死の障壁
透は、自分の聞き間違いを疑った。というより、聞き間違いである事を信じたかった。だが残酷にも『髑髏』は彼の前に屈みこんで同じセリフを明瞭とした口調で言った。
「君は彼女の為に、左目を犠牲にする事が出来るかな?」
一気に透の体に脂汗が湧きだした。心拍数が凄まじい速度で上昇する。緊張で下腹部に鈍い痛みがやってくる。透は震える手で剃刀の刃を手に取った。まだ使い込まれていない新品の、指でちょいと触っただけで血が出そうな鋭利な刃だった。ああ、つい数分程前まで茜といちゃついていたのが、もうはるか昔の事のように感じられる。まさに天国から地獄だ。出来れば茜の生涯の伴侶として生きていきたかったが、どうやらそれは適わぬ夢のようだ。さっきの爆発による負傷で、恐らく自分はあと十数分で出血多量で、死ぬだろう。(リア充爆発ってやつか?クソッ)だけど茜、君だけは守ってみせるよ。君のいない世界なんて、これっぽっちも意味が無い。だって君は俺の全てなんだからな。君にとっては俺なんて世界のちょっとした一要素に過ぎないかな?まあそれでも構わない。こんなしょーもない俺を選んでくれてありがとう。君と付き合っている期間は短いものだったけれども、何物にも代えがたい幸せだったぜ。俺はあの世に行っても、君を想い続けるよ。ちょっとキモイかな?だけど君は俺なんか忘れて、俺よりイケてるどっかの兄ちゃんを見つけて幸せになってくれ。勿論少し口惜しいが、俺の願いはそれだけだ。こいつらが約束を守る保証なんてどこにもないけれど、俺に出来るのはこれくらいしかない。情けない男でゴメンな。俺なんかじゃ君のヒーローになれやしなかったよ。
「おい、いつまでボーっとしてんだよ。愛しの彼女とたかが左目、どっちが大事なんだよ。究極の選択じゃあねえだろ」
心ここにあらずといった感じで俯き続ける透が癪にさわったのか、『ギョロ目』が茶化すような声で彼を扇動した。透は、はっとして刃を目に近づけた。目と鼻の先では『髑髏』が肩肘を張って透の顔を覗き込んでいる。クソッ、コイツの顔をこの剃刀の刃で切り付けてやりたい衝動でいっぱいだが、そんな事をすりゃもう一人の奴に茜の首が掻っ切られちまう。このサディストのクソ野郎共め。ああ、やってやろうじゃねえかよ。てめえら俺の勇姿を、その目に刻み付けやがれってんだ。俺は剃刀で目を刻むハメになるけどな。はっはっは。透は手に力を込めた。
「やめてー!透君、私なんかためにそんな事しないで」
茜が悲鳴に近い声を上げた。泣きはらして顔は真っ赤になっていた。『ギョロ目』が舌打ちして彼女の首にナイフの刃を少し食い込ませた。透は彼らの方を向いた。
「やめろ、手出すな。茜、心配してくれてんのか?ありがとよ。だけど気にすんなよ。俺は平気だからさ。そんな顔されると辛いんだぜ。目を切るなんざよりずーっとな」
そう言って透は青白い顔で茜に笑いかけた。
「透君…そんな」
茜はまたワッと泣き始めた。
「おい、本当に彼女を開放してくれるんだろうな?」
透は『髑髏』に釘をさした。
「約束する。僕達も鬼じゃあないんだ」
『髑髏』は即答した。透は歯を食いしばって目をかっぴらくと、茜の必死の静止をよそに左の眼球を横にスッと切り裂いた。赤い鮮血がドロッと流れ出した。
「ぎっ」
透は狂犬のように暴れまくった。ベンチに飛び乗って喚きながら地団駄を踏むと、すぐさま飛び降り、地面に倒れこんで左右にごろごろ転がった。『髑髏』はそんな彼を恍惚とした表情で眺めていた。
「愛、だね。美しいよ。いいものが見れた。一生の思い出になりそうだ」
「ああ、こんなバカみた事ねえ。自分の目ん玉きるか?普通」
『ギョロ目』が透を嗤笑してそう呟いた。その表情にはいくらか驚きの色が浮かんでいた。彼の腕の中では茜が慟哭している。透はベンチの周りを駆け足で3周すると3人の前に突っ伏した。左目からは血が、右目からは涙が絶えず流れ出てくる。気が遠のくような激痛に耐えながら、透は呟いた。
「約束だ…。あ、茜を開放してくれ…」
『髑髏』が『ギョロ目に』に無言で目配せした。『ギョロ目』は大人しく茜の拘束を解いた。
「透君…!」
茜は目を充血させながら透のそばへ走り寄ろうとした。
「なんちゃって」
『髑髏』が人差し指で茜の後頭部に触れた。茜の体がビクッと痙攣した。そして次の瞬間彼女の頭部が膨張すると、スイカ割りで叩かれたスイカみたいに真ん中から左右に吹っ飛んだ。夜の闇に血飛沫が舞い上がる。その様は例えるなら鮮血のスプリンクラー。透はその光景がスローモーショのようにゆっくりと見えた。脳がフリーズしていた。茜は首から上が跡形も残らず、血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
透が茫然としていると、二人の声が聞こえてきた。
「すまない、初めから見逃すつもりなんて、これっぽっちも無かったんだ」
「お前、信じるとかマジで笑えるぜ」
二人は腹をおさえて笑い転げた。
茜。あんなに可愛かった茜。あんなに素敵だった茜。あんなに好きだった茜。俺の希望。俺のエンジェル。俺の全て…。
「あぁあああぁ」
透は狂ったように、というか本当に狂ってしまって剃刀を手に『髑髏』の元に猪突猛進、突っ込んでいった。しかしその瞬間、『髑髏』と透の間に青色の薄い障壁のようなものが現れた。時すでに遅く、透はその障壁に頭から突っ込んだ。すると、べきゃっという音とともに彼の首が背中側の方にへし折れた。透はそのまま俯せに倒れこみ、ピクリとも動かなくなった。
こうして貫木透と霧島茜の最初にして最後のデートは終了した。
「両方とも僕が殺ろうとおもったんだがな」
東吾妻は公園の茂みの中に透の遺体を突っ込みながらそう言った。
「へっ、お前にばかり美味しいところ持っていかれてたまるかよ」
古井新が頭部が消失した茜の遺体を無造作に引きずりながら返事した。そして透が投げ込まれた場所に同じように突っ込んだ。一仕事を終えて、ご満悦な表情の吾妻が額の汗をぬぐうと呟いた。
「彼ら、天国でもまた会えるといいな」
「ん?ああ、そうだな」
新は生返事した。そんな事はちりほども思っていなかった。ただ彼も吾妻と同じように得も言われぬ快感と充足感を味わっていた。今はその余韻を味わっていたかった。
「こいつら二人あわせて5点てとこだな」
「はあ、『レベルアップ』はまだ先だな」
吾妻はベンチに腰かけた。少し前まで二人が座っていたので生暖かった。
「なあ新。今思い出したんだが、常史江永久っての知ってるか?」
「常史江?あの死後数週間経過って感じの目した転校生か?あいつがどうかしたか」
新が吾妻の横に座った。
「学校で不良達が話しているのを偶然聞いたんだ、何でも彼、人間じゃないって話さ。体から雷を発したらしい、その瞬間を目撃した奴も何人かいるみたいだ」
新が普段より目を一層大きくさせて吾妻に詰め寄った。興味津々といった様子だ。
「何だと?それがマジなら…」
「ああ、僕達と同類だ」
二人はニヤリと笑った。一陣の風が吹いて彼らの頬を撫で、樹葉を揺らした。
「次のターゲットが決まったな、吾妻」
「そうだな、10点の相手だ。真偽はわからないが、殺る価値はあるだろうな」
二人はゆっくりとベンチから立ち上がった。今日は実に素晴らしく充実した日だった。吾妻はそう思った。
「なあ、吾妻一つ言っていいか?」
「何だ」
「お前、服の趣味悪くね?」
新は吾妻のシャツにある髑髏のイラストを指差してそう蔑んだ。
「…君に言われたくはなかったな」
「あ?何だって?」
そんな普通の男子高校生のような会話をしながら、殺人鬼二人は公園を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます