第17話 男の異世界転生より
妻と娘を刺した後、私は自然に自分の喉を刺し抜いた。
徐々に増えていく血溜まりのなかで、ひたすらに謝りながら意識を失っていった。
気がつくと私は知らない夫婦の子供になっていた。私にはレレという名前が与えられて、平和に暮らしていた。
当初、違和感は何も感じなかった。けれど、生活をしていると、徐々におかしな点が目立ってきた。
『ねえお母さん、学校は?』
『ガッコウ?なにそれ?おかしなことを言うのね』
『おじいちゃん死んじゃったね……。でも、嫌みばっかり言ってたし……。お父さん、おじいちゃんへのお金が減ったから、これで生活費を切りつめなくていいんだね! 生活が少し楽になるよ!』
『ああ、そうだな。優しい人だったのに……。亡くなってしまうなんて……』
『え……?』
私には幼い頃、僅かながら日本での常識が残っていた。だから、両親や周りの人と話が食い違うことがあった。
今思えば、不自然なことが沢山あった。
学校などの教育機関がないのに、読み書きができる、計算ができる。時折、会話が噛み合わない。王様に対する異常な信頼。そして、抑揚のない言葉。
君ほど早くは気がつかなかったけれど、私もこの国の人たちは何かおかしいと思っていた。そして気がついた、主体性がないのだと。
しかし、私はある日を境に、全く違和感を感じなくなっていた。それは体を猿に変えた日だったと思う。私は両親に勧められて、15才の誕生日に全身の姿を変えた。手足などの体の一部を変えることは幼い頃からやってきたが、全身を変えるのは初めてだった。私は最初、遠慮をしていたが、「猿は簡単だから」とか「これができて初めて一人前になれる」だとか言われて、流されるまま、姿を変えた。
姿を変えた瞬間、目の前が真っ白になった。そして景色がぼんやりと見えてきたとき、私の頭は妙にふわふわしていた。景色を自分の目で見ているはずなのに、現実味がない。それは猿の状態でもヒトの状態でも変わらず続いた。
『大丈夫?』
両親は心配して声をかけてくれた。
『うん、大丈夫』
私は答えたが、自分の声ではないような気がした。
ずっと夢の中にいるような感覚だった。この世界での生活で、私は幸せだったと思う。だが、『本当に?』と言われたら、自信を持って肯定できるかは分からない。
私に2度目の転機が訪れたのは、25才の頃だ。家の手伝いで、包丁で魚をさばいたときに、手に血がついた。
包丁。血。
瞬間、フラッシュバックのようなものが訪れた。
倒れている妻子。血まみれた自分の手。毎日くる借金取り。無価値になった株。娘の受験。
私の記憶は時をさかのぼりながら、思い出されていった。
私は家を飛び出した。両親に何か言う余裕はなかった。私は無断で家を出た。
私は走った。叫びながら走った。心にたまったなんとも言えない罪悪感を少しでも減らそうと叫んだ。
体力が限界を迎えて立ち止まったとき、私は今、君といるこの場所にいた。
私の頭はすっきりしていた。やっと自分を取り戻せた。だが、その代償なのか、私は時々発作に苦しめられるようになった。
けれど、私はかまわなかった。私は、この世界に来てから、自分の罪を忘れ、のほほんと生きていたのだから。発作がその罰だというのなら、足りないくらいに感じた。私は私のことを一生許せないだろう。
後は、君が見た通りだ。
こんな私の長々とした話に付き合ってくれて、すまなかった。君が聞きたかったのは話の後半部分だけだろう。久しぶりに話したこともあって、随分と素直に言葉が出てきてしまった。
ずっと一人で、心が冷え込んでいたが、君に会って、温もりのようなものを久しく感じた。
ありがとう」
私はしばらくなにも言わなかった。
なにも、言うことができなかった。
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