第9話 疫病神

「この疫病神!」


 これが最後に聞いた実母の声だ。

 生まれてからというもの、親から愛というモノを受けて育ってきた覚えが無い。

 幼い時は保健所から配給される国民標準食が三食出たし、何をしても反応は暴力を以て行われた。

 酔っ払った父親に壁に投げつけられ、息が出来なくてしんどい思いをしたのも一度や二度では無い。

 学校に行かされたのも、追い返した役人の代理として何人も来たお巡りさんが家に来て親を叱ったからだ。


 その日の暴力は特に苛烈だった事を覚えている。


 小学校医の検診は『階段から落ちた』とか『喧嘩した』とか言えと命令されていたので、暴力を恐れた私はそれに従い、お医者さんも特に何も言わなかった。


 少し大きくなると、掃除洗濯炊事などの家事は全て私がやらされた。

 不手際があれば勿論殴られた。


 しかし、中学に上がる時の予備検診で、軍のお医者さんが母の行為に気付いた。

 そのまま別室に案内され、今まで母から受けた暴行の数々を洗いざらい大きな『ぬいぐるみ』に向けて喋った。


 その日は家に帰ったが、直後にお巡りさんが大挙して押し寄せ、両親を連行していった。


 その時聞いた台詞がアレだ。


 そして私は児童保護施設に収容され、似たような境遇の人間達と沢山出会った。

 私だけじゃ無いんだ。皆辛いんだ。と思ったのを覚えている。

 そんな中、親しくしていた友達が橋から飛び降りて死んだ。


 自殺だった。


 先生達は責任をたらい回しにした挙げ句、事故扱いにしようとしたが、警察に睨まれて結局自殺という事になった。

 それから、施設の中に何処かで見たような大きなぬいぐるみが配置され、『辛いことがあったらこのぬいぐるみに相談しなさい』と先生から言われた。

 誰も使わなかった。


 中学では友達は出来なかったが、唯一、絵が好きになった。


 絵が友達になったし、絵を描いている時に楽しいという自覚があった。


 そして、あの日がやって来た。


 中学二年の春、養子にならないかと話が持ち掛けられた。


 『家族』というものがどの様なものなのか分からなかった私は不安だったが、滅多に話さない先生の強い勧めで受ける事になった。


 優しい人だった。

 義母おかあさん義父おとうさんも、私を殴ったりしなかった。

 家事を手伝ったら褒めてくれたし、絵も褒めてくれた。

 幸せだった。

 こんな毎日が続くなんて、夢のようだと思った。



 そして二人とも目の前でグチャグチャになって死んだ。



 引きこもりがちだったが優しかった義兄おにいちゃんから、殴られ、そして言われた。


 どうしてお前だけ生き残った。

 どうして母さんと父さんは死んだ。

 どうして交通事故なんて起きた。

 どうして。

 どうして。


――この疫病神。




 正しかった。


 自動運転が普及した今、交通事故、それも死者が出るような交通事故なんて滅多に起こるものでは無かったし、手動運転の大型車が猛スピードで乗用車に突っ込み、運転席と助手席を乗員ごと粉砕するという事故が起こることは殆ど有り得ないのだ。


 だが、起きた。


 寝ても覚めても、事故の事が頭から離れず、学校にも行けなくなり、そして下された心的外傷後ストレス障害の診断。


 義兄おにいちゃんからの暴力と暴言は続いていたが、受け入れた。


 私がこの家に来ていなければ起こらなかった事故なのだ。


 そして逃げるように家を出ていった。


 遺族年金と特別給付奨学金で生活の生計を立てたが、義兄おにいちゃんに半分以上持っていかれた。

 俺の収入が減るからと、提出用のレポートを削除され、そして留年するように言われた。

 だが当然だ。

 私が居なければこんな目に遭わなかったのだから。


 私は疫病神なのだ。


 『疫病神』という言葉が頭から付いて離れず、そのうち、私と関わった人間は不幸になるという確信を得るようになった。


 考えてみればそうだ。


 実父母も、友人も、義母おかあさんも、義父おとうさんも、義兄おにいちゃんも。


 皆私が居なければあんな目に遭わなかったのだ。


 どうしてこんな簡単な事に気付かなかったのだろう。


 もう疲れた。消えてしまいたい。


 消える方法は何だ?


 そうだ、橋から落ちれば良い。


 あの子だってそうしたのだ。


 橋。


 橋。


 橋。


 どの橋から落ちたら、義母おかあさんみたいにグチャグチャになって死ねるかな。


 あの橋はどうだろう。


 駄目だ、低すぎる。


 この橋はどうだろう。


 駄目だ、水が深い。


 あ。


 このはし、いい。


 やっとしねる。


 やっと。


 やっとめいわくかけなくてすむ。


 これいじょうまきこまなくていいんだ。


 うれしいなぁ。


 さよなら。


 ごめんなさい。




****




「うわぁ!?」


 家だ。ベッドの上だ。布団の中だ。


「夢か……」


 冷や汗でビチャビチャになったシーツを見、現在時刻を確認する。


 午前二時。


 あの件があってからというもの、この悪夢を見るのは何回目だろうか。

 悪夢というか体験を何回も夢の中でループしていると言った方が正しい。


「疫病神……」


 自分が発した言葉に貫かれ、涙がポロポロと落ちる。


「ごめんなさい……」


 何とか落ち着こうと、コップに水を淹れ、錠剤と共に中身を飲み込む。

 少し窓を開け、冷たい空気でほとぼりを冷ましていると、遠いサイレン音が微かに聞こえた。


 そう言えば、昨日家に来たお巡りさん。名前は確か……宮木だった。


 あんなに私に優しくしてくれた人は久々に会った。


 あのお巡りさんにまで不幸を『感染』させていないかと、少し不安になりつつ、睡眠剤の効用に身を任せ、再び闇に沈む。


 また来てくれるかな。




****




「至急至急、新丘9から国警!」


 けたたましいサイレンと赤色灯で闇夜を駆逐しつつ、幹線道路をパトカーが爆走する。


〈至急至急、新丘9、どうぞ〉


「手配中の車両を53号、新丘中央付近のコンビニ駐車場で発見。該車両の乗員に職質しようと接近した所やにわに逃走。停止命令を無視し53号を南下。至急マル援車両願います。どうぞぉ!」


 道路の凹凸でパトカーが跳ね、その慣性に揺さぶられて頭を窓に思いっきりぶつけつつ、懸命に無線を取る。


〈手配中の車両を新丘中央のコンビニ駐車場で発見、職質した所やにわに逃走、53号を南下、現在新丘9が追尾中。この様な内容で宜しいか。どうぞ〉


「その通り、現在信号無視!尚車内の詳細不明!どうぞ!」


〈新丘9、了解。――国警から各局。国警から各局。ただいまの無線傍受の通り、本日……


 指令台から緊急配備が発令されている隙に、マイクを無線からスピーカーに切り替え、叫ぶ。


『おい!停まれぇ!事故るぞぉ!』


 そんな呼びかけを無視して逃走を続ける該車両だが、それを追うサイレン音が一つ、二つと増えていく。


 そしてようやく、該車両を検問に追い込んだ。


 幾ら高性能のスポーツカーと言えど、装甲車をも停車させる車両止めを突破するのは無理だ。


 大慌てでUターンしようとするが、そちらには我々が居る。


 パニックに陥り、グルグルと転回する該車両だったが、シンナンブの威嚇射撃が響き、やっと車の動きが止まった。


「エンジンを止めて降車しろ!」


 沈黙。


 仕方が無いので接近し、車のドアノブを引くが、中からロックされていて開かない。


「クラッシャー使おう」


 井上部長の指示を受け、警棒のエンドキャップを捻り、突起を露出させる。

 これを使って車のサイドガラスを破壊するのだ。


「クラッシャー行きます!」


 大きく振りかぶり、クラッシャーをサイドガラスに打ち付ける。

 訓練の時に感じた感触とは少し違う事に違和感を覚えたが、無事打ち破る事に成功する。


「もう諦めろ!」


 ドアを開放し、中から被疑者を無理やり引っ張り出す。


「0251、道路交通法違反の疑いで現行犯逮捕!」

「くそぉおぉぉぉおおぉお!くそぉおぉぉぉ!」


 人工筋肉を目いっぱいに使ってバタバタと抵抗する被疑者を応援のPMが警棒でしばき倒し、手錠を掛け、そのままパトカーに乗せて連行する。


「おい、宮木、手」


 井上部長に言われて右手を見ると、細かいガラスが突き刺さって流血――と言うよりも血まみれになっていた。


「うわっ!」


「ほら、抜いてやるからじっとしてろ」


 応急処置ポーチからゴム手袋を取り出して装着した井上部長が、私の腕をガッチリと掴む。


「動くなよ……」


 ピンセットでガラス片を抜き、その後応急スプレーを吹きかけて止血と消毒を行ってくれた。


「よっしゃ、後は病院で診てもらえ」


 礼を言う前にパトカーに詰め込まれ、パトカーはそのまま救急科へ向かった。




 これは後になって判明した事だが、被疑者は車両を違法に改造しており、サイドガラスも、破損した際に丸い破片を形成するように設計されたものでは無く、鋭利な破片を形成するような粗悪なものが用いられていたらしい。

 そのお陰で私の手は血まみれになった訳だ。

 幸いにして傷は浅く、細かいガラスを取り除いた後、医療テープでグルグル巻きにされただけで処置は終了し、職務に影響は無いと診断された。

 そう言えば明日は非番だな。どうしよう。

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