第3話 美桜との再会

 東源高校eスポーツ部のメンバーは、私立黄泉比良坂に到着した。


 黄泉比良坂は中高一貫の進学校だ。進学先は東大・京大当たり前。海外の一流大学だって選択肢に入る。ただし部活動は極端な実績を持っていて、運動部は壊滅しているが、文化系は日本最高峰であった。だからeスポーツ部が全国大会常連であることも自然の成り行きであった。


 そんな賢さに全振りした学校の校舎を、俊介たちは進んでいく。


 金銭と技術を詰め込んだ最新鋭の校舎である。業務用のエアコンで下駄箱や廊下やトイレまで温度を調節している。安全で静かなエレベーターもついている。学食は大企業の社員食堂みたいに洗練されていた。


「尾長部長、この学校って、大富豪たちが余ったお金を見せびらかすために作ったんじゃないですか?」


 俊介は校舎の柱に手を触れた。ただの柱の壁紙ですら庶民には手が出せない高級品である。完全に嫌味としか思えなかった。


「同感だね。その余ったお金を庶民に分けてほしいぐらいだ」


 尾長は、学校案内の資料が並んだ本棚を手の甲で叩いた。本棚に付属した説明文によれば、スウェーデンから輸入した由緒正しい本棚らしい。


 どうやらこの学校は金銭感覚が狂っているようだ。


 そんな金満学校の案内看板によれば、eスポーツ部の部室は四階にあるという。


 俊介が運動をかねて階段で四階まで昇ろうとしたら、尾長が止めた。


「俊介くん。実は折り入って頼みがあるんだが、小生と行動するときは、なるべくエレベーターやエスカレーターを使ってほしい」


「それは構いませんが、なにか事情があるんですか?」


「お恥ずかしながら、膝に爆弾を抱えていてね。階段がつらいんだ」


 尾長は照れ臭そうに左足の膝をさすった。


「なるほど、膝は大変だ。もしかして怪我が原因ですか?」


 俊介はエレベーターの昇りボタンをぽちっと押した。


「ああ、元々バスケの特待生として東源に入学したんだがね、試合中にゴールポストの支柱に激突してしまった。あっけないものさ、たった一度の事故で膝がダメになって、選手生命が絶たれたんだよ」


 尾長は、膝をさすってから、やれやれと肩をすくめた。


「っていうか、特待生が負傷して引退? それ、かなりまずいんじゃ……?」


「そう、まずかった。だから特待生を維持するために、ちょうどいい部活動はないかなと思ったら、eスポーツがあった。元々小生はRTSが好きでやりこんでたからね。でも当時の東源にeスポーツ部はなかったから、自分で立ち上げたんだよ」


 RTSとは、リアルタイムストラテジーの略称だ。名前の通り、リアルタイムで進行する戦略ゲームであり、反射神経よりも知力が試される。インテリ向けのゲームであり、一般的なプレイヤーは敬遠しがちであった。


 しかし【MRAF】の重大要素の一つであり、RTSを経験しておくことで有利に戦える。尾長にしてみれば、膝を痛めて特待生が危うくなったとき、RTSの経験が命綱になったわけだ。


「苦労人だったんですね、尾長部長」


 俊介は、尾長の膝をまじまじと見つめた。


「そうだなぁ。一年生の後期は腐りもしたが、三年生になった今では良い人生経験だと思えるようになったさ。おかげさまで部員は五人もいるし、なにより【MRAF】が楽しくてしょうがない」


 尾長は左足の膝をリズミカルに叩いた。


 俊介は尾長の生き様に感銘を受けた。もし正門で勧誘するときに、膝に関する裏事情を話せば、俊介をeスポーツ部に引っ張り込むのは容易だったはずだ。しかし彼は部員不足で同好会扱いという公の事情しか語らなかった。

 

 つまり尾長は公正な人物である。


「俺も【MRAF】が好きですよ。尾長部長と同じぐらい」


 俊介は、尾長を讃えるように、自らの胸をドンっと叩いた。そんな誇らしい音と連動するように、エレベーターのカーゴが一階に到着したので、東源高校eスポーツ部のメンバーは、四階に上がった。


 ● ● ● ● ● ●


 東源高校eスポーツ部は、エレベーターで四階に到着した。


 学校の校舎だから、いくらお金をかけていても、構造とパーツは他の階層と変わらない。だが他の階と違って溶鉱炉みたいな激しい熱がこもっていた。空調設備は正常に稼働しているはずなのに、なぜか俊介の肌に汗が浮かぶ。


 物理的な熱ではなく、精神の熱だ。


 ならば熱源は、どこにあるのか?


 俊介は学んだ。長年同じ時間を過ごしてきた相手と三年ぶりに再会するとき、最初に認識するのは体臭と足音であると。


 まだ美桜の姿はこの目で見ていない。だが背後に彼女がいるとわかっていた。


 干したばかりの洗濯物に高山植物の花弁を混ぜたような匂い。


 武道を習得した人物特有の油断を消した足音。


 その二つが、俊介の背後でぴたりと止まった。


「ここにいるということは、東源高校のeスポーツ部に入ったのか、俊介」


 気高い雌ライオンみたいな声が、俊介の背中に染み込んだ。三年ぶりに聞いた声なのに、俊介の鼓膜は響きを覚えていた。体臭、足音、声。この三つがそろったら、LM時代の厳しくも楽しい練習の日々を思い出した。あのころは俊介も美桜も真っすぐだった。まさかラスベガスであんな醜態を晒すことになるとは誰も考えていなかった。


 だがもう時間は戻らない。ケンカ別れしてチームが解散した事実も消えない。


 俊介は、ついさきほどまで彼女のことが本気で嫌いだった。人間としても選手としても。だが尾長のおかげで、美桜に対する敵意を別の感情に昇華できた。


 倒すべき目標だ。


「美桜を倒すために、俺は競技シーンに帰ってきた」


 俊介は返事をしながら振り返った。


 十七歳に成長した美桜は、不動明王みたいな迫力で仁王立ちしていた。元々大人っぽい女の子だったが、香り立つような色気に黒曜石のような鋭さを上乗せしたため、

実用一点張りの日本刀みたいな凛々しい淑女になっていた。


「私を倒してどうする。倒すべきはEUリージョンのF2イースポーツだろうが」


 美桜は、自慢の黒髪を見せびらかすように、さらっと手のひらでかきあげた。まるで竪琴が鳴るように黒髪が揺れた。三年前は背中まで届く黒髪だった。それが今では膝の裏まで届く黒髪になっていた。どうやら三年前からずっと伸ばしているらしい。


 彼女の髪が当てつけのように伸びていたことで俊介は悟った。どうやら美桜も三年前を引きずっているようだ。ならば部活動を通して彼女と対決することは、もはや宿命だろう。


「お前を倒して自分の正しさを証明してから、F2を倒しにいく」


 俊介は、美桜を倒さなければ、前に進むことができない。かつてのチームメイトだからこそ、ケジメが必要だった。


「正しさ? LMは、試合中に空中分解したせいでEUの一流チームに圧倒的大差で敗北した。この結果のどこにも正しさなどない」


「勝ち負けじゃない。俺はお前の駒じゃなくて一人の人間であることを証明する」


「チームメイトに自分の作戦を完璧にこなしてもらいたいことが、なぜ駒扱いになる」


「なにが完璧だ。穴だらけの作戦を作ったくせに」


「個人技に頼りがちな脳筋が、私に文句をいうんじゃない」


 俊介と美桜の口論が、LM解散時みたいにヒートアップしかけたとき、尾長は穏やかな声で仲裁した。


「まぁまぁ二人とも落ち着いて。今日は両校の伝統に則った練習試合だし、場外乱闘は今後の選手人生を考えても印象が悪いと思うよ」


 至極まっとうな意見に、二人の口論は中断した。


 俊介は目をつぶって反省した。これから練習試合なのに昔なじみと口論してしまうなんて、東源の部員にも黄泉比良坂の部員にも失礼であった。


 美桜も東源高校の部員たちに頭を下げた。


「すまなかった。部長の私がこれでは、他の部員に笑われてしまうな。今すぐ練習試合のセッティングを始めるから、しばし廊下で待っていてくれ」


 美桜は沈痛な面持ちでeスポーツ部の部室に引っこんでいった。


 彼女の異様な姿に、俊介は瞬きを過剰に繰り返した。


「あのプライドの高い美桜が頭を下げたうえに、あっさり引き下がる? いったいなにが起きてるんだ?」


 俊介の知っている美桜の姿と重ならない。もはや別人である。


 だが尾長は正反対の意見だった。


「小生が去年から接してきた天坂美桜という人物は、正々堂々とした武人だったよ。むしろ俊介くんと激しく口論する姿に驚いたぐらいだ」


 どうやら尾長だけではなく、他の上級生部員も同じ意見らしく、しきりにうなずいていた。


 俊介は狐に化かされた気分になった。


「ならどうして美桜は俺にだけあんな当たり方をするんです? 昔からずっとあんな感じなんですよ」


 俊介と美桜が初めて出会ったのは小学生のときだった。小学生向けのeスポーツ大会があって、ほとんどのタイトルで俊介と美桜が優勝をかけて争った。一騎打ちもやったし、チーム戦もやった。年がら年中競り合った相手だから、どういう人物なのかよく知っていた。


 高飛車で他人を見下しがち。自分の才能に絶対の自信を持っていて、凡人に合わせることを良しとしない。なにかと俊介と張り合っては、対抗心を剥き出しにしていた。


 そんな子が十七歳に成長したら、なぜか俊介にだけキツく当たって他の人には丁寧に接する人物になった。


「ちょっとしたミステリーだね」


 尾長は首を傾げた。


 俊介だって首を傾げたいが、手がかりが少なすぎて謎は解けそうになかった。


 ● ● ● ● ● ●


 黄泉比良坂側の準備だが、すぐに終わったらしい。東源高校のメンバーは、ちょっとだけ緊張しながら部室に入った。


 百名以上の部員が待機していて、パチパチパチと丁寧な拍手による歓待が始まった。


「今年で東源と黄泉比良坂の対戦会も五十年目を迎えました。節目となる年なので、お祝いにジュースで乾杯しましょう」


 準備とは歓迎会のことだったらしい。だから部室の風景がおもしろいことになっていた。指令室みたいに広大で近代化した部室なのに、画用紙とフェルトで作った素朴な垂れ幕が飾ってあった。高価なゲーミングPCが百台も置いてあるのに、その画面には等身大の言葉で歓迎メッセージを表示してあった。


 いくら富裕層の子女が集まっても、やることは年ごろの若者らしくナイーブなのである。


 そんな明るく朗らかな部室の隅っこで、美桜は膝を抱えて反省していた。


「私としたことが、私情を優先して部員たちの歓迎会を台無しにするところだった……」


 そんな落ち込む美桜に、黄泉比良坂の部員たちは手を差し伸べた。


「誰にでもカッとなる瞬間ってありますよ。だから一緒に歓迎会しましょう、部長」


「ありがとう、みんな。私は、この部活に入って、本当によかったよ」


 この台詞を聞いた俊介は卒倒しそうになった。あれは美桜の皮をかぶった別人ではないかと疑った。だが体臭と足音は完全に彼女だった。この日より、美桜の変節は、俊介の歴史における最大のミステリーになった。


 さて歓迎会そのものは、ジュースの乾杯と歓迎の合唱だけで終わった。あくまで本日のメインは練習試合である。でなければ両校の伝統は続かなくなってしまうだろう。


 東源高校のメンバーが使うゲーミングPCはすでに準備してあった。すべてが最新型だ。PC本体とモニターを合わせれば五十万円になるだろう。それが百台ある。まったくもって恐ろしい学校だ。


 黄泉比良坂の部長である美桜から、練習試合について説明があった。


「尾長部長。練習試合は地方大会方式でやるつもりだ。だから本来は三対三で対戦するんだが、ネットワークトラブルのせいで、一つのチームの個別IPを二つ以上に設定できない。だから二対二の変則マッチでいいか?」


 地方大会方式とは、一チームの参加人数を三人に減らすことで、大会に参加するハードルを下げたものだ。選手を五人集めるのが難しい地域のために作られたルールである。


 ちなみにLMが世界大会に参加したころの【MRAF】は初期パッチであり、あのころはまだ一チーム三人が正式なルールだった。一チーム五人で対戦するようになったのは、バージョン2のパッチからだ。だから地方大会方式は、英語圏ではオールドスクール(古き良き)なんて呼び方もされる。


「ネットワークトラブルならしょうがないさ。eスポーツは機材トラブルとうまく付き合っていくしかないんだから」


 尾長は、ジュースの入った紙コップを掲げた。


「うちの部室はPCの台数が多いせいか、ゲームのアップデート直後はネットワーク関連がおかしくなりやすくてな。急いで業者を手配したんだが、練習試合の開始に間に合わなかった。本当にすまなかった」


「構わないさ。そちらも大所帯で苦労してるみたいだし」


「本当にありがとう、尾長部長」


 美桜は、尾長にお礼をいってから、一瞬だけ俊介を睨んで、すぐに自分のチームの席に戻った。


 彼女は、またもや俊介以外には丁寧に接して、俊介にだけ冷淡だった。


「いったいなんだっていうんだよ……」


 俊介は、怒りを通り越して不可解だと感じていた。


 なぜ美桜は俊介にだけ当たりが強いんだろうか。


 もし単純に性格が合わないだけなら、そもそも三年前にLMを結成していないはずだ。だが彼女はLMを結成したし、F2イースポーツ戦で仲違いするまではうまくやれていた。


 なら彼女はLM時代に仲違いしたことを極度に恨んでいるから、俊介にだけ当たりが強いんだろうか。


 それとも他になにか特別な理由があるんだろうか。


 俊介が美桜の態度の落差について悩んでいるとき、尾長は俊介の膝を軽く叩いた。


「君は君で苦労しているな」


「だって美桜のやつ、尾長部長とか他の部員には親切なのに、俺にだけ辛辣じゃないですか」


「まったく、俊介くんも美桜くんも不器用だね」


 尾長は、ゲーミングPCのセッティングを始めることで会話を打ち切った。


「なんなんですか、もう……」


 俊介もゲーミングPCのセッティングを始めた。


 練習試合は、俊介と尾長で参加する。二人は外部から持ち込んだマウスとキーボードを、黄泉比良坂のゲーミングPCに接続した。この手のオフライン試合では、マウスやキーボードみたいなデバイスは愛用の品を持ち歩くのが一般的だ。


 次は【MRAF】のゲームクライアントを起動して、自分のIDでログイン。IDにはクラウドセーブでマウスのセンシ設定とキーボードの割り当てが記録されているため、あとは現場の環境にあわせて細かい調整を施すだけになった。


 尾長は、早々に調整を終わらせてから、俊介に告げた。


「この試合において、小生は添え物だと思ったほうがいい。俊介くんの個人技には、残念ながらついていけないからね」


 尾長は自虐ではなく客観として自身の戦力を評価していた。


「尾長部長。勝ちにいくのも大事ですが、それ以上にお互いを尊敬して着実に強くなっていきましょう。それがチームプレイですよ」


 俊介は自分の言葉を反すうした。お互いを尊敬して強くなっていく。もし尊敬を失えば、かつてのLMみたいにチームが空中分解してすべてが破綻するだろう。


 尾長は、まるで気持ちを整えるかのように青いフレームの眼鏡をかけなおした。


「小生は、俊介くんと美桜くんの対立にコメントするのが難しくてね。そもそも論として、プライベートの事情は関係者にしかわからないものだってたくさんあるわけだから」


「正当な立場だと思いますよ。お昼のワイドショーだけで社会のことがわかったことになってる人にはなりたくないですから」


「というわけで、小生はこの話題に関してはほどほどに触れることにするよ。さて、今日の練習試合だが、勝率はどれぐらいだと思う?」


「二十パーセントあればいいほうでしょうね。俺と尾長部長はまだ出会ったばかりで、チームとしての練習をしていません。反対に黄泉比良坂は、一年間チームとして練習してきた人たちです。この差を俺の個人技だけでひっくり返したくても、あっちには美桜がいるから難しいでしょう」


「わかった。うちは弱小校だけど、練習をサボってるわけじゃない。今は難しくても、いつか俊介くんと連携ができるぐらい強くなってみせるさ」


「がんばりましょう。たとえ負けたとしても、そこから経験値を得て、次の試合につなげることのほうが大切ですから」


「でも、勝ってみたくないか?」


 尾長の爬虫類みたいな顔には、静かに燃える青い炎みたいな気力が宿っていた。どうやら彼が青いフレームの眼鏡をかけているのは伊達ではないらしい。


「もちろん。相手の弱点や隙を探して、勝利を目指しましょう」


 俊介は尾長と軽やかなハイタッチ。いよいよ練習試合が始まった。

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