部活動発表会
二学期が始まると櫻ノ宮にはまたいつもの賑やかさが戻ってきた。全校生徒の数がいくら少ないとは言ってもそこは若いエネルギーの塊のような存在だ。九月も末になれば夏休みの間の、セミの声だけが響く静けさが嘘だったかのように思えてくる。
櫻ノ宮には他の学校にないものが多くあったが、逆に普通の学校ならあるものがないこともあった。文化祭などはその最たるものかもしれない。
文化祭と言えば学校行事の中でも花形に位置するものだろうに、櫻ノ宮にはそれがなかった。まぁ、元々政財界の子女をかき集めたような学校だ。文化祭があったところで誰も彼もを入場させるわけにはいかないし、親御さんたちを招待したところで多忙な人がほとんどだ。来られるかどうかもわからない。そして、そもそも圧倒的に少ない生徒数では文化祭というものを形にすることさえ難しかった。
「そうだ加賀美先生。今度の発表会、是非にいらしてくださいね」
その代わりと言ってはなんだが、櫻ノ宮には部活動発表会というイベントが用意されていた。
読んだ通りのイベントで、それぞれの部活が普段の活動を発表する場であり、あくまでも内々で楽しむ行事だった。部活動を前半と後半に分けて各々展示や公演を行い、『普段は接することのない他部活動の生徒との交流を深める』というのが行事の名目だ。
今授業のことで国語科準備室を訪ねている生徒は茶道部で発表会では茶会をやる予定だそうだ。
「ああ、気が向いたらな」
そう答えた栞に生徒がクスクスと笑う。
なんだろうかと思うと、生徒がすぐにネタばらししてくれた。
「加賀美先生、誘ってくる生徒の皆さんにそうおっしゃっているそうですね」
確かにこれで何度目か?
新任で相対的に彼女たちと年の近い栞はこの時期に結構な数「発表会」へのお誘いをもらっていた。そしてその全てにそのような回答をしているのも確かだった。
「確約は出来ないからな。必ず行くと言っておきながら行かなければ不義理だろう?」
「なら、全てに顔をお出しになればよろしいじゃありませんか」
「そう言ってくれるな。部活動の顧問は持っていないが、裏方なら裏方でやらなきゃいけないことがあるんだ」
半分は本当で半分は建前だった。
ただでさえ教職員の割合が多いこの櫻ノ宮で、部活動も委員会の顧問もしていない栞は発表会の当日は暇を持て余す部類に入っただろう。
ただ、それでも午前の一部の時間は職員室で待機しなくてはいけなかったし、不測の事態があったら暇をしている栞にその解決の役目が回ってくるのは目に見えていた。もっとも、それでも昔に勤めていた学校の時と比べたら比べものにすらならなかっただろうが。
「しかし、なんで私が誰にどんな返事をしたかなんて知ってるんだ?」
「だって加賀美先生は人気者ですもの。生徒たちの間で話題に上がることはよくあるんですよ? そうなれば自然と情報は広まっていきます」
「それじゃあ発表会当日に私がどこに行ってどこに行かなかったという話も広まるんじゃないか?」
「そうですね。多分そうなると思います」
「だったら私は全てに顔を出すか全てに顔を出さないかの二択になるじゃないか」
栞は嘆息した。
「そうでしょうか? それこそ先生の気の向くまま、興味のある発表だけご覧になればよろしいんじゃないですか?」
「こう見えても私は生徒たちを出来るだけ平等に扱おうと思ってるんだ。扱いに差異が出てしまうのは良くないだろう?」
「そう言って、実は面倒なだけではございません?」
「そういうことは思ってても言わないもんだ」
言うと生徒は再びクスクスと笑った。
生徒が帰ってからなんとなく頭の中で誘われた部活動を思い返してみるが、咄嗟に思い出せるだけでもそれなりの数があった。一つひとつはそう大変でなかったとしても、この全てに顔を出すとなるとかなり骨の折れることになるに違いない。
「そこまで苦慮されているのなら、全てボイコットしてしまえば良いんです」
そう提案したのは先ほどの生徒がいなくなるのを見計らったかのように訪ねてきた董子だった。寮でのやり取りをするようになってから彼女が国語科準備室に顔を出す頻度は減っていた。
「私も今から少し気が滅入っているんです。桑田先生から、貴女はどの部活や委員会にも属していないのだから、発表会の後日、見て回った感想を書いて提出しなさい、などと言われているものですから」
「桑田先生はそんなことを?」
「ええ。どうやら私は桑田先生にあまり好かれてはいないようです」
「奇遇だな。私もあまり好かれていない」
「もっとも、積極的に好かれたいとも思わないのですけれど」
椅子に座ったまま董子がうつろげに窓の外を見やった。朝夕は多少涼しくなったがまだまだ日中は暑いと感じることも多い。
ただ、それでも董子の体調は夏の盛りより随分と好くなっているように栞には見えた。一時期は病的に細く見えたが、ここ最近は少し肉がついてきているようにも思う。もしかしたらこれも血を定期的に得られているからかもしれないと思うと、医者としては少し複雑な気持ちね、というのは御門の言だった。医学の敗北……と言ったら大げさだが、それに近いものを感じるのかもしれない。
「せめて、当日先生と回れるといったことであれば多少は楽しみにもなるんですけど」
「頼むから無茶は言ってくれるなよ?」
栞は釘を刺すように言った。
「ただでさえ危うい関係なんだ。何か勘付かれるようなことをしたが最後、私の首が飛ぶ」
「病弱な生徒に付き添うのは先生として比較的理にかなったものだと思いますが?」
「生憎私は御門先生のようにお前付きの医者でもなんでもないんだ。今だってお前と親しくし過ぎていると桑田先生にお叱りをいただくことがあるんだからな」
「そうなのですか? きっと桑田先生は妬いていらっしゃるんですね。私が先生ばかりに懐くものだから」
そんなことを冗談めかす。
ああいった教師は生徒に好かれて喜ぶような性質じゃないとわかっているのだろう。桑田のようなタイプは生徒を自分の思うままに教育出来た時に喜びを感じるタイプに違いない。
「それでは、当日は頑張って一人で周りますから、それが出来たらご褒美をくださいませんか?」
ふと思いついたように董子が言った。
「ご褒美?」
聞くと、先ほどまで気重に見えた表情がぱっと花が咲いたように明るくなっていた。自分で何気なく言っておきながら、口にして改めてそれがまたとない名案だと気づいたような雰囲気だった。
「ええ、ご褒美です」
「高い物は買えないぞ。と言うか欲しい物の大体は買えるだろう? 何をねだるって言うんだ?」
「先生は私が物品を欲しがると思っているのですか?」
「いや、間違ってもそれはないだろうな」
そう栞は笑ってみせる。董子は椅子から立ち上がるとらしくもない子供らしさで栞の両手を取った。
「ご褒美の内容は後々考えておきますので、是非にお願いします」
「怖いな。何を要求されるかわからない」
「私にもわかりません。今、とても幸せですもの。ですけど、不思議です。こうして改めて何かご褒美をもらえると考えるとこんなにも心が弾むんです。何をご褒美に貰おうかと考えるだけでワクワクするんです」
「そんなものか? 私がやれるものはもうあらかたやってるものだと思うんだがな。それこそこの身体を流れてる血さえやってるんだ。今更目新しい何かをやれるとも思えない」
「いいえ」
董子が綺麗な笑みを浮かべた。
「先生の底はまだまだ知れません。きっと、私の知らない先生がたくさんいらっしゃるはずです」
買いかぶりすぎだろう、と栞は苦く笑った。
でも、もしかしたらそれは董子の年相応な一面だったのかもしれない。自分が十三、四の時のことなどもう記憶の奥底に埋まってしまっていてとても思い返せるものではなかったが、それでもその時一回り上の女性は未知で魅力的な存在に思えたはずだ。それを董子は楽しんでいるのだろう。
そう思うと不思議と目の前の少女がひどく幼いものに感じられた。
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