんだろう。西岡が最後まで勝つことを諦めないからこそ、本拠地に接近するまでは絶対に〈竜王のごとき城塞〉を使わないと。
だから俊介の〈魔女のおしおき〉で視界を封鎖することで、マジシャンの奥義〈エンシェントブリザード〉が発動する瞬間を隠し通した。
その目論見は的中だった。西岡はなんの抵抗もできずに、爆風の中心地で冷気と破片に切り刻まれるばかりだった。
西岡の意識は、重装歩兵のHPゲージに向かっていた。もう空っぽである。情け容赦なくシステムメッセージも表示されていた。
〈重里高校 プレイヤーキャラオールダウン 東源高校の勝利です〉
西岡は、なぜかマウスとキーボードから手を離せなかった。頭の中には、いくつもの妄想と後悔が渦巻いていた。今日負けてしまえば部活動は引退で、田舎の祖父宅へ行くためにすべての時間を費やすようになる。
学生時代は終わり、社会人への第一歩が始まる。
だがその前に、本選出場だけではなく、全国大会にも出場して、優勝したかった。
野球ではなにも成せなかったが【MRAF】ではやれるのではないかと考えていた。
だが、この手をマウスとキーボードから離したら、その瞬間にすべてが終わる。まだ本選出場の夢も叶えていないのにだ。
そんな西岡の手をマウスとキーボードから引きはがしたのは、重里高校eスポーツ部の仲間たちであった。
「ありがとう西岡、最後までがんばる姿を見せてくれて」
西岡は、肩から力を抜いた。同時に涙があふれてきた。ようやく尾長に完敗したことを自覚した。
悔しかった。とても悔しかった。この三年間が終わってしまった。もっと質の良い練習ができていたら、もし本番でもっとうまく立ち回れていたら、もしもっと自分に才能があったら。
いくつものネガティブな言葉が浮かんできたが、それらを口に出すのはあまりにもかっこ悪いため、西岡は仲間たちと抱き合うしかなかった。
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