疫病神現る③

「最低最悪だな。俺様の美しい濡れ羽色の髪が汚れちまった」

裏山は公園の蛇口で頭に付着した鳥のフンを、悪態をつきながら洗い流していた。相変わらず疫病神がしがみついているため、ずっしりと左腕が重い。球技は禁止になっているにもかかわらず、公園の中央では数人の少年達がサッカーに興じており、彼らの歓声やボールを蹴る音が響き渡っていた。

シーソーや雲梯で遊んでいる親子連れもちらほらいる。

鳥のフンと顔面に付着した靴跡を洗い終わると、衣服に付着した土埃を丁寧にはたき落とし、木陰に設置された青色のベンチに腰かけた。足元にはカラフルな落ち葉が散乱している。裏山は辺りを見回した。

「ここなら周りになにもねえ。少しは安心できそうだ」

そう言うと彼は突如、左の指を鳴らした。すると、その左手の中にどこからともなくアンティークの手鏡が出現した。裏山はそれを様々な角度からまじまじと見つめ、得意げな表情を浮かべ髪をかき上げた。

「うむ、良し。水も滴るいい男とは正に俺様を指す言葉だな」

世迷言を呟くと裏山は右手で手鏡に触れた、その瞬間、蜃気楼の如く手鏡が消滅した。その一部始終を間近で見ていた疫病神が興味を示したのか、質問をしてきた。

「…ワシの見間違えかのお?お前さん、さっき手鏡を『どこ』から出して今、『どこ』へやった?」

「答える義理はねえな。教えた所でどうなる?」

裏山は疫病神の質問に対し、冷淡にあしらった。

「冷たいのお。あれか?何かの手品か?」

「耳元でごちゃごちゃうるせえなあ。喋るのは俺様が何か質問した時だけにしろ。気が散ってしょうがねえ。第一お前は他人には見えねえんだ。べらべらお話してたら頭の病気だと思われるだろうが!」

裏山は小声で疫病神に釘を刺すと、これからのプランを練り始めた。


なあに、この前の死神の件に比べりゃあ大した事はねえ。三日以内に誰かしらとキスすればいい。ただそれだけの事だ。落ち着け。俺様なら朝飯前さ。うん。常史江の野郎の手を借りるほどの事でも無い。奴に何度も助けを乞うのも、何だか癪だしな。だが、うかうかはしていられねえな。まず一番の問題はキスするまでの流れだ。街をうろついてるそこら辺の女に強引にキスなんかしたら、この疫病神を押し付ける事が出来てもその後、碌な未来が待ち受けていないだろう。想像するだけでおぞましい。やっぱ無理やりはダメだな。それともlineでクラスメートの女子に片っ端から告白してみるか?ううむ、それなら死んだ方がマシかもしれんな。それにいくらなんでも現実的じゃねえ。かといって風俗やデリヘルに頼るのもなあ。第一、俺は未成年だ。さて、どうする?おっと、妙案が思い浮かんだぜ。やっぱ俺様、天才かもしんない。よし、そうと決まれば早速行動に移すとするか。


突然、裏山の左肩に何かがぼとりと落下してきた。しかも驚いた事にその何かは肩の上でもぞもぞと蠢いている。首筋にヒヤリと冷たくぬるっとした得も言われぬ感触を覚えた。裏山は思わず青ざめてゆっくりと首を左に向けた。目と鼻の先に、茶色で銭形模様の50cm程度の大きさの蛇が鋭い目つきで先端が割れた舌をチロチロと出しながらこちらを凝視していた。

「ギ…」

裏山が叫び声を上げる前に、彼の顔目掛けて蛇が飛びかかって来た。だが、咄嗟の判断で裏山は顔の前に右手を差し出した。蛇の牙が彼の右手に接触した途端、蛇は先ほどの手鏡同様、その場から消滅した。裏山は勢い余ってベンチからひっくり返った。

「あ、あぶねえ…。ありゃ恐らく体色と模様からしてマムシだ。確か有毒…!木から落ちてきたのか」

腰を抜かしていると、疫病神が口を開いた。

「…なるほど、今のでわかった。お前さん、妙な力を持っているな?その右手で今、蛇を消したようじゃな。さっきの手鏡もそれか。お前さん何者だ?人間か?」

「ふん。化け物に化け物扱いされるとはね」

裏山は軽口を叩いて腰を上げた。

「興味深いのお…実に興味深い。お前さんのような者は今までで初めてじゃ。気に入ったぞ。それと…」

「あ?何だよ」

「まだ安心するには早いようじゃぞ」

裏山の視界の隅に何かがちらりと映った。その直後、彼がその方向を振り返る間もなく、鈍い音とともに凄まじい衝撃が彼の頬を襲った。サッカー中の少年達が蹴ったボールがコントロールを失って彼に命中したのだ。

「びゃっ」

彼に直撃したボールはその場で3度バウンドすると、完全に停止した。

「あっやべ、すいませ~ん」

少年達の心のこもっていない気の抜けた声と笑い声が聞こえてきた。裏山は顔を押さえながら少年たちの方へボールを力なく蹴り返すと、アル中のような頼りない足取りで公園の出口へ向かって行った。


…痛い程わかった。どこにも安全な場所は存在しないって事がな。甘く見てたぜ。クソ。ここ最近俺様がマヌケなイメージになってきてないか?一刻も早くこの疫病神をなんとかしなくては…。一秒たりとも気が抜けねえ。このままじゃ3日経つ前に心身共にズタボロになりそうだ。


裏山は公園を出ると、『プラン①』を開始するために街の大通りへと一目散に向かって行った。自分が座っていたベンチが、ペンキ塗りたてだった事も知らずに…。

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