訪問者
春休みは夏休みと比べ比較的短いが、それでも寮から実家へと戻る生徒がほとんどと言って良い。学年が変わるからということもあるのだろう。
栞も櫻ノ宮で迎える初めての新学年ということになるが、ここでは普通の学校とは少し事情が違う。クラス担任を持つこともなく、部活動や委員会の顧問もない。変わらず国語科の授業を受け持つだけで、変わることと言えば去年まで普通の小学生だった子たちが、この異質な世界とも言える櫻ノ宮の寮へと入ってくることだ。白薔薇寮の寮監としてはそちらの方が大きかっただろう。
去年は自身も入寮ということであまり気がつかなかったが、新しく入ってくる新入生は初々しくも緊張の面持ちだった。高等部の生徒はもちろんのこと、中等部の新二年生ですらもすっかり慣れた顔つきで「先生、ただいま」なんて言いながら寮に帰ってくる。それに比べると新入生はいちいちがぎこちない。初めての寮生活は不安と緊張で溢れているのだろう。
「先生は、やはりあのように小さい子に気が向くのですか?」
入学式も終わり、平時の授業が行われるようになってから三日。
放課後にふらりと国語科準備室に現れた董子は窓から外を見やりながら言った。つられて栞が外を見ると、入学したばかりと思われる生徒たちが、まだお互いどこか距離感を測りかねる様子で並んで歩いている。家柄のおかげで一通りの礼節をわきまえている子たちがほとんどだが、それでもこの『櫻ノ宮』では困惑する場面も多いのかもしれない。
ついこの間までランドセルを背負っていたような子たちだ。董子もまだ幼さが残る部分があるが、流石に彼女たちと比べると幾分か成長しているように見える。
「燕城寺、お前は私を生粋の小児性愛者とでも思ってるのか?」
「違うのですか?」
「真顔で言うな。お前の冗談はわかりにくいんだよ」
栞が髪をくしゃりとやると、彼女はくすくすと笑った。
「でも、私を愛でてくださるではありませんか?」
「特別だよ、お前だけは」
言いながら手に持っていた書類を置いて董子の身体を抱き込む。鍵はかけていないが、このくらいのスキンシップならもう日常茶飯事になっていた。
ちょうど仕事も一段落ついたところだ。首筋にそっと唇を寄せると董子は小さく鳴いた。
「まだ日も高いですよ、先生」
「この先まで進むつもりはないから安心しろ」
耳元で囁くように栞が言うと、董子は「まだ決心がつかないのですね」と悪戯に言った。
「本当に先生は意気地がないのですから」
董子が半分諦めたように微笑む。董子自身、もう栞が自身を抱いてくれないのが当然だと思えるようになっていたのかもしれない。
そんなことを考えていた栞だったが、その考えは唐突に聞こえた随分とせわしいノックの音で遮られた。
咄嗟に董子から身体を放して、「どうぞ」と声をかける。
「ああ、やっぱりここにいた」
入ってきたのは御門だった。意外な訪問者に栞も董子も驚いた。彼女は随分と難しい顔をしていた。まるで今まで何人も証明を試みようとして失敗してきた数学的難題に挑んでいるかのような表情だ。
「どうしたんですか、御門先生」
「悪いけれど加賀美先生への説明は後にしてもらっていい? 董子ちゃん、すぐに私に付いてきて」
「私ですか?」
「ええ。貴女に会いたいって言う人が来たのよ、アメリカからね」
その言葉に栞は嫌な予感がした。
同じような感覚を抱いたのか、不安そうに董子が栞を見るが、表面上の関係ということで言えば栞と董子はただの教師と一介の生徒でしかない。御門のような専属医でもなければ、桑田のような担任ですらない。御門がああ言う以上、無理に付いていくことは出来ない。
「……行ってこい」
結局、栞はそう言って董子の背中を押すことしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます