6月 6日火曜日 物理化学準備室 猛獣との対話

日向肇


 昼休み、職員室で鍵を借りた俺は弁当と買っておいたペットボトルのお茶2本を持って北校舎3階の物理化学準備室に向かった。

 加美のメッセのアドレスは中学校でのゴタゴタの際に聞いていたので昨夜のうちに「弁当を一緒に食べよう」と誘いのメッセを送った。人目に付かない方がいいので『事務所』を場所として指定してしたら、あっさり「行きます」とだけリプライが返ってきたのだった。


 部屋の窓を開けて待っていると、ほどなく加美さんも準備室へと姿を見せた。背の低いおかっぱ頭の女の子。制服を着ているというより制服に着られているという感じ。

 一見かわいらしい可憐さのある子なんだが、鷹のような鋭い目つきは甘く見ない方がいい。そして口を開けば舌鋒は鋭い。敵に回すとすこぶる面倒な奴。俺はこいつの怖さを知っている。俺は加美の事を「強権上等な猛獣」という渾名で呼んでいた。


「よく来てくれたな。突然の招待を受けてくれてありがとう。まさかうちの学校とは思ってもなかったよ」


 加美はにこりともせずに返してきた。

「今、起きている事の一方の渦中にいる人の顔を見に来ただけです」

「ま、そう言ってくれるな。ほれ、お茶だ。これはおれの奢り」

「ありがとうございます」

加美さんはペコリと頭を下げてペットボトルを受け取った。

「……なんだ、冷たくないんですか。接待にしてはあんまりですね」


 よし、そんな筋はねえよとか言われなかった。話は聞く気はあるという事だろう(冷静に考えたら加美はペットボトルがぬるいと文句言っていた訳だが、そこでキレられたりしなかった事が大事なのだ)。


「それで日向先輩。本当にご無沙汰してましたけど、一体私に何の用ですか?私が頼んだ時はあんなに嫌がっていたのに自ら選挙に関わるとか面白いですよね。っていうかこの点は大いに不愉快ですね」

「中学校の時はお前の人形となる会長を求めていただけだろう?」

「ああ、気付いていたんですね」

「まあな」

「じゃあ、仕方ないですね」

面と向かって言われるといい気分ではないな。


 でも俺は頭を下げた。

「加美の能力を見込んで古城ミフユの生徒自治会長選挙の1年生攻略の選挙参謀として加美の事をリクルートに来た」


 加美は歌うように言った。

「見返りは何ですか♪私が得るものは何ですか♪」

そして続けて一気に絶対ゼロ度の冷風のような言葉を聞かされた。

「古城さんって先輩の友達が立候補してるんですよね。その敵対陣営についた方が私は先輩に中学校の生徒会長選に出てくれなかった事への復讐が出来て楽しいと思うんです」


 復讐に燃える猛獣。加美の中学校の生徒会長とは思えぬタフネゴシエーターぶりは結果として学校側の教諭を激しく消耗せしめ彼女を非難したいぐらいの煮え湯を飲まされているのにそれを表に出させないというとんでもない辣腕を知っていた。正論で押す。受け入れられないと思えば引くけど別の手段を探す。ともかくゴールからぶれないし諦めない。そしてそれでもなんとかならなかった時は忘れない執念深さがある。


 この生真面目な執拗さで中学校の無駄に厳しいスカート丈だの、髪の毛の長さだの地毛証明だの見直しをさせて規則を必要充分で過剰ではないものに変更させている。時代が変っているのに放置しておくのが怠慢だとの怒りが原動力だったらしい。味方と敵を同時に作るのが上手い、そしてその能力はどちらかというと敵を倒す事がほんの少し上回っているというのは彼女の本性を見抜いた人の台詞だった。あ、そんな明言を吐いたのは俺自身なんだけどね。


 俺は深呼吸して反論した。

「向こうは急遽出馬してきた。推薦人の1人は立候補者の親友だけど、もう1人は性格も意見も合わない相手と利害で組んでいる。それ自体は悪い事とは思わないけど多分学校が裏で紹介したんだろうなとは想像している」


 俺はペットボトルのお茶を一口飲んだ。加美を口説くための止めの一撃はここからだ。

「学校側は中学校での加美の活躍は知っていると思うよ。加美の事は学校側も頭にはかすめただろうけど、自分たちに跳ね返ってくるような人選すると思うか?中学校での評判は内申書とか先生同士の情報網で知っていると思うね。だとすれば絶対にお前を向こうの陣営に入れるような事はしないよ」


 加美はここで初めて微笑んだけど視線は怖いままだった。

「……日向先輩、相変わらず惚れ惚れするような分析やってるんですね。私も指摘の通りだと思ってます」

「加美だって人の事は言えないんじゃないか。この会長選、横目ぐらいでは情報チェックしてたんだろ?」

「……そうですね。先輩が関わっていて奇妙な展開になってきて面白そうだなとつい観察してました」

ま、俺への報復に何か出来ないか企んでいたとしても驚かない。


「そういう加美を使いこなせる奴がいるとしたら、それは俺じゃなくて古城だと思うよ。それにそんな事を頼もうという無謀な勇気がある奴もな」


加美の奴、ここまで持ち上げてやったのに聞き流してやがる。


「古城を助けてくれたら見返りとしては加美の活躍の場が得られる。そうすれば中学校の時の評価を高校の評価で上書きできる。そうすればお前のやりたい事を色々実現出来るんじゃないか」

中学時代の加美の生徒会長としての実績からみて古城が目指す制服改革は加美も興味を持っているはずだ。大仕事は多分古城の代でやる事にはなると思うが、なんでも加美自身が仕切りたいというタイプではないはずなので問題はないはずだ。


「悪くない提案ですね」

「だろ。古城が一度話をしてお互い納得したら決めたいって言っている。あまり人目に付かない方がいいと思うので悪いけど放課後、ここに来てくれないか」


 加美は躊躇なく即答した。

「分かりました。古城先輩とは話をしてみたかったので放課後また来ます」


 俺たちは弁当箱を開けて食べながら、彼女の中学校生徒会長時代の規則改正のあれこれについて少し話を聞いた。どうやってもうちの陣営に入れるべきだと改めて確信した。

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