裏山の悲惨な一日!!!!!!

裏山の苦難①

老朽化によって数多くの横断歩道橋が撤去の浮き目にあっているが、その中で40年以上もの間しぶとく残っている陸橋、上からは、市役所や郵便局、市民会館、コカコーラの看板などといった、みみっちい光景が見渡せる。柵には『死亡事故多発!スピード落とせ!』とか、『よそ見運転は死ぬぞ』などといった安全祈願の横断幕が貼られている。そんな陸橋の上で、ある男が一人、手すりにもたれている。夕暮れ、街はこの時間帯になると更に活気を失う。街行く人々の顔も、どこか疲れ気味だ。御多分に漏れず、彼の表情も晴れない。制服姿で長身痩躯、背中まである長さの姫ちゃんカットに、怪しげな三白眼、という奇妙な容貌の少年、裏山椎名。彼は眉間に皺をよせ、無性に苛立っていた。何に対しての怒りか、彼自身にも釈然としていなかった。それが彼の苛立ちを更に増長させた。正確には彼の怒りは、自分に向けられたものだった。あの日、あの忌まわしい、忘れたくとも忘れられない日に、彼の人生は色彩を失った。まるでモノクロ映画のように。あのすかした態度の転校生、常史江永遠と、屋上で一戦を交え、こっぴどくやられた事で、彼は鼻骨と同時にプライドや自信もへし折られたのだ。


幼少期から、裏山は相当な高慢ちきだった。多くの者は自身の存在意義やアイデンティティを考えもせず、その生涯を終える。有象無象の存在のまま。しかし自分は違う。自分は神に選ばれた特別な存在であり、人の上に立つべき存在なのだ。いや、人の上に立たなくてはならないのだ。おこがましい事に何の根拠もないが、そう信じこんでいた。思い込みとは恐ろしいもので、一旦その考えに陥ると、周囲の人間が滑稽に見えて仕方なかった。表面上は気のいい好青年を装っていたが、彼は自分以外の人をナチュラルに見下していたのだ。コミュニケーションは迎合に過ぎない。彼はそう思っていた。しかし彼は人を見下せるほど、特別何か抜きんでた才能がある訳ではなかった。勉強や運動もそこそこで、さらに音楽や芸術の才はからっきし。その事実に彼は苦しめられた。このままでは自分もそこらのパンピーと同様の人生を歩む事になるではないか。彼は焦り、苦悩した。一般大衆には無い、自分だけの武器を見つけなくては。そう思っていた矢先、あの力を手に入れた。最初、驚かなかったかと言えばそれは嘘になるだろう。だが、能力の使い方に気付くと、すぐに彼は高揚し、頭に乗った。やはり自分は選ばれし男だったのだ。この力は神からのギフトであり、その能力でこの世界をお前が導け、という天啓なのだ。そう受け取った。この右手に触れたものを、世界から消滅させる、という人知を超えた力で、自分は全ての人間の上に立ったのだ。この汚れ切った世界から汚物を排除し、綺麗なものだけを残す。それが自分の役割であり、使命なのだ。だからそんな自分の崇高な目的を邪魔する者は悪だ。こうして彼は暴走を開始した。数人の人間をその力で消滅させても、彼の心は痛まなかった。自分の行いは正義である。という独善的な思考に支配されていたためだ。彼は己の正しさを信じて疑わなかった。神が味方している自分を止められる者は誰もいない。そう思っていた。常史江に倒されるまでは。


彼に倒された事で、自分が『特別』ではなかった事を裏山は悟った。上には上がいる、という奴だろうか。受け入れがたい事実だった。彼は絶望し、抜け殻のような日々を送っていた。昔の自分に逆戻りだ。しかし常史江に雪辱を果たすなどと言った発想には至らなかった。彼も彼なりに反省したのだ。それに今の彼にはそんな気力も無かった。しかし、自分が特別では無いとわかった今、何を糧としてこのまま生きていけばいいのだろうか?この力に、自分自身に何の価値があるのだろうか?彼はその答えが見つけられずにいた。というよりも答えなどあるのだろうか?終わらない自問自答の繰り返しに気が滅入っていた。




自分の存在意義がわからないまま、ただ生きていく。


死ぬ事よりも恐ろしい。


死ぬ気にもなれないが。


それが彼の考え方だった。彼はかなり面倒くさい男だった。




右手にあるホットコーヒーを一口飲むと、彼は自身の家に帰るべくおもむろに体の向きを変え、歩き出した。その途端、近くを歩いていた男に肩が接触し、その衝撃により、缶コーヒーの中身が男の白いスウェットにぶちまけられた。男の胸元辺りがコーヒーで茶色に染まった。裏山は相手の顔を伺った。茶髪のマッシュルームカットで、長い前髪により両目が隠れた、20代前半くらいの若い男だった。男は胸元に付着したコーヒーの染みを見て茫然としていた。


「お、ワリいワリい大丈夫か?火傷してない?何?大丈夫?そいつは何よりだ。見た感じこれくらいならすぐ洗濯すりゃ落ちると思うぜ?うん。ポイントは漂白剤を染みた部分につけてから洗う事だ。いや、ホント悪かったって。俺も心が痛む」


そう言って裏山は制服のポケットからハンカチを取り出し、男の胸元をごしごしと擦ると、早々と切り上げ、男に背を向けて歩道橋から去っていった。


そんな彼の後ろ姿を、男がいつまでも長い前髪の奥から憎しみに満ちた目で睨みつけていた事を、彼は知る由もなかった。

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