かくて、反動は来たる。

『火葬戦記』――所謂ご都合主義的な展開ばかりが続き、『完成』には程遠く、もはや火に葬られるべき、とまで評されるほど拙い戦記類全般を指して称される、”仮想戦記”をもじった蔑称である。

占冠 愁

―――――――――




翌日 大英 帝都ロンドン


「閣下ァッ!!」

「どうした?そんなに慌てて」


バタバタと転がり込んできた伝令に帝国宰相のバルフォアは振り向く。


「きょ、極東で戦線が動きましたッ!」

「…遂に日本人が前線を抜かれたか。」


諦観と共に、彼は溜息をつく。


「ロシアは全く消耗していない…。所詮は黄色人種、か。期待外れだ――」

「ちち違いますっ!日本人が、戦線を突破しました!」

「……は?今一度。」

「に、日本軍が一昨日西域戦線を突破、圧倒的な速度でロシア軍を駆逐、攻勢初日の戦闘だけで露軍10万が、全滅!」


大英宰相はそれを鼻で笑った。


「はっ、冗談も大概にしろ。露軍の西域防衛線は騎兵防御陣だ。歩兵でも騎兵でも、総力突撃で突破には2ヶ月かかる試算だ。たった1日で突破など、バカバカしい。」

「しかし第一報で極東各紙が号外を!写真付きですよ…!」


伝令は彼に紙面を突きつける。


「な…、なぁ…ッ!?」


受けた第一面に大きく掲載された写真に彼は言葉を失った。






同刻、パリ市。


「号外!号外ぃッ!ロシア軍、壊滅っ!!」


「な、なんだと!?」

「どういうことだ??ロシア人が未開国相手に負けたのか?」

「まさか!法螺を吹くのも大概にしろ、蛮族征伐に敗けるような文明創造種の恥晒しなど、ジョンブル共だけで十分だ!」


凱旋門の下に撒かれる号外に市民は目を丸くする。


「たった2日で日本軍がコサック10万を殲滅、ロシア軍は尚も潰走中!各地で追撃と包囲殲滅が行われ、戦線維持はもはや不能であると思われる!」


「な…、そ、そんなことが!?」

「質の悪い欺瞞だ。我らのナポレオンが敵わなかった超大国だぞ?」

「ふっ、極東の辺境国家相手に敗れるなど有り得ない」


彼らの手に渡った新聞の一面に大きく映された写真を見て、誰もが絶句する。


「…な……、んだ、これは…」


一面戦火に倒れたロシア軍の人馬の骸の大地。

機密保持の面からメディアは暴風の過ぎ去った後しか捉えることは出来なかったが、それでもその威力を十分にパリ市民に知らしめることには成功したようだ。


「あの…、物量は随一を誇るロシア軍が…?」

「ぜ、全滅!??」

「戦線崩壊、全面潰走…!なにがあったんだ!?」

「人智を超えた何かが起こっている…?」


示された世界地図の東の端、辺境も良いところの小さな小さな島国を睨みつけて、人々は互いにこう呟く。


「何者だ、こいつらはッ……!?」






「そうだ、その通り……文明の中枢である欧州から遥か離れた地球の裏側。近代化からまだ40年も経っていない、極東の小さな孤島のはず…」


ところ戻って、帝都ロンドン。


世界に冠たる大英帝国の宰相はその紙面に唖然とする。


「それが、どうして白人最大の領土と人口と動員数を誇る超大国をこうも簡単に蹂躙するのだぁ!?」


「情報が錯綜しておりますが…それでも皇國陸軍は損害を数百に留めつつ、なおも前進しているようです…!」

「ロシア軍の動向はどうだ!?」

「だ、大規模な露軍増援は現在の所望めないかと」

「クソッ!消耗してもらわないと困るのだぞッ!」


額を抑えて大英宰相は手を震わせる。


「なんたることだ…。白人列強が総動員で本気の戦争に挑んで、なお全滅するなど…近代以後前例がない異常事態!」


彼は遥か睨む。

東の、太陽が昇る方角の地平線の先。

その彼方へ呪詛を吐こうとした瞬間。


「それだけではありません。皇國政府から秘密裏に提案が入っております」


宰相は首をかしげる。


「……なんだ?まさか参戦要請か?」

「いえ。英米日の三カ国での協商締結の提案です。」

「―――は?」

「基本構想としては彼ら曰く、戦後のロシア大連州を英米日の連名で租借、満州を門戸開放、三カ国で共栄圏を築き上げ、極東の一大経済地域にする。

…それを目的とした協商、相互保障体制である、と。」


宰相は思考を停止する。

戦線と同時に、皇國枢密院も本格的な歴史改変の実行へ動き出していたのだった。






奉天 ロシア満州軍総司令部


「ほ、報告致します!西部戦線が突破されました!」

「な、何ィッ!?」


ダァンとクロパトキンは机を叩いた。


「あそこは渾河まで続く防衛線だぞ!たった1日で落ちてたまるかッ!」

「そ、それが、前衛が…」

「騎兵だけでも総戦力20万だぞ!東洋人相手に独断後退したのか!?」

「いえ!て…徹底抗戦の末に、第2シベリア軍団は、全滅、と!」


ガタリ、と椅子を抑えて彼は立ち上がる。


「もう一度言え。」

「だ、第2シベリア軍団10万が全滅。戦線潰滅!」


唖然として崩れ落ちて、はっと気を戻し、咳払いを一つ。


「……デマもいい加減にしろ。平原の覇者たるコサックが20万だぞ。こんな早く決着がつくわけがない。」

「遼陽の後衛警備隊も通信途絶しました。奉天まで63km、がら空きです…!」

「大層な冗談だ!敵の情報撹乱を疑って然り。」

「敵の新兵器が全戦線で確認されています!それが要因かと…」

「だとしてもだ。騎兵20万を殲滅など、人がなせる業を超えている!」


トントントンと苛々しく指先で机上を鳴らすクロパトキン。

彼はもう少し動かず、正確な情報を待ってからにしようと決め込んだ。


「お、お取り込み中のところ申し訳ありませんッ!!」


ただそれは次の瞬間、大きく揺れる。

二人は伝令兵のほうへ振り向いた。


「どうしたのだ、君――」

「奉天南城壁に敵影視認!数、旅団規模ッ!!」










「敵守備隊視認!」

「薙ぎ払えッ!!」


大慌てで追いかけてきたと思われる、士気も装備も脆弱な敵防衛兵。

数秒もしないうちに後衛から榴弾が降り注ぎ、爆炎に敵影が消え失せる。


「全突破!第一目標まで残り――…」


言葉は途中で途切れた。

装甲車群が瀋陽街道最後の丘陵を登りきり、眼下には広大な北満州平原と、中央に無防備を晒す城壁、城下、奉天城が現れたのだ。


「ッ!」


そのすぐ左に視点を移せば、美しく流れる渾河が、見事な夕陽に橙色に映えていた。


「つ…つい、に…!」

「まだだ、変なフラグ立てちゃならん。」


言いかけた別海中尉の感慨を手で遮る。


「…牽引砲兵は当丘陵に布陣。城内丸裸の好陣地だ、弾着観測射撃用意。」


機動野戦砲が次々と横列に展開し、砲身がキリキリと動く。

後は任して問題あるまい。


僕は後列を振り返り、続けて前方を睨む。


翻る双頭金鷲紋、八端十字架大将旗。


間違いない。


総司令部だ。


「―――全車前進、さっさとこの丘を滑り降りるぞ。」


無意識に心臓が高鳴る。


敵影完全にナシ。


頭さえ刈り取れば、戦局は決する。


「っ……!」


不意に手綱を掴む拳を握りしめた。

軍旗を棚引かせつつ、機神群は城下へと勢いよく坂を下る。


雲一つない夕焼け空を、流るる渾河は茜色に光り輝き反射して。

発動機はひたすらに唸り、タイヤは砂塵を撒き散らし――










「な…ナァ…、ッ――!?」


窓の外、視界に写ったその光景に、彼は絶句した。

総司令部の置かれた奉天城から視認できる城外。

その先の高台の上に、翻る旭紋、唸り降りる幾多もの迷彩塊。


「なぜ奴らがここに!?早すぎるッ!!」


クロパトキンは窓を開け放って、眼下を見下ろし叫んだ。


「そ総司令、指示を!」


構わずに伝令は彼を急かす。


「クソッ!緊急列車を出せ、司令部は急速撤退だ!」

「この距離ですよ!?撤退など到底間に合い「時間を稼げッ!」


遮って怒鳴るクロパトキン。伝令は困惑してこう返す。


「で、ですが装備も何も!」

「備蓄から清朝の旧式野砲を引っ張り出せ!」

「清朝の装備など…!時間稼ぎにすらならないのでは!」

「いいや。なんの手段を使ったかは不明だが、86kmをたった2日!…敵軍は、尋常ならざる速度でここまで進撃してきている」


彼は震えの残る手で窓の外を指す。


「そんな速度に、ただでさえ重い野戦砲が追随できると思うか?」


側近は手を打った。


「…ッそういうことですか。」

「ああ。速度を代償に、直衛火力を捨てているハズだ」

「そこで、我らが野砲を持っていることを示すだけでも連中への牽制となる、と」


クロパトキンはその通りだ、と頷き、伝令に振り返る。


「機密書類は全て焼却処分!司令部の機材は時間が許す限り積み込んでハルビンへ――」


その言葉は最後まで紡がれることなく。


ドカァアッ!ズダアアァ――ン!!


「な、何事」


彼が振り返った先。

窓枠の向こう。


ガラガラガラ…ガッシャァァ――…


「…ッ?!?」


城壁が粉砕され、崩れ落ちていく光景。


即座に彼は視線を発砲炎のほうへ持っていく。

煙が晴れるにつれ、陣地に控えるその姿が顕になっていった。


「なァッ、なぜ敵は野戦砲をッ!?」


長大砲身。

自動車牽引。


「自動車、だと…??

――ッ!それか!連中の急進撃の要因は!!」


クロパトキンは一瞬にして全てを察する。


「ひ、非常に不味いです総司令!時間稼ぎも出来ません!」


もう打てる手など残されていない。

否、始めから抵抗できる術など、ロシア軍は持っていなかったのだと。


「最初から全て、奴らの筋書き通りに我らは踊らされていた、のか…ッ!」


彼は愕然と膝をつく。


「ど、どうしますか司令――」

「……使者を出せ。降伏交渉だ。」


伝令は青ざめる。


「それは、つまり…」

「ああ。もう時間だ。」


彼は唇をかみしめて俯き。

キッと決死の表情で顔を上げる。


「総司令部はまだ戦えます。城下の直衛戦力は1万、十分籠城可能です。蛮族に跪いて足を舐めるには、最穢の屈辱を呑むには早すぎます。」


その言葉に、クロパトキンは薄笑いを浮かべて首を振る。

諦観の笑みと捉えた伝令は、決然と抗議しようと口を開くも、寸前でそれをクロパトキンは手で制した。


彼は静かに立ち上がる。

かくて、不敵に、不敵に笑ってこう告げた。


「いいや、。」




・・・・・・

・・・・

・・




「敵司令部より光信号!」


通信小隊から一通の連絡。


「…本当か」

「内容は以下、『本城 降伏す』。繰り返します、『本城 降伏す』!」

「っ!返信、『速やかに武装を解除して投降せよ』。」

「了解!」


灯火が多少交わされて。


『城下には幾万の市民を抱える。陸戦条約にて規定の保護任務を許可されたし。この間、武装解除並びに民間人に関し然るべき交渉を行う。使者よこされたし。』

「了解。『本邦は陸戦条約に従う意思がある。全面同意する』」


先年、締結されたばかりの陸戦条約だ。

陸戦条約下はじめての戦役。こればかりは守らないと、例え勝っても皇國は『蛮国』扱いを受ける。慎重にならねばなるまい。


「…『こののち、以て本軍は、全隊を投降せしむ』。以上です。」


そう残して、城からの信号は切れた。


「しょ、少佐殿…、」

「我々は本、当に…??」


答えを待つ騎兵中隊に振り返り、口角を上げ、僕は笑う。


「満了だ。――正念場を抜けたぞ、中隊諸君!」


一瞬場が凪ぎ。


ワァアアアアア―――!


そうして雄叫びが強く大きく沸き起こった。

総司令部は陥落を決め、此処に勝利は確定する。皇國はほぼゼロの犠牲で戦線を突破、展開する敵戦力20万の全てを撃滅。


そして、司令部という機能根幹を潰した。

文句なしの完全試合だ。


「使者を出せ。交渉は出来るだけ短く、な?」

「はっ!」


互いに手を叩きあう彼らを眼前に、僕は漸く安堵と感慨を握りしめた。


おもむろに肩を叩かれる。


(……?)


訝しげに振り向くと、頬に軽く指が当たる。

別海中尉がこれ以上ないような明るい笑顔で人差し指を構えて背後に立っていた。


「ふふっ。少佐殿、やりましたね…!!」


その仕草に僕は思わず微笑む。


「おう、戦闘は終了だ……!」


頬を緩ませて深い喜びを伝える彼女の満開の笑顔に、静かに達成感を噛みしめた。


中尉―――樺太で出会ったときは”伍長”だったか。あの頃の彼女は僕の前じゃ口角すら上げはしなかった。僕に向ける笑顔などあり得なかった。

同じ旭川26聯隊内でも『ノロマ』と馬鹿にされていた頃だ。


戦場で泥水啜って死体を踏み越えてなお、僕は北洋開拓団つまりは樺太の人々8万人を一方的に見捨て去る様を甲板から拳を震わせて見届けるしかなかったのだ。

あの時、僕は軍人としてどこまでも無力だった。


でも、現に今、眼前で彼女は笑顔を見せている。

少なくともそれに値する信頼を、僕は得られるようになったんだろう。


「少佐殿、戦争はまだまだ続きますかね。」

「いいや。司令部が殲滅された以上、迅速な戦線立て直しは不可能だ。あと二月ふたつき内にウラジオストク最終戦略目標を落としさえすれば。

……もはやロシアに極東の端っこで大戦争を続ける余裕はない。」


中尉は顔を輝かせる。

それに応えるように僕は笑う。


「このザマだ。ここから最終目標まではもうマトモな抵抗がない。あとの仕事は2ヶ月軽いドライブやるだけだ…!」

「…はいっ!」


別海中尉はそう残して去り、盛り上がる中隊の輪へと戻っていく。

僕は僕で銃器に不調がないか整備でもしようかと思い、工具を探そうと立つ。


すると、別海中尉を含めた中隊の皆がこちらに手招きしていた。


「少佐殿、胴上げしましょう?」


「…は?」


当惑していると彼らは瞬く間に僕を囲む。


「さぁ行きますよ少佐殿!」

「待て待て僕は――」

「勝利に際して中隊の無事と少佐殿の功績を讃えて!」

「「「万歳!」」」


拒む間もなく僕の身体は宙に浮く。

僕は司令部に述べたいことのたまっただけで功績なんてないのだが。というかそれを言うなら、僕の強行した作戦に付き合ってくれた戦闘団へ僕は感謝せねばならない。


「すまん、みんな。有難う!」


歓喜の嵐の中に身体は浮いたり沈んだりを繰り返しながら。


僕はすっかり暗くなって星が煌めき廻り始めた銀天に手を伸ばし、それを掴み寄せるように腕を戻す。


(漸く、少しはまともな軍人になれたみたいだ…。)


二度とあの北方戦役の悲劇が、屈辱が繰り返すことないよう誓いを新たに。

僕はもう無力じゃないと心に刻んだ。
















散々王道を逆走してきたこのに、こんな下らない王道茶番があまりにあっさり訪れる。―――その不穏さに、未だ誰もが気づけない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る