3章 7話 私の分まで

 翔太君が家を出て行った、少し前の事。


 「お嬢様。最近、翔太さんの様子が変でございます」


 「え?」


 突然部屋に入って来た、同居人にして家族であるメイドのジュンは深刻そうな顔……いえ、顔は初めて会った時と何ら変わらない無表情なのだけれど。彼女の場合目は口以上に物事を語っている。ともかくとても深刻そうな目をして訴えてきた。


 「翔太君が一体どうしたの?」


 今日彼を見た時は普通だったので、わけがわからず首をかしげる。


 「『しばらく練習に集中したいから、家事を手伝わなくていいですか?』などと言って来たのでございます」 


 あんまり似ていない声真似を披露された。翔太君はもっと、ぼーっと眠そうな声でしゃべると思う。


 「まぁ、元々翔太さんは掃除も洗濯も下手くそなので、絢子がこっそり直している事が多いのでございますが。それでも最近はマシになってきたというのに……」


 そう言ってため息をついていた。

 家事手伝いは、そもそも彼自身が言い出したことだ。彼は私の命の恩人で、お礼として部屋を提供しているのだけど、『タダで住ませてもらうんだから、せめて家事ぐらいは手伝いたい』なんて言って、自分から手伝ってくれるようになったのだった。

 それ自体は、とても嬉しく思っていた。

 お客さんになるつもりはない、家族の一員になるんだと言ってくれているような気がしたから。


 「うーん……練習に集中したいのは本当だとは思うけど……」


 「それに、ここ数日部屋に籠りきりで、ご飯もあまり食べていない様なのです。せっかく絢子が丹精込めてレンジで温めた料理を食べないなんて、神への冒涜にも等しい行為なのでございます」


 そんなジュンを、私は微笑ましく思う。


 「ジュン、翔太君が心配なのね」


 「は? ありえないでございます。絢子はニートでヒモな男はごめんでございます。もっと生活力と歌唱力があってダンスも踊れて料理が上手でイケメンな美男子がいいでございます」


 ジュンがたまに見ているアイドルアニメのキャラの顔が頭にちらっと浮かんだ。

 私はアニメも見ないし、ネットもあまりしないから何てアニメのキャラなのか知らないんだけど……。

 ふと、最近の翔太君との会話を思い出す。


 「……そう言えば、この前ネット対戦がどうとか言ってたわね」


 「ネット対戦でございますか?」


 そう、あれは1週間ほど前のことだ。

 ジュンがちょうどお風呂に入っている時に、リビングにいた私に、遠慮がちに話しかけてきた。


 「きずなさん……あの、すみません。パソコンが欲しいんで、お金を出してもらっていいですか?」


 彼はここに来た時、一文無しだった。

 なので、数万円ほど小遣いは渡しているが、交通費や、公認大会の参加費の他は飲み物を買うぐらいで、ほとんど使っていないようだった。

 おかげで、彼の部屋にはカード以外ほとんど物が増えていない。

 私に遠慮しているんだろうけど、お金なんていくらでもあるんだから、そんな事気にしないでいいのに、と思っていた。


 「パソコン? もちろんいいわよ。いくら必要? 200万円ぐらい?」


 そう言ったら、呆れた顔をされてしまった。


 「いや、そんなにいらないです……10万円ぐらいのやつでいいんで」


 10万円ぐらいと言われても、私は相場がどんなものなのかわからなかったけれど。


 「ちなみにパソコンは何に使うの?」


 私はパソコンを持っていないけど、今どきスマホがあればネットも動画も見放題なので、特に苦労していない。ただし、大学のレポートを書くときはジュンの部屋に置いてあるパソコンを使わせてもらっているけど。


 「ウェブカメラで盤面を映して、遠くの人とネット対戦するんですよ」


 「へー。遠くの人って、翔太君の友達?」


 「いえ。チャットグループや掲示板で対戦相手を募集しているんです。俺のランクにあった対戦相手もいるみたいなんで、そこで練習相手を探そうかと思って」


 なんて事を言っていて、お金を渡すとすぐに秋葉原に行ってパソコンを買ってきた。

 その話を聞いて、ジュンはぷんぷん怒っていた。


 「絢子に隠れてパソコンを買うとはふとどきな男でございます。しかも絢子の入浴中にお嬢様にそんな事を言ってくる辺り、後ろ暗い所があるに違いないのでございます。あのカードゲーム馬鹿はきっと、そんな事言って本当はお嬢様には言えないような大人のカードゲームをやっているに違いないのでございます」


 「そうかしら……?」


 それより大人のカードゲームって何かしら。そっちの方が気になってしまうのだけれど。


 「ただ、それから私が対戦に誘っても、全然相手してくれないのよね……前は夜中の3時に、寝ている所を起こして誘っても相手してくれたのに」


 「夜中に何やってるんでございますか」


 ベッドの中でふいにデッキを思いついて、急いで組んでみた物を試したくて仕方なくなってしまったのだから仕方ないでしょう。翔太君はなぜか顔を赤くしてたけど心良く引き受けてくれたもの。


 「おおかた、お嬢様に夜這いされたと勘違いしてしまったんでございましょう……しかし、確かに絢子とも最近は対戦してくれないのでございます。絶対におかしいのでございます」


 「そうね……あとで翔太君と少し話してみるわ。何か、私にできる事があるかもしれないし」


 そういえば、とジュンは思い出しかのように、


 「夜中と言えばお嬢様。この前、夜中にピアノを弾いていらっしゃいましたよね」


 「うっ。聞こえてたの」


 「聞いたのは絢子ではございませんが……ともかく、何かあったのなら、とっとと吐くでございます」


 ジュンとは長い付き合いだし、この部屋で二人で暮らし始めてから既に3年が経つ。私が嫌な事があるとピアノを弾きたがるのはすでにばれている。


 「……ちょっと親から電話かかってきただけよ」


 「何か、ご両親に言われたのでございますか?」


 「んー……いつもと同じ事よ」


 会社のこととか。卒業後のこととか。

 あと、真田さんの事とか。

 私は結婚するつもりなんて無いのに、真田さんがある事無い事両親に吹き込むもんだから、二人はすっかりその気になっている。

 私の言う事なんて、二人は全然聞いてくれないので正直困っている。どうせ結婚するならもう少し優しくて人の話を聞いてくれる人がいいわ。

 このままだとなし崩し的に結婚させられそうで、とても憂鬱。

 あの人たちは、いつもそう。私の気持ちなんてどうでもいいんだ。

 高校の時、あんな事をした両親を、私はいまだに許してはいない。

 あの時はいっそのこと会社を継ぐ約束すら反故にしてやろうかとも思ったけど、まぁその代わり大学に入ってからは好き勝手やらせてもらってるし、私自身、音楽に関係する仕事はしたいし。

 でもやっぱり 、今でも時々無性にピアノを弾きたくなる。いっそのこと捨ててしまおうかとも考えたこともあるけど、結局大学進学の時にわざわざ実家から離れた東京の大学を選んで一人暮らし(ジュンもいるからほんとは二人暮らし)をするにあたって、子供の時から慣れ親しんだグランドピアノを持ってきてしまった。

 大学ではピアノの代わりに夢中になれる物を探したけど、結局何も見つからなかった。

 そんな時、真田さんに無理矢理誘われたクルージング中、あんな事が起きて 翔太君に助けられた。

 その恩返しとして、夢を叶えたいと願う彼に、夢を諦めた私に残された時間である1年間を彼に託したのだ。

 そして、彼にはカードゲームを教えてもらった。

 カードゲームは楽しい。

 演奏家の道を諦めてから、色々な事に手を出したけど、初めて夢中になれた趣味だ。

 こんな事を思うのは自分だけだろうけど、きっと他の物には無かった、音楽との繋がりを感じているんだと思う。

 デッキを作るのは、まるで作曲をしているかのよう。カードとカードを組み合わせて、より美しいハーモニーを作り出し、最高の曲を作り出す。

 そしてそのデッキで戦う時は、まるでオーケストラの指揮者のようだ。よりうまく、より美しく、奏でるように、歌うように、一枚一枚のカード全ての力を引き出しせば、最高のコンサートになる。

 音楽は、やはり私の心に、そして魂に根付いている。

 翔太君みたいに、カードゲームでプロになりたいとまでは思ってないけど、それでも、本気でやりたいと、強くなりたいと、より上手く演奏できるようになりたいと思った。

 翔太君には、本当に感謝している。

 だから、翔太君には私の分まで夢を叶えて欲しい。

 そう思っていたのだけれど。


「……翔太君」


 彼は、出て行ってしまった。


「お嬢様。あんな奴、放っておけばいいのでございます」


 ジュンはまだ、怒っていた。

 この子は私のために、怒ってくれている。その気持ち自体はとても嬉しいのだけれど。


 「ジュン。私、カードゲームを始めて思ったの。カードゲームって、物凄く頭を使うじゃない? マナとか、手札のリソース管理とか、どこでアタックしてどこでブロックしたりとか、デッキ構築だとか、カードのテキストやルールを覚えたりだとか……単に運の良し悪しで決まるようなゲームじゃないと思うの」


 彼女は、怪訝な顔をする。それが何の関係があるのか、と言いたそうだ。

 この子の無表情じゃない顔を見るのは、本当に珍しい。

 この子の感情をそこまで動かした原因は、私なのか、それとも彼なのか。


 「だから、思ったの。翔太君があそこまで強くなるのに、どれだけ時間がかかったんだろう。どれだけ、努力したんだろうって。……彼は確かに、勉強とか、スポーツとか仕事とか……自分が苦手な事、嫌な事から逃げていたのかもしれない……でも、彼の努力を、否定してはいけないわ」


 「お嬢様……」


 「私は、彼の努力を無駄にしたくない。彼に夢を叶えてもらいたい。プロになって欲しい」


 そのためには、なんだってやるつもりだ。

 スマホを取り出し、とある人に電話をかける。

 今まで一度もこの人には電話を掛けた事が無いし、一度だってかけるつもりは無かったのだけど、最初に会った時に無理やり連絡先を交換させられたのだ。


 「……もしもし。あなたにお願いがあるんです。聞いてください」

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